間(ま)
ぼくの中で親友と呼べる三人のうちのひとり「中村ブー」が、妙にしみじみと言ったことがある。
「オレなぁ、パチンコとウマと麻雀、みんな好きなんやけどな、あえて順番をつけるとな、麻雀が一番で、ウマが二番で、パチンコが三番目なんや」
深い理由は訊かなかった。
「やっさんも、麻雀を覚えようなぁ。あれは運と実力が半々ぐらいやさかい、めちゃくちゃオモロイと思うでぇ」
世の中に三人しかいない親友の一人のブーの誘いとはいえ、どうしても乗り気にはなれなかった。
「テレビで麻雀してる場面を見とったら、ポンポンとパイを捨てたり、並べ替えたりしていくやん。誰かに手伝ってもらわなあかんやろ、あのテンポで打たれへんしなぁ。ほんで、オレは長考してしまうタチやしなぁ…」
けっきょく、麻雀仲間には入らなかった。
大阪へ出てきたころ、施設からのひとり暮らしに力を貸してくれた人たちの中には、喫煙家が多かった。
自分で吸うことができなくても、介助者のサポートで完結していた。
ぼくは強烈な記憶から逃れられなくて、タバコはトラウマ中のトラウマだった。
四才ぐらいだっただろうか。
ヘビースモーカーだったオヤジが、冗談でぼくにくわえさせたのだった。
息を吸いこんだ途端、目から火が出るほど咳きこんでしまった。
「タバコなんか二度と口にしたくない」
思春期のころ、養護学校の寄宿舎でも隠れて吸う友だちがいた。
でも、ぼくは理屈なんかじゃなくて、四才のころの記憶が心を動かさせはしなかった。
トラウマだけではなく、タバコから遠ざかる根拠がぼくにはあった。
喫煙のサポートを受けているところを見ていて、ひとつの疑問が湧いてきた。
息を吸ったり、吐いたりの呼吸は第三者では計り知れないのではないか。その間合いこそが、タバコの醍醐味ではないのだろうか。
喫煙している当人に訊くこともなく、興味をそそられることもなく、世の中は愛煙家につらい時代になっていった。
子どものころから、仕切りなどを割愛して取り組みだけを放送する「大相撲ダイジェスト」があった。
オヤジは勝負だけを流すダイジェストが、まどろっこしくなくて好みだったようだ。
ぼくは正反対で、仕切りのうちに展開を想像したり、観客の歓声にいっしょになって興奮したり、その道筋があっての大相撲だった。
介護は、サポートする側とされる側の協働作業だと、ぼくがお世話になっている事業所の人たちは話す。
角度を変えて言葉にすると、おたがいの呼吸のはかり合いではないだろうか。
とんでもなく硬直しているときでも、サポーター(ヘルパー)に力を抜かれると、のけ反ったり、縮こまったりしようとする緊張は行き場を失う。
硬直はわざとではない。
それでも、リラックスしようと必要以上に思ってしまって起こる結果だから、意識と無関係ではない。
だから、無理やり抑えこもうとして力任せでこられると、「必要以上」がよけいに強くなって逆効果になりやすい。
スキルの高いサポーターさんは、おたがいの呼吸の間を取るワザに長けている。
思春期のころ、ぼくも何通かのラブレターを書いたことがある。告白する勇気はなかったけれど。
いつも、一週間ほどで返事が届いていた。
正直、一週間は長かった。
でも、相手の気持ちを想う時間は自分を見つめる時間にもなった。
最初に登場した中村ブーは、盲学校の寄宿舎で働いている。
いつもブーは言っている。
「オレな、卒業してからも教え子とつき合っていきたいんや」
高校時代、文化祭で柔道着をピンクに染めてドラムを叩いていたという彼も、いろいろな肩書きがつくようになり、教え子と呑みに行くようなソフトな関わりをもつ合間がないらしい。
でも、そういえばよく話している。
「来週の日曜日はな、視覚障害者のバレーボールの試合があるんや」
いくつになっても、携帯から聴こえる声は舌足らずでお人好し感満載だ。
時代よ、急ぐな!
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