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シトロエンじゃなくてマスタングなのだ。まだふたりは若いのだ。映画「男と女」(1966)。

もはや半世紀前の遺物…とは言わせない!ヌーヴェルヴァーグの代表作の一つ。事故で夫を失った女と、妻を自殺させた男とが、パリを離れた地方都市の冬景色の中で知り合い、孤独な心と心とが寄り添い逢う、フランシス・レイの音楽があまりにも有名なラブストーリー「男と女(原題:UN HOMME ET UNE FEMME '66、フランス映画)」より。
そのあらすじを、起承転結で追いかけてみよう。



起。

カラー。
物語は、ある日曜日、主人公のジャン・ルイ・デュロック(ジャン・ルイ・トランティニヤン)が真紅の“フォード・ムスタング”に乗り風のように走り去るシーンからはじまる。
その日曜日もアンヌ・ゴーチェ(アヌーク・エーメ)はドービルへやってきた。この町の寄宿学校に入っている娘のフランソワーズ(スアド・アミデゥー)に会うために。アンヌはそろそろ30才。夫を亡くしてパリに一人暮しの彼女にとって、毎週日曜日のフランソワーズとの面会が今では何よりの楽しみになりつつある。
ジャンとアンヌ、対照的な二人の「子供とのバカンス」の過ごし方。ジャンはムスタングで浜辺を爆走。アンヌは街中を娘とお買い物。
この日、アンヌはつい長居してしまい、駅に着いたときには、もうパリ行きの汽車は出てしまった後だった。途方にくれる彼女に、遠慮がちに声をかけてくれたのがジャン。やっぱり30才前後であった彼も寄宿学校へ息子のアントワン(アントワン・ジレ)に会いに来た帰りだったのだ。

モノクロ。
ほっとしてジャン・ルイの運転する車に乗せてもらったアンヌは、雨がフロントガラスをひっきりなしに叩きつける中、パリへ到着するまで、ほとんど休むまもなしに亡き夫ピエール(ピエール・バルー)のことをしゃべり続ける。
カラー。
アンヌは自身の過去を語り続ける。撮影の現場と、現場を離れてのバカンスの日々。ブラジルに撮影に出掛けていた夫が帰宅してはボサノバにハマってひたすらそれを歌い続けたり、白馬で湿地帯を並んで走ったりした思い出を。
モノクロ。
その言葉があまりに夫への手放しな愛情にあふれているので、ジャンはまだピエールの死を知らない。

カラー。
次の日曜日にまた!と言う約束をよすがに、二人は仕事の日々に戻る。アンヌはスクリプターとして、砂漠でラクダを被写体に収める現場に居合わせる。ジャンは世界屈指のトップ・ドライバーとしてフォード・GT40をテスト・トレーニング、次のルマンに向けた準備に励む。


承。

カラー。
日曜日がやってきた! 互いの子供を連れて、浜辺に出掛けて二人並んで歩く。日に照らされキラキラ輝く海の波、飛び立つ海鳥、チリひとつない海岸線、何もかもが美しい。
モノクロ。
アンヌは夫の非業の死を打ち明ける。映画の撮影中、ピエールは思わぬ事故で命を落したと云う。戦場のシーンで、発破に巻き込まれて死ぬ、というあっさりとした、「嘘みたいだろ、死んでんだぜ、それで」な死に方で。
うって変わった悲しみの色にあふれるアンヌの横顔を、その時ジャン・ルイは美しいと思った。

モノクロ。
別れた後も、ジャンはアンヌの横顔を忘れられない。ついにこらえきれずに、次ぎの日曜のドービル行きも自分の車で、とアンヌへ誘いの電話までかけてしまう。
モノクロ。
ドービルの日曜日の肌寒い午後。ジャン・ルイとアンヌとそれにアントワンとフランソワーズの4人は仲良く連れだって食事をしたり、まるで一つの家族のように。
ボサノバに関する蘊蓄、カーレーサーに関する蘊蓄、男と女が互いに距離を縮める言葉を交わしつつ、父として、ジャンは自分の子どものことも忘れない。アントワンのために、嫌いなエビを避けて欲しがるトマトをよそってやったり、スペイン人のウェイターにコカコーラを、スペイン語でオーダーしてみなと勧めてみたり、やんちゃなアントワンを「船に乗せてあげないぞ!」と優しい言葉でたしなめたり、ジャンの優男ぶりを堪能する見事なシークエンス。
ランチと浜辺で遊ぶ子供たちの明るい笑いに囲まれながら、アンヌとジャン・ルイは、お互いの愛を感じ始める。
モノクロ。
パリへ帰る車の中で、ためらっていたジャンの手がアンヌの手に触れたとき、アンヌも今までためらっていたジャンの妻のことを尋ねる。
ジャン・ルイが重い口を開いて、初めて自分のことを話し始める。ジャンの職業は“レーシング・ドライバー”であり、それも世界屈指のトップ・ドライバーであったこと。1963年、“ル・マン24時間レース”で大事故にみまわれたジャン・ルイにショックを受けた妻のバレリー(バレリー・ラグランジュ)は、ノイローゼとなりついに自殺してしまったこと…。
アンヌの家の前の暗がりに止めた車の中で、2人は身動き一つせずにじっとたたずむ。…もはやお互いの愛は隠すすべもない。しかし、その愛が、果たして2人にとって幸せなのか、お互い分からない。激情だけで身をまかせるには、2人とも育ち切った子供がいて、不幸を背負いすぎていて、なにより、年を取り過ぎていた。
何も切り出さずに、二人は、別れる。

モノクロ。
それぞれの仕事に打ち込むことで、アンヌはジャンを忘れようと、ジャンはアンヌを忘れようとする。
しかし、ジャンが“モンテカルロ・ラリー”が終わった時、アンヌからの電報「愛しています」の一言を受け取った時、彼はいてもたってもいられなくなる。
すなわちここからがジャンの一人舞台。


転。

モノクロ。
電報を受け取るや否や、飛び上がって、舞い上がって、モンテカルロ・ラリーをノリ通して既にくたくたのフォード・マスタングに飛び乗り、そのままそれを乗り潰す気で、夜のモンテカルロを発ち、アンヌの待つパリへと向かうジャン。
カラー。
ガソリンは当然足りない、だから道中、真夜中のガソリンスタンド、宿直の店員を叩き起こして店員の手間賃の要望通りに、釣り銭なし、まとまった金でガソリンを入れてもらうジャン・ルイ。ガソリンを入れてもらう間、ただぼーっと待ってることもできず、気分を落ち着かせるために煙草に火をつけて、案の定店員に注意される一幕も。
モノクロ。
ある種無謀な激情に支配されていた彼は、しかし車を走らせている間に、感情は収まり理性に支配されていく。
「どう彼女に声をかけようか」「叩き起こそうか」「彼女は何階に住んでいるんだ?」「管理人に尋ねよう」「警戒されるかもしれない」「事前に電報を入れようか」「それも決まり悪いな」と考えが堂々巡りした挙句「目的地に着くまでになんか良い手を考えよう」と結論を先延ばし、先延ばし。

カラー。
ジャンは泥だらけの車になって、朝焼けのパリに到着。
アンヌのアパートの1階の管理人さんに電凸。3階に部屋があると聞くや、階段上がって降りてきて。ジャンは「いないぞ!」と叫ぶも管理人に「しらない」と即答される。そりゃ見た目不審者だもんな。
しおしおと車に乗ろうとして、しかし思い立って、「警官だ!」と偽り「浜辺に行ったよ!」と聞くや否や、車に飛び乗るジャン・ルイ。
そのまま今度は6000キロ離れたフランス大西洋岸のリゾート、ドーヴィル目指して。

カラー。
モンテカルロよりもはるかに快活にマスタングをかっ飛ばし、たどり着いた浜辺で姿を探すジャン。浜辺にいるアンヌの姿を認めるや否や、飛び上がって急いでアンヌと抱き合う、僕らのジャン。

これで終局であればイマドキの映画なのだが、もう少し話は続くんじゃよ。


結。

モノクロ。
ふたりは激しく交わる。・・・しかし、愛を確かめる瞬間、アンヌは亡き夫のことが脳裏をよぎる。
カラー。
アンヌとピエールの楽しい日々。雪の中を一緒に転がったり、デートでスイーツを食べたり買い物したり、白馬で2頭並んで走ったり…。
モノクロ。
アンヌが男に抱かれている時、その視線はあらぬ方向を見つめている、心ここに在らずといった感じ、上手い。結局、抱きしめあっても、2人の間に悲愁だけが尾を引くばかりで。アンヌとジャンはそれぞれに、タバコをくわえ、アンヌはその場を逃げ出すように、「…一人で列車に乗ってパリへ帰る」 と、バッグからタバコをとりだし、ベッドから離れる。ジャンもまた、タバコを口にくわえながら、ベッドサイドの電話からフロントにかける。 「部屋の勘定とパリ行きの列車の時刻を…」 モノクロームの画面に紫煙が浮かんでいる。
ジャンの車に送ってもらう形で、アンヌはパリ行きの汽車に乗り込むことにする。

カラー。少し時間を巻き戻して。
ネオ・ノルマン様式のホテル・ノルマンディーの建物にふたりは入った。ホテルのレストランで食事中のふたりは 「ご注文は何になさいますか?」と聞かれ 、「部屋をひとつ」と答える。時系列順にこのシーンを挿入するのではなく、男と女がホテルを立ち去った際:幸福の絶頂期として振り返る形で挿入するのが、上手い。

モノクロ。元の時系列に戻って。
人気のないプラット・ホームではアンヌと別れ、車に乗り、パリへの道を走りつづけるうち、しかしジャンは、彼女への慕情が再び燃え上がるのを押さえることが出来なくなる。
乗換駅へ先回りしたジャン・ルイはホームでアンヌが乗る列車を待つ、じりじりと待つ。止まった列車から、中からジャンの姿を確かめた、驚きと喜びを隠し切れないアンヌが駆け下りてくる。そして2人は再びひしと抱き合うのでした。
カメラは2人の周囲をぐるりぐるりと回る。「さっき別れたばかりやん!」のツッコミ他所に、まるで二人の再会を祝福するかのように。ダーバダ、ダバダバダ_とフランシス・レイのボザノバ調の主題曲で、映画は終わる。


本作に関する個人的な思い出。

クロード・ルルーシュの名前は知っていたが、中々ソフトでも配信でも観る機会が少なく、彼の初監督作品体験は、来る2021年東京オリンピックに向けた自らの期待値を高めるために視聴した、1968年にフランスのグルノーブルで行われた第10回冬季オリンピックの記録映画である「白い恋人たち」。市川崑の「東京オリンピック」を意識したかの様な、バストとクローズアップを使い分けるカメラワークが印象的な作品だ。

オリンピック・ロス後にふと見たのが「男と女 人生最良の年」。『男と女』の印象的な場面を回想のように使いながら二人の52年後を描いた、まさかの、そして一見遅すぎるに見える完結編。

1930年12月11日、南フランスのポン・サン・エスプリで生まれたジャン・ルイ・トランティニアンは撮影当時90手前。1932年4月27日パリに生まれたアヌーク・エーメと対して年齢は変わらないのだが、「男性は女性より老け込みやすい」と言えど、その老け込み(ぶりを強調したかのような、隠さない横顔の皺)が衝撃的で。
そんな第一印象を吹き飛ばすかのような、決して退屈にはならない、ルルーシュもキャストも、誰もかれもが老いても衰えぬ、話運びは、今は亡きフランシス・レイの永遠のテーマに乗せた調べで。
共に心に深い傷…というよりは、過去に恋に落ちたけれども、結局二人は結ばれず。男は過去の記憶を忘れ、女はその記憶の糸をたどるかのように、やさしく、恋人のように母親のように男に語り続ける。常に晴れているにも関わらず、なぜだか、曇りや雨であるかのようにしっとりとした感じが、映画に気品を生み出している。
それでいて、過去語りの老人の物語になりすぎず、いまを生きる二人は非常に凛々しい。そう、木漏れ日の中をさあっと快活な音を出して駆けていく、ジャンがハンドルを握る、年代物でもなお盛んなシトロエンCV-2のように


子の完結編と異なり、オリジナルはなぜか配信に恵まれておらず、先般の午前十時の映画祭にて、ようやくオリジナルの「男と女」を見る機会となった。待ち遠しかった、同監督の「愛と哀しみのボレロ」と合わせて。
総じて、滑らかに流れるような印象的な横移動のカメラ、フランシス・レイが奏でる哀愁漂う“男と女のテーマ”に、監督のメカフェチぶり、激しいカーレースや撮影現場他運動への関心、要はオタク的なスパイスをまぶしていているのは、完結編と同じ。撮影を兼任する監督がカメラで遊んでいるのが、みていて心地よいのも、完結編と同じ。
もちろん、オリジナルのほうが、三十代の私には、ダイレクトに突き刺さる。まるで、半世紀前のフィルムに焼き付けられた、自分と同年代の、仕事と生活と恋に生きる「彼ら」が、いまを生きている感じがする。


シネフィルや当時青春時代を過ごした甘酸っぱい少年少女に限らず、自動車ファンにも楽しめる一作。劇中何度も挿入される構図:浜辺を歩く犬と老人のカットのように、何度でも見返したいオリジナル版「男と女」。


…だからこそいう、配信はどこだ?

原作・監督・製作・脚本・撮影:クロード・ルルーシュ
音楽: フランシス・レイ
出演: アヌーク・エーメ ,ジャン・ルイ・トランティニャン, ピエール・バルー
1966年カンヌ映画祭グランプリ,アカデミー賞外国映画賞・オリジナル脚本賞,ゴールデングローブ賞外国映画賞・主演女優賞


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