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やってみた。1、散歩

散歩はめちゃめちゃ奥深い。
今思えば、散歩を始める3カ月前からお知らせは来ていた。
あるワークショップに参加した時のこと。
このワークショップの講師は日本に1人しかいなくて世界でも3人しかいない貴重な講座。抽選で80名が選ばれた。
会場は80人ぴったり。
講師が時間通りに入ってきた。
恰幅の良い、ヒゲ面の全身黒のTシャツとパンツにサンダル姿。
なんかいかにも宗教家のような姿。笑
その講師が受講者80人のまわりをゆっくりと歩く。
そして、前に立ちこう言った。
「みなさん、こんにちは。みなさんの足は散歩していないですね。」と。
いきなり、なにごとかと思った。
そこからしばらく散歩の話が始まった。妙に納得した内容だった。


「散歩とは、目的を決めず荷物を一切持たずにただ歩くことです。
買い物のついでに歩くことは、それは散歩ではなく買い物です。通勤中に一駅前で降りて歩くことは、散歩ではなく通勤です。」
なるほど。
講師は「ワークショップに参加するよりも散歩が重要です!笑」
と言っていた。
その時は「へー。そうなんだ。なんでだろう。」とは思ったけど散歩はしなかった。
今ならその理由がよく分かる。
それから3カ月がたったある日突然、散歩が始まるきっかけがやってきた。

9月後半の気持ちいい季節、軽井沢キャンプへ。
お客さんに「キャンプ行くんですけど行きます?」と誘われ「行く!」と即答して決まった。しかもキャンプ日はそのお客さんの仕事が入っている日だったけど、ずらしてくれた。
キャンプは初めてだった。
夜遅くまで焚火をしながらお酒を飲んで楽しい時間を過ごした。
そして翌朝、みんな6時に起きてキャンプ場の森をそれぞれ散歩し始めた。
正直眠かったけど、私もつられて起きて散歩した。
これが散歩にはまるきっかけになるとは夢にも思わなかった。。。

すっかり目が覚めるほど、あまりの気持ちよさに感動した。
森の空気をたくさん吸って、全身に澄んだ空気が行き渡る感じ。川の流れる音や鳥のさえずりを聴きながら歩き、そしてベンチに座った。いつまでもここに居たい気分だった。
何も考えず、ただ自然と一体になり、昇る朝日を浴びていた。
朝ってこんなに気持ちがいいんだ。寝ているのはもったいない。と思った。
その日は東京に帰る日だけど、翌日にまた来てしまおうかと真剣に思ったくらい名残惜しかった。
そして翌日から朝の散歩が始まった。自分でも意外だった。

私は朝が苦手だった。
どうやら赤ちゃんの頃かららしい。
小学校1年生の時から電車とバスを使って約1時間半かけて通学していた。
だから朝は毎日早起きだった。
ほぼ毎朝グズグズしていた。
時には眠すぎて「休みたい」と母に言うと「近所の学校へ転校させるわよ!」と脅され、渋々起きて行ったのも一度や二度ではない。学校へ行けば楽しくて放課後まで遊んでいるのだけど。とにかく朝だけがつらかった。
私は小学校に入るまでマイペースだけど内気な子で両親が心配したほど。笑
なので、私に合った学校を探し回ってくれて見つけて入れてくれた学校だった。学校に入ったらすっかり外交的になった。笑
親からは「遺産はお金ではなく教育で残す」と言われていた。私の価値観の礎になっている。がんばって早起きしてよかったと今ではとても感謝している。

話を戻すと、それから毎日散歩が始まった。
朝日を見るとエネルギーが湧き、あの美しい太陽が見たいと思うと起きられた。
真冬は散歩のために分厚いダウンを買い、何重にも着込んで散歩した。冬は空気が澄んでいて、霜がキラキラして本当に美しい。気持ちがいい。
歩いているときはとくに何も考えないことが瞑想状態になっている。
毎日同じ道をただ歩く。
そうすると、ほんのわずかな季節の移り変わりに気づく。
気温や葉の色、花の咲き具合、自然はちゃんと動いている。その準備も行われている。
当たり前だけど、その微細な変化に気づく。
この、ほんのわずかな変化に気づけるようになることが最も大事だと気づいた。
季節はもちろんのこと、自分のほんのわずかな心の違和感や一致感、内なる声に気づくようにもなった。情報が多く毎日が忙しいと気づけない、ほんの小さな変化に気づくことが本来の自分でいられるようになる大事な一つだった。最初は小さな内なる声も次第にハッキリわかるように聴こえて来た。

そしてある時、毎日見ている木々がそよ風にのって歌っているように見えた。散歩している犬が嬉しそうにリズムをとって歩いているように見えた。
それはまるでディズニーアニメの世界のようだった。笑ってしまうほどハッキリとそう見えた。
桜が満開の時にはあまりにも美しすぎて、桜のエネルギーに圧倒されて、ここは天国なのではないかと真剣に思った。笑

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そして、微細な変化に気づいていくと、自分の中の答えが出始めるようになった。
それまでは、ただ散歩しているだけでいいのか、と思うこともあった。
でも、歩いている時にふと答えが出たり、自分のやりたいことが湧き出たりする瞬間がある。
散歩以外でも出る時はあるけれど、自然の空気を感じ、鳥や木や花や虫の生命を感じ、無になれる。
このエッセイのコンセプトやストーリーも全て散歩中の発想だ。
他にもコミュニティを新たに立ち上げようと思ったのも。

今のコースは、神田川沿いの桜並木と決まっている。

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たまに飽きると井の頭公園の池の周りを何周か歩くコースにする。
コースを決めていると、道に意識を向けず余計なエネルギーを使わずに済み、リラックスできる。考えたいときは集中できる。
つまり、自分と向き合うには最高である。無料だし。健康にもなる。
普段でもどこへ行くにも歩きたくなるし、歩くことが苦ではなくなる。歩かないと気持ち悪い。すっかり習慣化した。
どうせ歩くなら姿勢も治したい。胸から下が足だと思って歩くと教わってから意識してやってみた。今では無意識で定着している。
お尻の形もよくなる。笑
いいこと尽くしだ。
月一の旅も自然を満喫できる場所を選ぶので、着くと散歩コースを調べる。笑
誰もいない透明の海の砂浜で、貝殻を見つけながらひたすら歩く散歩、石が波に押されて動く音を聴く散歩、朝日が昇る景色を独り占めできる丘を登る散歩、冬に森で深い静寂を味わう散歩。きっかけになったあの軽井沢の森もまた歩きたい。

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散歩は一つの手段だけれど、本来の自分を思い出すことや至福で生きる日常になるためには、微細な変化に気づく自分になることが大事。散歩はかなりおススメしたい。
宗教家のような講師が散歩を薦めた意味が今ならよくわかる。
散歩を始めた当初は、まだ散歩の良さがここまでは分からず、その講師の言葉を信じて、きっと何かあると思い、続けたときもあった。
継続が大事なので、最初は無理のない範囲で5分でも10分でも散歩することをぜひお薦めしたい。


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