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誰かを否定することをいつの間にか想定して文章書いている

先ほど書いたものにも関連すること。

学会で発表しているときは、ほとんどそんなことはないのですが、

記事や実践論文、twitter、noteなんかでは、自分の実践や考えを書きまとめているとき、一部の人々の考えを否定するような書き方になりがちな自分。


具体的なことを言うならば、英語教育で言うと、よく勉強していない人が感覚でモノを言っていることが多くて、意外とマジョリティーがそれに流れて、いやいや、研究ではこんなことが明らかになってるんだよって反論したりアドバイスをあげても、耳を傾けない人が結構います。

結局、話し合いでは、そういう人々は全く理解しようとしないから、文章ではどうしても伝えたくなってしまう。

結局書いたところで、違う生き物だから、そんな人たちは理解しないのだろうけど。

noteでもtwitterでも私自身は個人の特定をされたくないので、自身の細かい情報やこれまでの実績なんかは一切公表していないのですが、

年齢やこれまでの学会での発表であったり、研究に関わるいただいた賞とか、地域での役職なんかが色々とついてくると、実際に会う人々との間では耳を傾けてくれる人がかなり増えてきました。

知識の量も、そのうちの一つだと思います。


結局、自分を証明するものがいるのだと実感しています。


なんか虚しい。。。


英語教育に関して言えば、仲間たちと本当は生産的に話し合ったり、その情熱を語り合ったりするのが好きなのに。

そして、そのもらった熱で自分自身が成長、変化していくのが好きなのに。


いずれにせよ、文章で考えを書いている自分は結構腹黒い人間だと感じます。


そして、相手が求める文章をもっと書けたらな。


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