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少年野球の思い出、いや涙なしでは語れない、良かったこと、悪かったこと

小学3年生の途中だったか、軟式野球チームから、硬式野球チームに転向した。「やっぱ、野球もグローバルだよね。早くから世界標準の野球をやらないとね」と言いたいところだが、そうではない。今から10年ちょっと前となるのだが、当時はすでにサッカー熱の方が高かった。若いお父さんの家はサッカー、そうでない(笑)お父さんの家は野球みたいなところはあった。もしかしたら地方出身のお父さんは野球で、都会育ちのお父さんはサッカー、みたいなこともあったかもしれない。なんと言っても、幼稚園でサッカーやってた世代が父親である息子たちの世界である。我が家では母39歳、父41歳で生まれた第一子だっただけに、当時としては結構オトシの両親であった。もちろん私たちよりも年上の親もいたが、ほとんどが年下であった。また、「サッカーチームは保護者のお当番がないけど、野球チームはできるだけグランドに行かないといけない」という不文律もあったりして、保護者から避けられているキライもあった。我が家では野球・サッカー・剣道を見学し、本人が野球を選んだ。

しかし、しかし、だ。小学校3年生でやめることになる。「あなたの家の息子さんは預かれない。他の子とは違って、大人の言うことを聞かない」みたいなニュアンスだった。息子はとにかく遊ぶことが好きな子で、つい、みんなで野球以外の何か遊びを見つけては、いつの間にかそっちに集中してしまっていたらしい。しかも、一人で、ではなく、仲間を何人も巻き込んで、だ。巻き込んだのか、勝手にみんなが寄ってきたのかは知らないが、何か変なことをやっていると思ったら、大抵そこにいたのが息子だったようだ。正式に「辞めてくれ」とチームから言われたわけではないが、保護者の一人から「もう預かれない」と言うニュアンスのことを言われて、「ここにいたら、息子に良くないな」と思ったので、やめることにしたのが背景だ。そして、驚いたのが、息子がやめる時、合計7、8人ほどが一緒に辞めていて、その方々は、受験があるから、とか、我が家とは違って辞めさせられたわけではないのだが、またもや「みんなで」やめるみたいな形になってしまった。

息子も息子ではあったのだが、私自身が「おかしいことは、おかしい」と言う性格。例えば子どもが三人いるお母さんが10年ほど野球チームにいたならば、経験からの話をしてくれる。それを私が「それは、ちょっと違うのではないですか?」と言ってしまうから、今思えば、嫌われていたのは息子ではなくて、私だったのかもしれない。きっとそうに違いない!息子よ、ごめん!

そんなわけで、息子は軟式野球から硬式野球に変わり、そのあとは高校球児を目指すかと思いきや、、、そこまで野球は上手くならなかった上に、野球部のない高校(元女子校で、彼の代から共学となり、グランドもほぼない都心の学校)に進学し、野球は観戦中心となった。親というのはバカなもので、、、というか、私が親バカだっただけなのだが、もしもこの子がメジャーリーグを目指すなら、とか、大きな勘違いをしながら、アメリカに野球留学に行かないか、とか、不思議なことを息子には言っていたのを、彼は覚えているだろうか。結局は中学校でも硬式野球のクラブチームに所属し、ほぼ9年間の少年野球生活を終えたことになる。

その時にやって良かったことは、主力選手ではなかったから、かもしれないが、夏休みにはチームの練習を休んで、海外旅行にも連れて行ったし、短期海外留学にも行った。他の子どもたちは、本人が、というよりは保護者が「練習は休んではいけない、欠かさずグランドに顔を出すことが大切」というポリシーで、子どもたちに野球しかさせなかった家庭が多かった。私はそれが悪いとは全く思っていない。ただ、息子にとってのベストをチョイスしてきたと思う。もちろん大切な試合があるのに堂々と休む、ということをしたわけでもないし、それを推進するものでもない。きちんと時期を見て、複数のことができる、手を出せるという選択肢を増やす、ことをやってきたのだな、と書きながら思った。

少年野球については、笑い話もいっぱいあるし、悔しい話もいっぱいあった。しかし、それはどんな人にもあることだと思うし、ましてや、自分で決めたことなら後悔もできるのだが、監督をはじめとした他の大人が決めたことは子どもたちにとっては不可抗力である。今思えば、「何か意見はないか?何か違うと思ったら声をあげてくれ」と子どもたちに言える指導者が一人でもいたら良かった。残念なことに、その人たちが悪いのではなく、ずっとずっと、監督やコーチの言うことは素直に聞く、ことがアタリマエであり、秩序を保つためには必要なことだと思われてきたので、仕方のないことだったのだと思う。

彼は少年野球の時の仲間と、日本に帰ってきた時に、一緒にバッティングセンターに行ったり、プロ野球を見に行ったり、キャッチボールをしたり、昔の話をしているかどうかは知らないけど、今も楽しく付き合っている。

小学6年になるときに、キャプテンになるつもりで票集めしたのにキャプテンになれなくて泣きべそをかいていた息子。悔しい、と言うよりは、どうしてそうなったのかがわからない、と言う雰囲気だった。その時に、私の昔話をした。「お母さんが、中学生のテニス部の時に、同じ学年のみんなでキャプテン投票をしたんだけど、お母さんが得票数が一番高かったのに、先輩が無かったことにしたんだよ。そんなこと、あるんだよ、案外ね」と言うような話をしたのだ。今でも、それについては笑われるんだが、親子して、上の人に嫌われる性格なのだろう。困ったものである。

息子については、本当に野球が大好きで、今もオーストラリアで草野球や社会人野球チームに混ぜてもらってプレイを楽しんでいる。Canberra Cavalryと言うプロ野球チームがあるのだが、そこに横浜DeNAベイスターズの二軍選手が修行にきていて一緒にカフェに行ったり、南壮一郎さんがNY Yankeesの部分オーナーになった際にお祝いのメールを送ったり、と、野球が大好きなことが人生に彩りを添えてくれていることは間違いがない。

しかし、いつもどこかの国を彷徨いている彼だが、いつも野球を見ている。大学の試験の時も、日本のプロ野球観戦は欠かせないようだ。どんなに野球を愛しているのかを測るメジャーはないのだが、きっと永遠に野球が好きだろうから、いっそのこと、どこかの国でプロ野球リーグを作るなどしてみて欲しいものである。

いつまで経っても親バカだから、どうせならでっかいことをして、たくさんの人と笑顔を共にできる社会人になって欲しいと願うばかりである。

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