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インターネットが「一家に一台」だった時代のはなし、サマーウォーズが叶えた夢のはなし。

はじめてのインターネット体験は、まだ自分が小学一年生、
小学館の学年誌が「1年生」から「6年生」まで出版されていた頃
「PCといえばwindows98」の時代だったことを、覚えている。
当時一般的だったパソコン通信サービス「NIFTY-Serve」
を親が操作しているのを、後ろから見ていたのだ。それが始まり。

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※画像はinternet watch から引用

まだ10歳にも満たない頃の話なので、記憶はあやふや、
具体的に親が何をしていたのか、私は何を見ていたのかは、覚えていない。 
残っているのは、音の記憶。
ダイヤルアップ時に演出された電話のベル音が
(回線速度もまだ早くなく、接続に十数分かかるのが当たり前の時代であって)
延々鳴り続けていたこと、
ソフトを立ち上げる度に発される
「ようこそ、ニフティサービスへ!」
との受付嬢を模した、ちょっと怖い機械音声にびっくりしたこと。


むかし卓袱台があった頃のテレビと同様に、当時はPCが「一家に一台」の時代。
親を差し置いて子供が触れることなど、夢のまた夢。親が第一。
たまに触れることがあっても、内蔵のゲームしか触れることを許されなかった。
(特に好きだったのがFMVのGAMEPACKに収録されていた「アリーナ」
物量のマミー、魔法のダークウィル、高速移動+高火力の騎士。
挑むたびに泣きそうになった、それでも止められないくらいに、ハマった。)
当時、ウチでは、子どもがインターネットを使うことは禁じられていた。
理由の第一が「お金がかかるから」

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Windows XP になってPCの性能が向上すると、インターネット接続もだいぶコストが下がった。それでも、「一家四人に一台」それぞれ時間を決めて使用する暗黙の了解があった。
当時はまだ
「インターネットはパーソナルコンピューターで行うもの」
との認識が大多数だったように思う。
携帯電話のi-modeは遅くて画面が小さくて使いづらかったし。


そもそも日常的に触れる時間が少ないものだから、
ゼロ年代後半になっても、インターネットは現実感のない夢だった。
「つながる」ことがどんな未来を導くのか、分かりもしていなかった。
学校の先生方にもまだ「インターネット否定派」が一定数いた様に思う。


だから、いまはない 富山シアター大都会で観た 
細田守監督「サマーウォーズ」のことは、今でもくっきり覚えている。
おとなも、こどもも、おじいちゃんも、おかあさんも、おとうさんも、
「一人が一台」インターネット空間につながっていて、当たり前。
そしてその「つながり」こそが、敵を倒す最大の武器になる。
夢が、いちめんに広がっていた。

間違いなく、僕らの声を体現していた。僕らの世代の映画だった。
ついでにいえば、健二の高速タイピング&「よろしくお願いしま~す!」も、カッコ良かった。健二の様な高校生になりたい!とおもった。なれなかったけど。

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と、このように「インターネットが高嶺の花」の時代を過ごした わたしには
10年前の映画に描かれた「一人一台」誰でもすぐにつながれる時代が実現しているのが、素直に嬉しく思えるのだ。

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