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タイムリミット(続編)

 腰の時限爆弾を抱えながら迷わなければ徒歩二十分のニトリまで、寝たままで取り組む執筆用のマクラを買いに行った。

 ようやく最近になって「執筆」というすこし本格的に思える言葉を使っても、背中がこそばゆくならなくなってきた。こうして本題とは無関係な内容に、何行かを割くところは相変わらずだけれど。

 マクラの見立てにあたっては、事業所一世話好きの元整骨系ヘルパーの弁慶さまが特別につき添ってくれた。
 もうひとり、こちらは事業所一甘いマスクのRちゃんがもともとの今日のシフトで来ることになっていたので、「透明感のあるドス黒さ」というチンケな表現がピッタリな三人連れになってしまった。
 
 ぼくと弁慶さまが話しだすと、五分で済む内容がヘタをすると一時間をこえる最強最悪のコンビだし、Rちゃんはシャイが基本の青年だ。
 すぐに外出できるように、実直を絵に描いたような朝のヘルパーさんが電動車いすを操作するところまでセッティングして帰ったというのに、Rちゃんをネタにしてとてつもなくダバナシ満載のひととき、いや、ふたとき、みときが過ぎていった。
 ただ、このふたとき、みときがその後の有意義な一日につながるとは思ってもみなかった。

 電動車いすをスムーズに操作するためには、かなり複雑な手順を重ねなければならない。
 その日によって変わるお尻のベターなポジションを調整したり、肩甲骨と背もたれの間や脇腹にクッションを挟んだり、不必要な動きと硬直が起こらないように、感覚を研ぎ澄ませながら慎重に手先足先から全身までのトータルした電動車いすで「歩く」ためのコーディネートをヘルパーさんとの協同作業で仕上げなければならない。

 すこしだけ自慢をすると、左腕が車いすの外へ飛びださないように拘束しているベルトは、どんなに柔らかい素材を使っても長時間だと肉に食い込んで痛くなる。
 オジサンになると、痛みにはめっぽう辛抱が効かなくなってしまう。
 そこで、水まき用のホースにベルトを通して止めるアイデアを思いついた。これなら、筒状だから食いこむ心配はなくなった。
 
 ここだけの話、以前の車いす業者の地区担当さんとはソリが合わなくて、そちらへ相談するよりもアウトドアの店をのぞいたり、ホームセンターへ行ったりして、ちゃっかり商品選びから装着まで、スタッフさんにお願いすることも普通だった。
 いまは車いす業者さんとなんでもお願いできる間柄を築いたかわりに、すっかりおまかせになって気のいい作業療法士さんと先に登場している整骨系ヘルパー弁慶さまが知恵を出し合い、ずいぶんぼくは自分のコトながらラクをさせてもらうようになった。
 いいことなのか、よくないことなのか、定かではない。

 話をもどす。
 操作にかかわって一番ポイントとなる指先とコントローラーレバーの距離を調整しているとき、Rちゃんが肩甲骨にあてがったクッションの入れ具合で、ぼくとの感覚を通わせようとしていると、不敵な笑みを浮かべながら弁慶さまがチョッカイをかけてきた。
 「やっさん、Rくんはゲームの道をひた走っているでしょ。だから、パソコン画面とゲーム機を手にした自分との距離なんか、十センチよりももっと細かいところで、うまく戦えるかどうかを体感しているわけです!そういう面では、やっさんの繊細すぎる指先とコントローラーレバーとの距離や角度の違いを、Rくんは身にしみてよく理解できるはずなんですよねぇ~💗」

 シャイなRちゃんは苦笑しつつも、まんざらではない表情だったし、ここで長話に乗ってしまったら腰が持たなくなるとの「気づき」は意識しながらも、暴走に手を貸してしまった。いや、いっしょに暴走してしまった。
 「わかるわぁ!ホンマにわずかなズレで左右されるんやがな。オレなんか、そんなもんミリ単位やで!」
 「ですねぇ↝💗」
 周囲に共感を得たときの弁慶さまの相づちが炸裂した。
 
 そこから、今度はぼくのブレーキが効かなくなり、車いす業者さん渾身の名作の太さとフィット感の絶妙なコントローラーレバー(ページトップの写真)の話題へと移っていった。
 腰痛の影響で絶対の自信をもっていた電動車いすの操作もおかしくなり、まさに悪循環で硬直が拍車をかけ、旬の食材をもとめて市場へ出向くことさえ億劫になりかけていた。
 それが、まさかコントローラーレバーが交換されただけで、全身がリラックスして、還暦を過ぎたいま、電動車いす運転歴四十年の中でも最高レベルに達するとは、真剣に想像できないことだった。

 さて、コントローラーレバーへの想いをひととおり語ったところで、ようやく出発となった。
 上天気だった。
 日ざしを避けて建物の陰を選んで歩くと、西向きの風が心地よかった。
 普段のナワバリと微妙にズレていて、予定通りではなく最良の偶然が重なって、幹線道路の段差だらけの首に堪える歩道へ出ないまま、目的地のニトリへ到着することができた。

 執筆用マクラの購入場面については、さほど特別なエピソードはなかったので、先を急ぐ。
 
 Rちゃんのゲームの腕前は、適度な相当さらしい。
 彼の得意とするカテゴリーの大会では、予選を通過することも難しいという。かといって、職場では向かうところ敵なしだそうだ。

 Rちゃんはぼくがいちばん暴走する社会ネタが苦手なようで、冴えない表情に変わるので、いつごろからか避けるようになっていた。

 出発前の繊細なゲームに取り組む話を聴いていて、いつもは避けている社会ネタをRちゃんにふってみたくなった。
 思いつきで話してしまうぼくなので、詳しい内容は忘れてしまった。
 ただ、一人ひとりの自由についてや「障害」に関わる生きにくさなど、心から頷いてくれているようだった。
 これからは、丁寧に話をしようということになった。

 ところで、前回の「タイムリミット」で、大事なことを書き忘れていた。
 だいたいの痛みの目安になる二時間を超えても、いつもより硬直が半端なく激しかったり、お天気が下り坂だったり、悪条件がそろわなければ一定のガマンを利かせることができる。
 ただし、家に入るまでは…。

 いちいち外付けのスロープを設置して上らなければならない玄関をクリアして、四畳半を数秒で通過すると、ぼくの部屋が待っている。

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ベッドに車いすを横づけして、移動用のリフトを準備しはじめると、急激に腰の鈍痛にキリキリ感が加わってくる。
 もちろん、不規則な手足のバタつきでヘルパーさんに強烈なパンチや膝蹴りを食らわせることもままにある。
 
 ところで、自分の部屋に入った瞬間にガマンできなくなる痛みは、わが家が見えるとちびりそうになるトイレの感覚と瓜二つではないだろうか。
 思わぬところで共通点を見出して、ぼくはハタと考えてしまった。

 なんとか痛みも、トイレも、メンタルでコントロールできないだろうか。
 いくらお腹を下していても、家が見えるまではガマンができる。
 「無の境地」に達することができれば、かなり解決できるのだろうか。

 丁寧な関係性の構築と、無の境地はどこかでつながっているような気がする。
 
 でも、すべての人とうまくつき合うのは至難の業だし、これからちびる場面も増えていくだろう。
 すこしでも改善をめざすべきか、ある程度は現実は受け容れるべきか、やっぱり「バランスよく」がぼくらしいかもしれない。

 「トイレ」へたどり着くまで、ずいぶん時間を費やしてしまった。

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