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「まさか…お父さんが我が子の前でハダカになって踊るというのかい?」「天に誓って、そうだよ。」_『The Full Monty』(1997)

メジャーどころの映画であれば「イエスタデイ」のジョン・レノン役、または「007 ワールド・イズ・ノット・イナフ」の敵テロリスト役で見る者に強い印象を残した男優ロバート・カーライルは1961年4月14日、スコットランドのグラスゴー生まれ。
グラスゴーの演劇青年だった彼は、ケン・ローチ監督の『リフ・ラフ』で建築作業現場ではたらくナイーブな好青年、スティーヴを演じて注目された。以来、90年代を通じ、職人肌の監督たち(アントニア・バード、マイケル・ウィンターボトム、ダニー・ボイル)の映画で主役&脇役で30代のキャリアを積み重ね、やせて小柄な少年体型からは想像がつかないほどの変化をみせる性格俳優として、徐々に支持を得る。
役柄は幅広く、タフでサイコな殺人鬼から、あやしげなホモセクシャルの青年、やさしい村の駐在さん、かつては愛と平和のため世界を股にかけ戦ったであろう元船乗りの隠者まで、さまざま。

そんな彼が、おひとよしの失業者を主演し、みごと英国アカデミー男優賞を受賞。£5000万以上の国内興収を稼ぎ、現在でもなお英国内トップ興収50位内にランクインする、1997年の大ヒット作『The Full Monty』(邦題: 『フル・モンティ』)より。公開当時といまとでは、もちろん、映画の意義も意味も、まったく違うものに捉えられうることだろう。

舞台は世紀末、町の一大産業である炭鉱が続々と閉鎖され、不況にあえぐイギリスの一都市:シェルフィールド。
ガズ(ロバート・カーライル)、デイヴ(マーク・アディ)、ジェラルド(トム・ウィルキンソン)ら男たちは、失業と貧困に苦しみ、家族や自己価値についての問題に直面する。
ある日、ガズは町に訪れる有名なストリッパーショーを見に行き、その成功に触発される。失業中で生計を立てる手立てがなく、どうにかしてお金を得なければならないと考えた彼は、元手もそこまでかからない、文字通り己の体一人で稼げるストリップショーを主宰し、実行することを決意。
それも、一般的なストリップダンサーとは異なり、「フル・モンティ」=シャツからスーツまで来ているものを着ている衣服をすべて脱ぐ、すっぽんぽんになるスタイルで、観客に自身の身体を見せることを計画するのだ。

C調男のガズは、決心してからの行動が迅速。デイヴやジェラルドら一緒に踊る仲間5名をオーディションを通じ得て、一人前のストリッパーになるべく、さっそくトレーニングを始める。
当然、上半身を脱ぐところから始まるわけだが、ジェラルドが開口一番に他のメンツを見、自分の身体はタナに上げて罵るのは、

Gerald: He's fat, you're thin, and you're both fucking ugly.

IMDBから引用

彼らの持つ、太ったり痩せすぎていたり醜かったりする肉体というのは、まさしく彼らの男性性=奪われた男としての自身、というものを象徴する。

何せ前代未聞の試み、隣人はおろか家族からも奇妙に思われ、当然嘲笑の的にもなる。軌道に乗るか分からない手前、家族に反対されるのを恐れて、男たちは愛する/親しい人々にも真実を伝えられず思い悩む。中には、やってられんと再就職して一抜けしようとする仲間(具体的に言えばガズの元上司ジェラルド)もいる。
トラブルが発生する度に口八丁手八丁で奔走し口説いて回るのがガズだ。ガズには何が何でもやり遂げなくてはいけない理由があった:離婚した元妻に単独親権を通告されていて、自分の愛息子ネイサンの共同親権を確保するために養育費として700ポンドを支払わなければならないのだ。


様々なテーマを内包しているためか、本作は観るたびに印象を変えるのだが、いつ見ても変わらず印象深いのは、ガズの演技だろう。
なけなしのお金からネイサンが望むものをあてがいつつも、彼自身を元気づけてくれる見込も何物もなく、何を考えることも何を怖れることも出来ない程疲れている気持ちで、放心している序盤の頬こけた顔も魅力的だし、
あるいは、
「フラッシュダンス」など往年のナンバーのネームバリューの力を借りて生のままの裸体を舞台へそのまま上げたって色っぽさは生れやしないとわかって、ただ一心に身体と踊りを鍛え上げる、芸の力でしか表現できないもののために一心不乱になる中後半の姿もまた、美しい。
だから「男がハダカかよ!」と最初ガズの発想にドキドキしていた見るほうも、次第にガズを通じて、男たちのドラマに感情移入してしまう不思議。


紆余曲折ありつつも過程で彼らは友情を深め、自己評価と自信を取り戻し、ついに本番のステージの日がやってきた。
と、ここで今まで悩むことなく一心に課題や困難に取り組んできたガズは、初めて躊躇する瞬間が訪れる。本番直前の楽屋から観客席を覗いて女性限定のはずの観客の中に男性や警官が混じっていることに怖気づいてしまうのだ。他の仲間5人が覚悟完了している横でものの見事に狼狽えるガズのみじめさ、おかしさ、かわいさよ!
結局、ほかの五人がステージに上がる傍で、ダズはクヨクヨしている訳だが、子どもは、ちゃんと、親のやってきた/やろうとしていることを、見ている。

Police Inspector: So your daddy dances in front of you, does he?
Nathan: Only when he's rehearsing.

※rehear 動詞 他動詞
1〈…を〉再び聞く; 聞き直す.
2【法律, 法学】〈…を〉再審理する.

「お父さんが我が子の前でハダカになって踊るというのかい?」と半信半疑で観客席にてステージを待つ警官に向けて、俎上の鯉腹をくくる覚悟を決めるジタバタしない天命に従う その意気で自分の父がハダカになって踊って見せる、と息子ネイサンは宣言する。
こう愛息に言われてしまっては、父は、踊るしかない!

覚悟を決めたダズは遅れてステージに上がる。見ると、別れた妻も観客席にいるではないか。一枚、二枚と、6人の男は、身体と心の裏表から隅々までを、キレイきたないのお構いなしに、着ているものを、ぬいで、ぬいで、脱いでいく。痛みを乗り越え、甦った自身を己の体に刻み込んで、男たちは踊る。

そして映画は、最後の一葉を脱いだ、その瞬間に静止して、終わるのだ。


公開から25年。本作、なんとドラマ版がDisney+で配信開始された様だ。これは観なくては。なにはなくとも、ロバート・カーライルの演じるダズの変わらなさよ。


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