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おもちゃは最初の与え方によって子どもの育ちが変わることもあります

 おもちゃを子どもに与えるお母さん方の多くは、おそらく一度は子どものために、このようなおもちゃの与え方でいいのだろうかと疑問を持たれることがあるに違いありません。そう思うのが当然で、あまりにも安易すぎる“おもちゃ環境”が、いま子どもたちを取りまいています。ひところ小さいときからテレビに釘づけになっていた子どもたちが問題になりましたが、いまや乳幼児にスマホを与えている親を見受けます。

 こんな実例があります。共働きの裕福な両親に恵まれたある保育園児が、なかなか親にかまってもらえず、そのかわりにいろいろなおもちゃを買い与えられていました。毎日のように、登園時に新しいおもちゃを持ってくるのですが、それを友達に見せびらかすだけで、なかなか貸し与えようとしません。それでいて、帰るときはたいてい忘れてしまって、園の片隅にころがっているのです。

 逆にこんな例もあります。3歳のクリスマスプレゼントに積木をたくさん買ってもらった子がいました。イブの日に母親はサンタクロースの話しをして聞かせ、サンタは死んだ父親の願いも一緒に運んで来ることを話しました。積木の中にはかわいいクリスマスカードがあって「○○君へ、この積木でいっぱい遊んで楽しんでください。お父さんより」とメッセージが入っていました。その子はその積木をとても大切にして遊び続けました。中学生になった今でも、ときどき取り出しては美しい建築物をつくっているそうです。積木はすでに茶褐色につや光りしています。

 この2人を単純に比較してとやかく言うことはできませんが、子どもにモノを与えるときの親の態度が、これほど対照的に出ている例も少ないでしょう。

 父親の死の意味のよくわからない子どもに、せめて父親の存在と積木が心を込めたプレゼントであることを示そうとした母親の配慮は、知らず知らずのうちに子
どもの心に伝わっていたようです。

「たかが子どものおもちゃではないか」

と、とかく軽んじられるおもちゃの与え方もこれだけおもちゃが氾濫する現代にあっては、じつはいたるところでこのようにモノや人の心づかいに対する決定的な違いを生んでゆくことがあります。遊びは子どもの全生活であり、おもちゃはそのための不可欠な道具です。おもちゃの与え方しだいで、心身を健やかに延ばすかどうかが決まることもある筈です。


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