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手法は強烈、だけど恐ろしく地味。とても不思議な映画「FOUJITA」

寡作のひと:小栗康平が、1920年代からフランスを中心に活躍した日本人画家・藤田嗣治(ふじた つぐはる)の半生を、オダギリジョー主演で映画化した2015年の映画「FOUJITA」より。

藤田嗣治は幼少期から絵画の才能を示し、早くから美術教育を受けた。彼は東京美術学校(現在の東京藝術大学)に進学、1913年、27歳で単身フランスへ渡る。
映画はここから始まり、その後、藤田が「乳白色の肌」で裸婦を描き、40年に帰国し、戦時下で戦争協力画を描き、疎開先の村で敗戦を迎えるまでを、粛々と追いかける。

とはいえ、そこは小栗康平監督らしいタッチ、高々とは、くどくどとは、語らない。つまりは、

フジタはパリで酒池肉林に耽る。
帰国してみれば、自由気ままが許されない時代がある。
それに嫌気がさして、フジタは次第に山の奥へ、奥へと引っ込んでいく。
…ふと気付いてみれば、戦争は終わっていた。

といった、よう。


時たま思い出したかのように気ままに付けた日記の様な、フジタの周囲の断続的なスケッチを、監督は、一本の紐で、一冊のノオトへと綺麗に綴じ上げている。一本の紐とは何か。それは、始終暗く静かな、徹底的に冷え冷えとした映像だ。
 
日本編は、すえた匂いの湿ったページに記される。
田舎から里山へ、里山から奥山へとフジタは住処を移す。
人の気配が、ページをめくるたびに消えていく。
…戦争で人が次々と死んでいく
「しかしフジタにとっては他人事である」のを示すかのように。

パリ編は、白く輝くページに記される。
描かれる絵は「天井座敷の人々」の世界。
これもまた、(フジタにとっては喧騒も)他人事であるかのように、抑揚を抑えて切り取っている。

いついかなる場所でも、外界の風景を すべて一枚のキャンバスに  閉じ込めようとする 藤田の姿勢が、清冽に描かれているのだ。


さて、出来上がったノートを覗いてみる。
記述は飛びがちで、時に辻褄が合わない。
しかしその合間を想像させる大きな余地が確実にある。
大方のいまの映画ならオミットされるに違いない、誰もいなくなった部屋に残された空虚な時間とか、風景を撮っているように見えて空気の温度や匂いを撮っているカットとか、それらが何と哀しいことか。ほんの僅かな香水を寝室に漂わせたかのような、高級な香りのする、静かな映画なのだ。


【スタッフ】
監督   小栗康平 脚本   小栗康平
【キャスト】
オダギリジョー 、 中谷美紀、 アナ・ジラルド、 アンジェル・ユモー、 マリー・クレメール

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