お墓について思うこと

僕は自分がこの世から去ったあと、
墓に入れられるのが怖い。と言うか絶対に嫌だ。

小学校の時、父親が頼まれ事で墓の修繕をやってたところにお昼ご飯を持って行ったことがある。

その時、父親に墓の中を見るな
と言われたが、無視して中を覗いた。

鉄筋コンクリートで囲まれた地下の暗室って感じ。
四壁に打ち付けられた棚にたくさんの骨壷が並んでいた。
僕がみたのは、プロパンガスのガス管のミニチュアみたいなものだった。

それをみて僕は、
死んだらこんなところに入るのかよ
二度と空を仰げないのか。。
なんて思ってしまった。


それから、身内が亡くなることは一度としてなかったので、別に墓のことなんて忘れていた。


さて、最近、祖父が亡くなった。
父方の祖父だ。

僕の祖父は所謂本家から分家した長男で、親に勘当されていた。

だから新しく墓を建てる必要があった。

僕の父には弟がいた。要は叔父だね。

僕はこの叔父に、少々生活の面倒を見てもらっていた。

父は、僕が19歳の時に倒れたまま今でも第一級の身体障害者だ。
頭の中は小学生、体は半分動かない。

父がこんなだから叔父が葬式などの手続きを行っていた。

僕は叔父の使いパシリとして動いていた。

その叔父に会うたびに言われるようになった。

葬式代は俺が出す。
墓石代は俺が建て替えておく。出世払いだ。
永代料はお前が払いつづけろ。
新しい一族の墓は長男の息子のお前が管理しろと。

僕は咄嗟に、小学校の時のあの墓穴を思い出した。

今までは冗談半分に、俺の骨は伊豆の海か群馬の山に撒けと家族に言っていた。

しかし、その瞬間、目の前に選択肢を突きつけられた。

墓に入るか 自然に還るか

僕はあの棚に置かれた骨壷を思い出して気づいた。

あの骨壷の人たちは、まだ死にきれてないんだ
ってね。
死んでも尚、地上で生かされてるんだと。


叔父の言葉は適当に受け流してた。

そのうちに、墓というシステムについて思いを巡らせるようになった。

それからは
墓に入る当たり前
に疑問を持つようになった。

なぜ、墓に入らなきゃならないのか。

その内に気づくことがたくさん出てきた。

この地球は、常に100%のエネルギーで保たれていて
101%になることはない。

ひどい例えをするなら、
人が1人生まれるために、目の前の人間が死ななきゃいけない。
足元のアリが何匹か死ななきゃいけない。

どこかの草木が枯れるか燃やされなきゃいけない。

ということだ。
なぜかと言うとこれが、宇宙の法則なんだよ。
それはごめん、言い表しようがない。
インスピレーションってやつだ。

つまり、この気づきを墓にこじつけるなら、

地球のエネルギーを借りて作られた体の一部を自然に還さず、保管しておくということは、
この地球としての生命のライフサイクルを人間が止めてることになる。

人はこう言う。
先祖の方を供養することは大事なことだ。
墓は必要なものだ。

長いことシキタリとして残ってて、
本質に気付いている人はどれだけいるのだろうか。

なぜ?それが必要なの?
って聞いてみな。

それが当たり前だからだ!
としか言えないから。

当たり前論者を信じるな
ってのが僕のポリシーだ。

先祖に想いを巡らせる。
自分があるのは先祖があってのことだ。
そういうことを省みて、自分たちの軸を定期的に戻す。

人はいつだって、社会というコミュニティを作っては遠い未来を夢見て前のめりに前進することを考える。
だから、時折、遠い過去に想いを巡らせることで、
今というこの瞬間の大切さをら思い出す。

僕は墓の本質はここにあると思う。

だって死んだ人間はもうこの世にいない。
どれだけ想いを巡らせても、
全く同じ人間は戻ってこない。

てことは、墓というものは、
今ある地球を生きてる僕らに対する戒めの象徴だ。

墓は立てなければいけないものではない。
先祖を省みることは、墓以外でもできる。

たとえば、僕は、
一族のルーツが知りたくて、親戚中の資料をひっくり返して、昔話に耳を傾けた。

先祖のことを知ることで、いつだって自分が持って生まれたその能力や考え方、この身体に感謝ができる。

そう言うものを伝記本として、一族で取っておいてもそれは墓の代わりになり得るだろう。

僕が何を言いたいかというと、

死んだ人間の骨という象徴が必要なのではなく、
目に見えない意思、引き継がれる意思に想いを巡らせることが重要なんだ。ってこと。

ただ、全員が全員そんなことをできるわけじゃない。
もちろん、墓というシステムをぶっ壊したいわけじゃない。
だって、それを収入にして必死に生きてる人たちもいるから。

だけど、骨はいらないだろう。

石だけで十分なんだ。

意思(イシ)を石に刻む

同じ音を使う物事にはちゃんと関係性がある。
偶然ではない。

ただこれだけでいいんだ。

意思が宿った石を見て、先祖を思い出す。

それだけで十分だ。

なぜ、今を生きる人たちが、
亡き人たちのために、毎月10万ほどの金を住職に収めなくてはならない?
しなくてはいけないという認識の全てが、今の若者の多くを殺すと僕は思う。
もちろん救われる人がいるのも然りだが。

住職の方は葬式でお会いしたが、とても強いエネルギーを持った人で、僕の中身も見透かされている感じがした。

とても素晴らしい人だった。

だから、それが仕事ということを心得ている。
おそらく、割り切っているのだ。
悟りを開いたからこそ、現実社会との付き合い方で苦しむこともあるのであろうきっと。

しかし、僕がこの本質とルールの乖離に気づいた以上

もう現代にこのお墓システムは
しなければいけない
というものではなくなった。

このことを少しでも言うと、
誰かの受け売りの死後の世界を説いては、
お前は地獄への切符を手にしたな

なんて脅してくる人が90%だった。
ま、気にしてねえけど。

死後の世界は今を生きる人間には重要なことではない。

地獄も天国も、この身体を使ってその目で確かめてきたやつはこの世のどこを探してもいない。

宗教が嘘っぱちだと言いたいんじゃない。
どんな新興宗教だろうと一つのアートだ。
それを貶す権利は誰にもない。

僕は人の心や死後の世界だって信じてる。

でも地球を生きてるうちは別問題だ。

僕たちはこの地球を生きてる。

叔父に言った。僕が、一族の代表なら代表として言わせてもらう

墓なんてこの一族にはもう必要ない。
僕の家族は墓を建てることに一切関与しない。
だから墓を建てたきゃ自分で建てろ。
ってね。

叔父は爆笑した。
こいつはとんでもない大物になるぞ!
みんながびびる死後の世界に下剋上を突きつけたんだからな!
よぉ、おめえよ、俺にはそんな勇気はねえな。
親父の墓は俺が立てる。
墓の管理もうちの家族で管理していく。

お前らは海に撒こうが土に撒こうが勝手にしろ

その代わり一切、手助けはせん。


と言い放たれた。

叔父は、俗に言う夢を叶えた人だ。
さっぱりしてるし豪快だ。


叔父には感謝してる。

僕は、自分の息子、孫、、、
今まだこの世に誕生してない自分の子孫に
生まれる前から、必要もない借金を作ってやりたくない。

僕と同じように墓の管理代に苦しんでる人たちは
もう大丈夫。
未来を案じてるそこの君ももう大丈夫。

と言って肩をたたいてあげたい。


そんな妄想をしてクスクスと1人で笑ってる、
オオカミ少年でした。


話は1割ね。

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