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「本来の自分で生きる」なんて思わなくていい

ずっとこれを目指して生きてきた。
自分らしく、個性を発揮して、
本来の自分で生きたいと。

しかし、わざわざこんな事を目指さなくていい。
すでに、ずっと、本来の自分で生きているから。

受け入れ難い自分、嫌な自分、
人に合わせようとする自分
人からこう見られたいと思う自分、、、

こうした自分を全て受け入れられるようになったら
本来の自分で生きていることになるのではないか?
と思っていたが、
受け入れようが、受け入れまいが
すでに全て自分であるわけで。

ちょっとずるい自分、
すごいと思われるような振る舞いをする自分、
自己中心的な自分、
固定した解釈から抜け出せない自分、、

でもそんなに悪くない自分、
心から誠実なときの自分、
損得なしで動ける自分、、

様々なシーンでクルクル出てくる
色々な自分。

全てひっくるめて
本来の自分。

もっと言うと、
本来の自分にも、もはや興味はない。

本来の自分かどうかはこの世で自分だけが気にかけているだけで、
これも自己中心的。

それよりも、相手の「今」がどんな世界を見ているか、私とは全く異なる世界を見ているのかに興味がある。

そこで私がどこまで理解できるか。
柔軟に受け入れられるか。
新しい世界が共創されることで何が起こるのか。
に関心が移った。

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