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うつ大学生の春休み-4月が怖い学生

先日、私は大学の卒業制作を提出してきた。それまで自宅で孤立して、初めて"死"を長い間考え続けて、苦しみ悶えてきた日々に反して、パソコンのエンター一つ押すだけで私の死闘を綴ったデータはあまりにも呆気なく送信が完了した。(うつの私が提出まで至った流れについてご興味がある方は前の記事を読んでくださると嬉しいです。)

去年までなら、大学に先輩後輩が缶詰めになって作り上げ、ずらりと並んだ作品の前で緊張に声を上擦らせる先輩と固唾を飲み見守る後輩たちがいて、発表が終わればようやく卒業だと肩を並べ飲みに行く光景が毎年繰り広げられていた。そんな景色は私の代で消え去り、発表も画面越し。今年どころか、"今年度"初めて顔を合わせた仲間たちと共にZOOMのリンクに詰められ、カメラを消し一人順番が来るのを待つ時間は、まるで死刑執行を待っているような気分だった。終わるときに残っているのは、漸く完遂したという安堵感と、少しの喪失感だった。隣で見守っていた母が「よく今まで頑張ったね」と静かに涙を流していたのを強く覚えている。

飲み会もオンライン上ではあるがゼミの同級生同士でささやかに行われた。私はうつになってからゼミに参加できず教授と一対一で進めていたため、彼らと話すのは半年ぶりだった。皆は思っていたよりも以前と変わらなかった。疲れたぁ、と口々に言いながらお互いを称えあい、時に先生たちへ憎まれ口を叩き、笑う時間は穏やかだった。はじめは同級生でも人と話すことに恐怖を感じていたが、全く私のことを気にしていない彼らに少し安堵して口を開いてみた。するりと笑い声が出た。なんだ、思ったより私も前みたいに話せる。私は退出することなく、カメラをオンにし飲み会に参加し続けた。

そう、あまりにもすんなりと周りは私の存在を受け入れ、卒業制作が終わってすぐにいつも通りのゼミが始まった。大学院2年生の先輩の追い込み、新たに入ってきた後輩や院1年生の先輩の研究の開始、その他私が休んでいた間に行なわれていたプロジェクトの途中経過報告…その忙しなさは私が休んでいた前と変わらず、周囲の学生たちも受け入れそれぞれが楽しんでいた。

私は今までの分を巻き返そうと、色々な本を買ってみた。私は、この病気になってから本が上手く読めない。言葉自体は分かるのだが、読み進めていくうちに私の頭の中の誰かが『本当に君は理解しているのか?』と冷たい視線を送る。それで集中できず、そのうち内容が入ってこなくなるといった具合だ。常に面接官に面接され恐縮している気分と言ったほうがいいのかもしれない。ともかく私は以前は文を読むこともできなかったが、卒業制作を進める上では研究の方法を別の方向にシフトさせることで何とか卒業することができた。だから今度こそできると思った。一番の悩みの種であった卒業制作が終わったのだ。すぐに元のようになると。

結論から言うと、私は復活できていない。買ってみた専門書は部屋の隅に山積みになっている。ゼミにも必死に参加しているが、私は一年前と変わらないまま、流れてくる単語をキャッチできずパニックになる日々が続いている。私だけ画面も音声もオフにして耳を塞いでいる状況を自分で許せないのにそうせざるを得ない。ゼミが憂鬱で恐怖まで感じ、前日からゼミの次の日まで多く薬を飲んでしのいでいる。

私の想像よりもずっと、うつは簡単に治るものではなかった。どこかで、うつは『心が複雑骨折を起こしている』という言葉を聞いたことがあるが、私は中途半端にくっついたまま突っ走った結果、治りかけの部分がパキパキを音を立ててまた分裂を開始していた。

心の許すことのできる友人と会話したり、遊んだりすることはできる。それは私の不安に苛まれる心を少しでも別の方向に傾けてくれる癒しの時間だ。疲れてしまうときもあるが、大好きな友人たちと画面越しでも過ごす時間は私にとって貴重だった。

でも予定を立てるたびに、もう一人の私が囁く。あんた、病気なんじゃないの。

日々更新されるゼミのスケジュール。活発に口を開くゼミ生たち。就活どうしよう、と嘆く友人の声。大学院入学手続きの案内。4月には研究予定報告書を提出しなければならない。『諦めたらそこで試合終了』。口を開く。声にはならず、いつもの愛想笑いに変わる。ただただ議論を唇を噛みしめながら聞いている。

こんな状態なのに遊んでいていいのか?専門書を開く。言葉が入ってこない。しがみつくようにゼミに参加し続ける。これ以上休んでいたらもう戻れない気がした。それどころか、私の存在していい場所はこの世のどこにもなくなってしまうように思った。だから、もう休めない。しかし話している内容が頭を通過していって止まってくれない。ならばとメモをしてみる。私の後輩たちが自分の言葉で議論しているのに、私は一語一語を辿って理解しようとしている段階なことに悔しくて涙が出る。これから始まる就活は?もっともっと、これから先自分の能力を問われる場面は増えていく。

私はこれから何をしていく?何ができる?

4月からの新生活について話す友人を前に徐々に身が縮むような気持ちになっていく。隣の、名の知らない人からも「勉強は?自分のやるべきことは?君は4月になったら何になる?」と侮蔑される妄想に駆られる。遊んでしまってごめんなさい、と帰りながら呟く。笑いかけてくれた友人の笑顔が霞んでしまう。一人で外出するときも、そう考えるようになった。

それは大学関連の活動やゼミの最中が最も酷い。友人や後輩の話ですらパニックになる私自身が恥ずかしくて情けない。文字も言葉もまともに発信できない自分が愚かしく思えて、私はある日またゼミを休んだ。

根詰まり

4月が徐々に迫っていく。今までのは助走で、新学期に入ればまた正面から自分の愚かさ無能さを突き付けられる。心が軋む。『新学期に入る時期には若者の自殺者が増える』という記事を時折目にするが、色々な事情があるとは思うものの彼らの気持ちが分かる気がした。私の将来は八方塞がりで、結果底なしの闇に飛び込み自らの存在を消しにかかりたい衝動に駆られる。生きるにしろ死ぬにしろ、この長期休暇というものは恐らく心の病んだ人にとっては何もしなくて済む安堵の期間であり、同時に己に襲い掛かる日々へのカウントダウンの期間のように思う。きっと死んだ人の気持ちを完全に掬ってここに羅列することはできないが、何となくそう感じるのだ。

こうした似たような気持ちを抱える人はこの世には自分の予想よりも恐らく沢山いる。心療内科では毎回次の予約を取るのに苦労する。たった一つの医院でも溢れるほど心に闇を抱えた人は存在するのだ。この病は目に見えないから分かりにくいが、確かにここにいる。

ある時、手違いで他の人の診断書を受け取ってしまったことがあった。病名が同じだったため初めは気づかず鞄に入れてしまったが、薬局での待ち時間にふと見返して気づき慌てて病院に戻った。何とか事なきを得たが、見てしまった診断書の症状が頭から離れなかった。名も知らない人が今まで堪え忍んで生きてきて、私の想像ではあるが潰えてしまってこれからあの診断書を片手に休学もしくは休職か、ともかく自らの人生に一旦休止符を打つのだろう。それに至るまでどれだけ苦しみ、悩み、もがいて出した結論なのだろう。何も決断できず中途半端にぶら下がっている私にはきっと到底計り知れない。

今の私は話したり読んだりすることは苦手だが、小さい頃から自分で何か絵を描いたり文章を書いたりすることが好きだったためか、時間をかければこうして言葉を連ねることができる。ここで私は、同じような境遇の人に、または自分自身に、一人ではないと語りかけたい。前回と同じような結論になってしまうが、『一人ではない』と思うことはどこか大事なことのように思う。孤独に氷山を登るより、遠くでもいいから誰かが必死に凍った岩場に足をかけている姿を認識した方が少しでも勇気づけられるのではないかと思っている。置かれた環境も、その人自身もそれぞれ違うため、何か軽々しく指南することはできない。というより、私自身が渦中の中にいるため、私もまた藻掻いてここから先の道を掴もうと手探りしている。だから、例えばもし私と同じ学生さんならば、春休み終わるの怖いよね、辛いよねとただ言い合いたい。調子のいいときは、外で遊びたくもなるよねと頷き合いたい。そうして互いに徐々に自己を肯定していきたい。自分を卑下したくなってしまうが、他人に向けるだけでなく自分に向ける負のパワーというものはとてつもなくダメージが大きい。だから少しでもそれを減らしたい。お互いに。

春休みが辛い。終わるのが怖い。4月が途轍もなく怖くて仕方がない。それでも、何とか前に進まなければならない。こんな愚かな自分でも、いつか受け入れられるようになりたいと、どこかの神様に縋る様に生きている。

診断書のあの方はどうしているだろうか。これから先どうか心安らかに暮らせるようにと今も祈っている。

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