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人は執着があるから生きていける

よく、執着があるから手に入らない、執着を手放しましょう!と聞く。
一体、執着ってどうやって手放すの?
手放したいのはやまやま。
そう思っていた。

今、思うことは、執着は手放そうとして手放せるものではないのでは?
手放そうと思っていること自体が執着だから。笑
わかりにくいかもしれない表現だけど、
今思える執着の手放し方は、

その人に合った方法と最適なタイミングでやってくる

と思っている。

だから、私が何かしてあげることは何もなく
私が体験したことを、私の体験談として語るだけなんだと思う。

私自身、生きているだけでいい。と思ったら
結果的に無意識に握りしめていた執着を手放すことになっていた。

もっと前からミニマリストが始まり、
ダボついたエネルギーを循環させていた。
そして点がどこから起点になっているかわからないほど、連鎖していて、ずっと前から手放し準備は始まっていた気がする。

自然に終わりが来て、肩の力がふわっと抜けた。
自然に始まりが来て、新しいことが始まった。

あと、思いがけない感覚が生まれた。
終わると予測していたことが終わり、寂しいや悲しいという感情が出るかと思っていたら、全然出ない。笑
なぜあんなに意味づけして終えないほど執着していたはずなのに感情がわかないのだろう。

終わったぁ、と力が抜けていっただけ。

新しい始まりも、今までなら嬉しい事のはずなのに、淡々としている。相手のニーズがしっかり見え、自分のニーズもしっかり伝え、冷静に始まった。

特に感情がわかない。

何にも感情が動かない。

また感情が動く時は来るのかもしれないけど、
今は初めての感覚。
嬉しい悲しいなどの感情も何らかの意味づけ、執着があるからわくのではないか。

そうなると、ただ生きるってなんだ?
死ぬことすら意味がない気がしている。

執着があるから人は頑張る。
一喜一憂する。人間っぽい。笑

でも、執着が無い方が断然世界はハッキリ見える。やっぱり手放した世界が良いけど。

まだ執着のない世界での生き方に戸惑っているのかな。
もちろん、ちゃんと生活しているけど。笑

終わりが突然来たから予定が急に空いた週末。
奄美大島に一人旅に行ってこようと突然思い立つ。
一人のんびり何も考えず、ただ執着なく生きてみる。



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