「樹々の日々」第3話

 今さらだけど、私は師匠以外の協会の人と顔を合わせるのは初めてだった。
「業務時間内に終わらせたいので用件をお伝えします。報告を受け該当瑠璃珠の現地確認にまいりました。調査係の篝基埜かがりもとやと申します。資料にあった気温等の条件はこのとおり、私の方で整えてあります。では早速ですが作成をお願いします」
 そして早くもろくでもない気がしていたのだったが。
 植木鉢を持って突っ立っている私の後ろから、ぽろるが服の裾をちょいちょいと引っ張る。
(そうね、こうしていても仕方ない。さっさと済ませてお帰りいただこう)
 ぽろるの頭をそっと撫でると、篝と名乗った男性に向き直り、息を整えた。

 あまり深く息を吸い込むと肺まで凍ってしまいそうな冷たい空気をゆっくりと、体内に取り入れ、精神を集中させる。こころは静かに、あくまで穏やかに。
 張りつめた空気の一点に対して、そっと霊のことばを発した。

 ぴし、と小さく空間が割れて、握り拳大の亀裂が私と篝のちょうど間あたりにできあがった。
「ふむ」と篝が口元に手を当てて空間の亀裂を確認する。
「確かに。報告の通りですね、問題ないでしょう。引き続き励んでください。では」
「え……」
 そのまますっと帰ろうとする彼。
「ちょっと、待ってください」
 慌てて呼び止める。
「こっ、これ! どうするんですか!」
 私は背後にそびえ立つ雪山を指差して言った。
「私の家……この中なんですけど……」
「それは、貴女が帰ってくるのが遅いからでしょう」
 篝は最初の不機嫌さを思いだしたように溜息を吐きながら言った。
「だって聞いてないですし、ていうかなんでいきなり来るんですか」
「僕も今朝聞かされたんですよ。朝から急いで資料を確認して、こうして現地で準備までしたんだから」
「したんだから、じゃないよ! 頼んでないって言ってんの! だいたいこういうのって片付けてから帰るものじゃないの?」
「そうなんですか……?」
 意外そうな表情を浮かべる篝。
 だめだ。この人、ダメ人間だ。
 私は、あんまり人のこと言えないけど、この人よりはマシだと心の底から思った。
「もうっ! いいです。さっさと帰って……」
 私が怒りに我を忘れてしまっていた、そのときだった。
「ぷきゅう!」
 一人、放っておかれて、退屈していたのだろう。
 積もった雪山を崩して遊んでいた、ぽろるの上に。
 どうっ! と音を立てて、背丈の十倍もある質量の雪がなだれかかった。

 声も出なかった。立ちすくむ私の隣から駆けていく影が見えた。
 篝が、雪崩に向かって走りながら、伸ばした手を前に掲げる。
 瞬間、真下へと落下していた雪の塊が、物理法則を無視して、篝の方向へと落ちていく。
 あっという間に、私の目の前で新たな雪山が生まれたのだった。
 篝をその下敷きにして。
 尻餅をついたぽろるの姿が雪山の向こうに見えた。
 間を置いて、びっくりしたのだろう。「ぴいいいい!」と泣きだした。
 立ちあがり、覚束ない足取りで、私の方へと歩いてくる。
 私もようやく体が動いて、ぽろるの元へと駆け寄る。
 小さな身体を、無事を確かめるようにしっかりと抱きしめた。
「ぴい、ぴい」と顔全体を押し付けるようにして、私の胸でぽろるは泣いた。
 ぽんぽんと、泣きじゃくるぽろるの背中を撫でながら、そばの雪の塊に目をやる。

 悪いのは間違いなくあいつだ。
 自業自得ってやつだし、こうなったのもぜんぶあいつが悪い。
 私が、この子から目を離したのは仕方なかった。
 あいつが、この子の代わりになったのだって当然。
 そう思いたくても納得いかない。
 何に……?
 強いていうなら、あいつの馬鹿さ加減だった。
 勝手に来て、何してくれてるんだ。
 仕事? 向いてないよ。
 何もせず、家にでも引きこもって大人しくしてればよかった。
 でも、やるんだったらちゃんとやれ。
 言いたいことがいっぱいあって、だから。
「勝手に死んでんな、ばか」
 ぽつりとつぶやく。
 そして、ぽろるの髪に何かごみが付いていることに気がついて、何気なく指でつまんで取ろうとしたのだった。
 ひょい、と取った毛糸のようなものは、例のツノにからまっていた。
「えっ、何これ取れないんだけど」
 ごわごわした、くすんだ灰白色のそれはどこかで見覚えがあった。
(何だっけ……)と思いながら糸をほぐすようにして、ツノから外していく。
 ほつれた毛糸は結構な量があり、手のひらに集めていくと、すぐにボールができた。
 だけど、まだまだある。ようやくぽろるのツノから取れた毛糸を手繰っていくと、奇妙なことにそれは足下にだらんと垂れ下がった。引っぱる。まだ伸びている。私は糸の行先へと歩んでいった。ぽろるも興味をもったらしく、糸の先へと視線を向ける。糸の伸びている先は雪の山だった。
 これは、一体……? と疑問に思ったそのとき、雪の山が動いた。
 ぐら、ぐら、左右に。
 ずん、ずん、と上に。
 そしていきなり、ぼこっ! とすごい勢いで、てっぺんから何か別の、大きな塊が飛びだしたのだった!
 夕焼け空にそこだけ浮かんだ黒雲の高さまで、飛び上がった勢いで雲を霧散させてから、落ちてくる。
 ずしん! と私たちの前に。雪の山があった位置に着地したのは、丸い大きな毛玉だった。
 灰白色の、汚れたモップみたいな、毛玉に同じくごわごわの毛に覆われた手足が生えた生き物……。
『雪男』だ……。
 そしてその中央にあいつの顔があった。
 篝基埜。
 着ぐるみのように顔だけ出ている部分に向かって。
「ばかやろー!」私は足元の雪をすくって投げつけた。

「そうですか……これを貴女の師が」
 暖房の効いた部屋のなか、すっかりリラックスした顔で篝は言う。
 テーブルの上、元の大きさのブレスレット状になった例の、雪男の体毛。
 事の顛末はこうだ。
 時は今日の昼、私たちが出かける前に遡る。
 師匠から届いた手紙に入っていた、この編まれた毛玉を私はごみ箱に捨てた。
 そしてぽろるがかくれんぼのつもりでごみ箱に頭を突っ込んだ際に、ツノにからまってくっついていたのだ。
 毛玉はぽろるが飛んだり走ったりするうちにどんどんほつれ、頭の上でふわふわと広がっていた。
 その後、家に帰ってきたときの事件。
 屋根からなだれ落ちた雪の塊がぽろるを飲み込む寸前。
 篝が自身の特性の作用で、落下方向を変化させた雪崩れに巻き込まれるかたちで、ぽろるの頭の上に漂っていた毛玉の切れ端が伸びていき、雪山の構成要素となったのだった。
 そして、この師匠が送ってきたブツ。ただの薄汚れた毛のかたまりではなかった。
 雪男の特性を、身に付けた人間に適用させる道具だったのだ。
 つまり、身体を覆うように毛むくじゃらになり、雪によるあらゆる影響がへっちゃらになるというもの。
 おかげで、潰されることなく篝は生還したのだった。
 まあ、そうとわかっていれば元々身につけていたぽろるの上に雪が落ちていたとしても大丈夫だったわけだが……。
「まるで、今日のことがわかっていたかのようですね」
「偶然だと思うけど」
 熱々の湯呑みのお茶をすすりながら言葉を交わす。
 時刻はすっかり夜だ。
 さっさと仕事を片付けて帰りたがっていた篝は、しかし何故か今は落ちついている。
 何故か、と言ったが、なんとなくわかる。
 私も同じだったのだ。
 この望まぬ来訪者に対して、今はもう邪険にする気が失せているのだった。
 お互い、己の未熟さを自覚したからかもしれない。
 篝は反省していたし、私もまたそうだった。
 同業者として、今後の成長に期待……したいところだ。
「だいたい、朝の時点で知らせるって大概だよね」
「そういうところなんです」
「内勤? なんだよね?」
「僕、雨男なんで、書庫番やってろ! と……」
「卑屈になんなよ」
「そうですね」
「それが特性?」
「絶対に降るわけじゃないんです。でも自分で制御できなくて、本当に未熟なものです」
「配属はしょうがないかもだけど、出てみたら?」
「外に……」
 篝はほうっと息を吐くと、遠い目をした。
「どうして、諦めていたんでしょうね」
 そして、小さく頷くと篝は笑った。
「貴女に出会えた今日に感謝します」

 篝は、そっと一礼すると夜の闇のなかを帰っていった。
 変わらず彼に付き従う、ちらちらと粉雪を舞い散らせる小さな黒雲を連れて。
 彼は、ぽろるのことについては触れないことにしてくれたみたいだった。
「今後どうするかは貴女が決めてください」
 彼の言うとおり、いつまでもこのままという訳にもいかないだろう。

 ぽろるのことだけじゃない。
 そういえば、と私は思いだす。報告を送ったあとだったために、漏れていた内容ではあるが、私の特性『空気をこわす』とは少し違った現象が発生したのだった。
 天井の闇、あれ以来現れていない、おそらく邪なるもの。
 そして、私のつくった知らない瑠璃珠。
 あのとき、空間は割れなかった。
 夢中だったからはっきりとは覚えていないけれど、空気はもっと違うふうに変化したのだ。
 今のところ、あの再現はできていない。

 しばらく気が抜けていたけど、課題はいっぱいある。
 カレンダーに目をやる。二月も今日で終わりだ。
 べりっと一枚はがす。
 明日からまた、頑張ろう。
 私のなかに、新鮮な『何か』が流動するのを感じる。
「マナ」
 私は声にだしてその名を呼んでみた。


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