自分のために生きていたから、やめる
昨日まで、ただ生きることがつまらなくなっていた。
それは自分のために生きていたからだと気づいた。
本来、自分のために生きるのではなくて、
そもそも生きることに目的や意味をつけたら解釈になる。
ふと、色々なことが繋がった。
ただ生きるってところにはなっていたけど、
それでも自分のためだと思っていたから、
これでいいのか?と思ってばかりで
なかなか気づけなかった。
しかし、お知らせはいくつも来ていた。
その1
昨夜見た夢。
実家にまだ住んでいた頃の私。
母に頼まれ母の友人に電話している。
→母だけが夢に出てきた。また一緒に暮らしている感覚を味わえた。
その2
以前noteに書いた『魂の目的』が、最近立て続けにスキを押してくれた方々がいて、改めて読み返した。
→そこには本来の自分でいることが一番貢献だと書いていた事を改めて思い出す。
その3
「僕は死なない」という本。
ガンステージ4の人が完治した内容。ガンになったおかげでお父さんとの関係性が、過去世カルマまでも癒されていく。
病気はギフト、自分で生まれる前に計画してきている
→私も持病になって生きることを無意識にあきらめていたと気づき、娘に「生きていてくれてありがとう」と言われ、ただ生きると決めた事を改めて思い出す。
私も父や母にはただ居てくれるだけ、生きているだけでありがとうと思う。
両親も私に同じ気持ちだと思う。
私は娘に対してそうだから。
きっと娘も同じ気持ち。
以前、胎内記憶のドキュメンタリー映画でインタビューを受けた子どもたちが皆んな「人を助けるために生まれてきた。特にお母さんを」と言っていたことを思い出した。
やっぱりそうだよね。
やっぱりそうだ。
誰もが、存在しているだけで、誰かのためになっている。
誰かのために何かをする、というよりは
本来の自分で生きていれば、誰かのためになる
生まれた直後は知っていたのに
皆んな忘れて自分のために生きている。
自分の成長
自分の学び
相手のために何かする、というのも自分のため。
○○のため、は条件付き。
今自分にスペースを空け、整える日々を過ごしているのは、大切な人たちが毎日幸せに過ごせるためなんだ。
生まれたのは
大切な人たちが、私のことをただ生きていてくれたらいいと思ってくれているのだから、それだけをやる。
自分のために生きることはやめる。
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