見出し画像

⑤私の履歴書【アメリカ一人旅編】

私の履歴書」とは、日経新聞の最後のページに掲載されている人気コーナーです。紙面では、各業界の著名人が自らの経歴や生い立ちを語っています。

ここでは「私の履歴書」のお名前を借りて、私浜中自身のこれまでの人生を振り返ります。

なお、本記事は連載の5本目です。過去の記事は、下記のリンクからご覧ください。



いざ、アメリカへ

年度末の3/31をもってオプトを退社した私は、次の職場であるウエディングパークへの入社を4月中旬にしてもらっていました。

なぜ、半月ほどの空白を作ったのか。

それは、この期間を活用して旅行がしたいと思っていたからです。

社会人になると、2週間以上のまとまった休みを取れるチャンスなんて滅多にありません。

しかも、今回の私のように転職の合間であれば、仕事のことなど一切考えずに100%休暇を楽しめます。

行き先は、アメリカ西海岸のカリフォルニア州に決定。

そこには、ウォルトが最初に作った元祖ディズニーランドと、ウォルト・ディズニー・ミュージアム(ウォルトの生涯をまとめたミュージアム)があります。

私が尊敬してやまないウォルトの歴史や、彼が作り上げたものを肌で感じるには、うってつけの場所です。

オプトの退社が決まってからというもの、土日のすべてはこの旅の準備のために使いました。

実は、海外旅行を一人ですべて手配したのは、このときが初めての経験です。

手落ちがないように、エクセルを使って「スケジュール調整」「費用の計算」「必要な物の準備」「タスク管理」を進めていきました。

※当時作成したシート

カリフォルニアに到着

オプトを退社してから3日後、私は機上の人となっていました。

間もなくして、カリフォルニア州はアナハイムに到着。

まず向かったのは、この旅の最初の目玉となる「カリフォルニア・ディズニーランド」です。

ここは世界中にあるディズニーパークのうちで最初に作られたもので、ウォルト自身が建設から完成まで見届けた唯一のテーマパークとして知られています。

憧れだった「元祖ディズニーランド」。

パーク内に一歩足を踏み入れた瞬間から、感動しっぱなしでした。

なかでも印象に残っているのは、建設中にウォルトが暮らしていたという「消防署」です。
↓晴天に恵まれました。

ウォルトはここに寝泊まりしながら、工事の進捗具合を眺めていました。そして、当時彼が住んでいた部屋の中のランプは、今でも灯り続けています。

消防署の目の前に立ったとき、「ウォルトはここにいたのか」と思うと感慨深くなりました。

元祖ディズニーランドでは、ウォルトが魂を込めて作り上げたものを肌で感じ、「私も彼のような“感動”を創出する会社を作りたい」という思いを強くしました。

※ウォルトの銅像の前での一枚!

ウォルトに会った!

カリフォルニア・ディズニーランドの後は、ラスベガスのカジノでちょっと遊んでみたり、グランドキャニオンの見学に行ったりしました。

そして、アメリカに到着してから10日目。

ついに旅の最終目的地である「ウォルト・ディズニー・ファミリー・ミュージアム」にたどり着きます。

ここでは、所狭しと展示されたコレクションを見ながら、ウォルトの生涯を学べます。

ミュージアムの中に入った途端、なぜだか涙が止まらなくなりました。

きっと、「尊敬するウォルトにやっと会えた」という思いが溢れてしまったのだと思います。

ミュージアムを巡りながら、私はウォルトと自分の姿を重ねていました。

大成功を収めたウォルトだって、最初はゼロからのスタートでした。

そして、オプトを離れた自分も、今度からはウエディングパークでゼロからのスタートとなります。

それは、この先やってくる「起業」のタイミングでも同じことです。

「私もウォルトと同じように、魂を燃やして仕事に励もう」

ミュージアム内を歩きながら、ふつふつとやる気がみなぎってきました。

※ウォルトがディズニー・ランドのアイデアを着想したベンチにて

こうして、11日間にもおよぶアメリカ旅は幕を閉じます。

実は、この旅行には「手放しの休暇を楽しむ」ことの裏に「リセットとリスタート」というテーマもありました。

その意味では、過去の疲れを精算して未来志向になれたこの旅は、大成功だったといえます。

帰国した3日後には、ウエディングパークに入社。

ここから私の第2の社会人生活がスタートするのですが、その話はまた次回の記事で書くことにします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?