英才教育の落とし穴
子どもの知的好奇心に目をつけて、英才教育の名を借り、多種多様な塾がつくられています。私はそのいくつかの幼児教育塾を見学させてもらいました。
はじめて訪ねた塾でのことです。最初はあきれてニガ笑いを噛み殺していましたが、しだいに腹が立ちはじめ、ついには怒りが込みあげてきました。
「子どもをなんだと思っているんだ。犬猫を調教するのと何も変わらないじゃ
ないか」
それがいつわらざる感想でした。
やっている内容は小学校で教えられる内容がほとんどでした。それを手を替え、品を替えてやっているだけです。
幼児期には幼児期だから学べること、体験せねばならないことがたくさんあるはずです。それがなんにもありませんでした。なんと安易な発想でしょう。
しかし子どもたちはけなげです。仕方なしにやっています。調教を甘んじて受けています。付き添いのお母さんは真剣にその姿をうしろから見ています。
私があきらかにやり過ぎだと思って声を出して笑っても、誰一人微動だにしません。先生も本気で授業に打ち込んでいるのが分かります。
なんだか異次元にさまよい込んだような気持ちになりました。これが本当に幼児の英才教育と教師も母親も思っているのだとしたら、あまりに子どもたちがかわいそうです。
『わくわく創造アトリエ』でこんなことがありました。二年生のチック症の子がはじめて来た時のことです。その理由をお母さんが言ってくれました。
「じつは小学受験の後遺症なんです。こんなことをしていていいのかどうか、その当時も迷いはあったんですけど……。バカなことをしてしまいました。でも先生のお話を聞いて目が覚めました。その通りですよね。やりたいことができない子ども時代なんて変ですよね。スッキリしました」
それからその子のチック症が治るのに2年の歳月が必要でした。
こんなこともありました。医者の一人息子でした。4歳になったばかりの頃にアトリエに通い始めました。元気はつらつとしていて、明るく、物怖じしない、茶目っ気たっぷりの子でした。ユニークな作品を次々とつくっていました。この子がどんなぶうに育っていくか将来が楽しみでした。
ところが、小学校にあがる半年ぐらい前からアトリエに来なくなったのです。
「受験勉強をさせるので」
お母さんからの伝言がありました。それから1年たった頃、この子を電車の中で見つけました。
「ようケイちゃん、久しぶり」
「ウン」
表情が死んでいます。
「どうだい、学校おもしろいか」
「ウン」
有名私立校の制服をきちんと身につけていました。
「なにがおもしろい、算数か?」
「ウウン」
「じゃあ国語か」
「ウウン」
「じゃあ図画工作は?」
「おもしろくない」
「じゃあ体操か」
「ウウン」
「なんだ、じゃあ、おもしろくないんじゃないか」
「ウン」
私は話をしているうちに目を疑いました。これがあのケイちゃんなのか、本当にあの子がこうなってしまったのか。
たった一年の月日が過ぎただけなのに、あの頃のエネルギーは全く無くなっていました。目はおどおどとして、明るさも無邪気さも消えていました。しかし、きっと母親は我が子が受験に成功して意気揚々としているに違いありません。この溝は限りなく深くなっていくはずです。
3、4歳からの言語の成長は驚くべきものです。受験勉強までまがりなりにも受け入れることができるようになるわけですから。2歳児までとは発達の質がまるで違います。
「これなに?」から「なんで?どうして?」の変化です。
精神に多少の混乱が起こるのはやむを得ません。3歳が反抗期と言われるのはそのためなのでしょう。2歳から4歳への急激な質的変化の発達を埋めるために試行錯誤がきわだつ時期なのだと思います。
和久洋三著書『子どもの目が輝くとき』より
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?