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心震わす歌:歓喜の歌をめぐる二つの邦画「バルトの楽園」と「俺たちの交響楽」。

ベートーベンの第九、歓喜の歌。 それは時代を超えて、人の心を震わす歌。
平時も戦時も変わることなく、人の心を震わす歌。

日本人にとっても心の歌である第九をテーマとしたふたつの映画を、今回は紹介しよう。


1918年6月1日、日本最初の大合唱。「バルトの楽園」。


「第九」をテーマとした名作として、いの一番に思い浮かぶのが本作だろう。

第九の扉が開くとき 軍人は「人間」に帰る。『交響曲第九番 歓喜の歌』それは「苦悩を突き抜けて歓喜へ!」と叫んだ、楽聖ベートーベンの心の雷鳴であり、万人を兄弟として結び合う、気高き永久の賛歌であり、たくましき民衆の凱歌である。2006年6月、総製作費15億円の超大作映画『バルトの楽園(がくえん)』が公開される。この作品は第一次世界大戦中の徳島県鳴門市の板東俘虜収容所を舞台に、軍人でありながら、生きる自由と平等の信念を貫き通した所長・松江豊寿(まつえとよひさ)の指導によって、ドイツ人捕虜達が収容所員や地元民と文化的・技術的な交流を深め、ベートーベン作曲の『交響曲第九番 歓喜の歌』を日本で初めて演奏したという奇跡的な実話をベースに描く感動大作です。主人公・松江豊寿を演じるのは、今や国民的スターとなった松平健。収容所所員に阿部寛、松江の妻・歌子に高島礼子が扮する他、國村隼、市原悦子、板東英二、さらにはハリウッド映画『SAYURI』に大抜擢された大後寿々花が出演。一方のドイツ兵役では、カンヌ国際映画祭監督賞受賞作『ベルリン・天使の詩』や『ヒトラー~最期の12日間~』で主役を務めた名優ブルーノ・ガンツが、ドイツ軍少将に扮するのを始め、ドイツのブラッド・ピットとも呼ばれる実力派俳優オリバー・ブーツ、甘いマスクで圧倒的な支持を集めるコスティア・ウルマンらが出演する等、世界に発信する大作映画に相応しい豪華な顔ぶれが揃っています。

東映ビデオ 公式サイトから引用

ユーモラスな松平健、生真面目なブルーノガンツ、この二人が演じる将校同士の友情。捕虜になったドイツ人の(一定の自由の認められた)収容所生活と、彼らと日本人との国境を超える友情。その中で、民族、貧困、戦争の記憶、国民意識、などのさまざまなテーマを浮かび上がらせる。第一次世界大戦中が舞台。
フランス映画の名作「大いなる幻影」を意識して作られているのは間違いない。
(今回見直して、初めて気づいた。)

もちろん、元ネタと違いはある。
「大いなる幻影」で無節操に歌い、踊り、皮肉を語るのがフランス人捕虜なら、
声を揃えて足並み乱さず第九を合唱するのがドイツ人捕虜。
収容所の所長にしても
泥に一切足つけぬ貴族の末裔が、ラウフェンシュタイン大尉なら、
自転車で泥道をよろよろ通勤に出かける庶民派が、松江豊寿だ。

奇妙に、牧歌的で、楽天的。(リアルタイムに見た子供心にも感じられた。)
しかし最後の第九の大合唱だけは、ぐっと硬度を増す。
それはその直前まで僅かに残っていた国民感情の「しこり」を溶かす。

だが、
ベートーベンの『歓喜の歌』は、
日本人の一番好きな曲として、
今も歌い継がれている。


本編 2時間9分時点の字幕から引用

監督はそこに製作意図の全てを賭けた。 その潔さが、心地いい。



昭和後期、日本人の大合唱。「俺たちの交響楽」。


では、実際に、日本人が「歓喜の歌」が唄えるようになるまで。
これをテーマに描いたのが、1979年(もう40年前だ)の青春映画たる本作。
主役は労音だ。(同79年公開の「太陽を盗んだ男」における銀座のメーデーと合わせ、団結・連帯な労働者運動 最後の輝きを切り取った、と言って良い。)

山田洋次は1977年に労音の企画製作の舞台「カルメン」を演出しており、これをきっかけに川崎労音合唱団「エゴラド」をモデルにしたストーリーが生まれた。

監督を務めたのは、長年「男はつらいよ」で山田洋次と脚本を共作していた朝間義隆。(監督デビューのご祝技というべきか、渥美清が病人役でハツラツと登場。「とらや」の面々も友情出演。)
主演は武田鉄矢。当初軽薄な(しかし周囲の熱情に心を動かされていく)彼は、
「幸福の黄色いハンカチ」の花田欽也、そのまんまだ。

川崎で工員を務める新田徳次郎は、街角で「ベートーヴェンの『第九』を歌いましょう!」と勧誘活動をしていた京子が気になり、先輩の安男や後輩の保を伴い冷やかし半分のつもりでエゴラド合唱団に入団した。合唱の指導は厳しく、おまけに京子が団長の勝彦に惹かれていることを知り、徳次郎は団の活動から遠ざかってしまう。しかし、京子が勝彦と衝突して故郷の信州へ帰ったことを知ると……。
スタッフ
原案:山田洋次
監督:朝間義隆
脚本:朝間義隆/梶浦政男
撮影:吉川憲一
音楽:外山雄三
キャスト
武田鉄矢/友里千賀子/永島敏行/森下愛子/山本圭/田村高廣

松竹DVD倶楽部 公式サイトから引用

70年代末。まだ第二次産業の国外移転もそこまで進んでいない頃。
いちめん「労働者諸君」のためだけの世界だった、川崎市内の風景が印象的だ。
至るところ煙突から、もくもくとケムリが立ち上っている。この煙の下で、若者たちが、汗水垂らして昼夜交代で働いている。
下宿へ帰っても、独身工員であれば、壁と乾いた皿と便所の匂いがあるばかりで 、待つ人はいないし 、夏の夜は寝苦しいだけ。

給料は良くても灰色の生活だから、町工場や大工場や中小商店の兄さんとおっさんたちは、ちょっとでも女にモテたいものだと考える 。あるいは、何か別に打ち込めるものが欲しいと思っている。
最初の頃の徳次郎が前者で、終盤の彼が後者だ。
最初ナンパ目的で入団したハンパ者の人間が、「たかが」合唱にマジになる真っ当な人間になっていく。ベタだが、それが良い。

徳次郎だけじゃない。安男も保も勝彦も京子も、「第九を歌う」という将来の夢のために、時に衝突、時に友情を深めていく。(恋愛が御法度なのは、「団結・連帯」を重んじる時代らしい。)
だから「バルトの楽園」とは違って、みょうに雰囲気がピリピリしている。
コツコツと地道に、本番に向けて激しい訓練を積み上げていく。
(実際の「エゴラド」団員とキャストが混じって共に練習する、セミ・ ドキュメンタリーになっている点は大きな見どころ)。

そしてクライマックスは、20分以上にわたるナマの第九の大合唱。すばらしいうたごえ、大迫力。

「たとえ一人でも本当の友達がいる奴やすてきな恋人をもっている奴は万才だ」

クライマックスで歌われる第4楽章の歌詞が、これ。
テロップに乗せて、連帯とは何かをまっすぐに伝える高らかな響き。

なお、物語自体は「バルト」ほど楽天的ではない。徳次郎にとって大切な人:先輩の安男が病気で途中亡くなってしまうのだ。彼の遺影を胸に、徳次郎は似合わない正装で決めて、ステージに上がる。彼は集団にありながら、埋没はしていない:第九に、生きとし生ける全ての意味を込めようとする、主役らしさがある。

公開時におけるキャッチ・コピーは

「俺が、“第九”を歌うんだって信じられねぇよなあ…。」

みごとに本作の本質を言い当てていて、
これもまた、第九のリズムを体内で刻みたくなる、素敵な映画だ。


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