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「私にはたくさんの選択肢があるのですね」と涙を落とした高校生。彼らの求めているものは真剣な大人と仲間だ。(B-Side WEEKENDファシリテーター日記)

ルワンダで知り合った早稲田大学生。彼は戯けたフレーズをいつも言っていた。「僕は社長じゃないですが、仲間と教育関係の会社を起業しています。シャチョーと呼んでください」と。実はその時は、彼がこんなに真剣にこの会社を経営しているとは知らなかった。ルワンダで会ってから2年半がすぎた。そして先日、彼ら仲間5人とたくさんのスタッフが Quliiキュリー株式会社 を大切にしていると知った。これから日本の教育を変えてってくれる会社だと確信した。素敵な若者たちだ。Quliiは海陽学園出身の早稲田大学ら生5人で創業した。「若者が頑張っているから、私も頑張るぞーー〜」とサポーター側も勇気と元気をもらえたイベントでした。

「日本中の高校生を100人集めて、質の高い真剣な大人とのお泊まり会方式のイベントをやりたいのです。有澤さんにも来て欲しいんです」そんな連絡があったのは秋の始めだった。会場の晴海は新人研修の時ずっと泊まっていた場所で、当時(35年前!)の晴海埠頭は国際展示場に使われるだだっ広いスペースとコンテナ・倉庫といった、いわゆる何もないところだった。私が滞在していた頃はサーカス会場にもなっていて、時々象のパオーンやライオンのガオーが聞こえるというそんな場所だった。だからちょっと行ってみたかった。

質の高い対話の場 × お泊まり会プログラムについてはこちらをご覧ください。

私もたくさんの高校生と話をした。本当にいろんな高校生が日本中から集まっていた。インターナショナルスクール、国公立高校、通信制高校、様々な私学の生徒、中学時代に不登校だった生徒、海外の中学校からコロナで日本の高校に進学した生徒、外国にルーツを持つ生徒、両親の離婚で苦しんだ生徒、、、、学校や市町村に東京までの交通費を支給してもらっていた生徒もいた。日本中から集まる生徒に「このイベントをどうして知ったの?」と必ず聞いてみた。6割ほどがQulliと協賛企業の過去のイベントに参加した人、残りが「親に勧められて」という回答だった。やはり親や周りの大人の影響はとても大切だと確信した。

いろんな大人がいた。どの大人も子どもたちの未来に真剣な人たちばかりだ。どこかであった人も多く、Quliiがこの人たちを集めてきたことにも驚いた。すごい。

私がこのイベントに参加して、本当に嬉しかったことがいくつかあった。それは自分としては辛いことでもあった。それを紹介したい。

1.「私にはたくさんの選択肢があると知りました」と涙。
いくつかの選択制のプログラムとグループワーク以外は、自分の話をしたい大人のところに高校生が集まっていくという仕組みで自由時間が組まれている。大人の自己紹介を聞いたあと、何人かの生徒が私のところにもきてくれた。私がフツーの大人から、子どもたちの未来を少しでも良くしたいと思うようになった背景を話した。現在の日本の教育・学校現場に感じていること、私がこれから何をしたいと思っているかなどを話しながら、彼らの話を聞いた。関東に住むその生徒は物心がついた時から決められた人生を、ただなんとなく、大人の決めた選択肢からどれかを選ぶという生き方をしてきて、自分の人生はこれからもそんなものなのだと思っていた、と話してくれた。そして、まるで締めくくるように「私にはたくさんの選択肢があると知りました」とひとりでに涙がこぼれてしまった。この二日間のプログラムで、いろんな高校生が大人と話すことをたくさん聞き、その人たちの選択肢が自分にもあると知ったのだと思った。自分に真剣に向き合っている高校生たちは、本当にたくさんの大人を捕まえては話をしていた。自分の将来のために聞ける話は全て聞くぞ、と言う勢いの子らもたくさんいたのだ。そして、その現場の大人も自分の経験値はもちろん聞いた話も含めて、アドバイスや意見を伝え、「もっとたくさんの人から話を聞いた方が良いよ」と背中を押す。これが全ての高校の現場だったらどんなに日本の未来が変わるか、と思った。

2.「いつもノートを貸して欲しいと言う友達をよく思えない私は心が狭いのか?」と言う質問にあなたならどう答えますか?
二日目にビデオクリップで自分表現すると言うプログラムがあった。私の3分ビデオ「chair person(有澤和歌子編)」が事例として流された。程なくして私のところにやってきた高校生からの質問だった。「有澤さんは誰かのために役立ちたい、とビデオで言ってました」から始まる全く予期していない質問に対して、私はうまく回答ができなかった気がした。そのあと、家族や自分の友達にどんな場面でこの質問があったかを説明し意見を聞いてみた。私に質問してくれた高校生に是非みて欲しい。


<大人の様々な回答>
・私が友人にノートを貸してと言ったら500円と言われたので、他の人に頼んだ。
・私はノートを貸す方だったが、お礼にいろんなものをもらってラッキーだった
・どうして「自分が心が狭いと思うのか」を自分に聞いて、自分が本当はどうしたいのかを考えたら良い
嫌なことを嫌って言えない時間って辛いですよね
・私だったら人に対して、よりも自分の気持ちと向き合ってもらいたいとおもいます。なぜ辛い気持ちになるのか?何がその気持ちにさせているのかがわかると他人への対応もわかるかと・・
・私だったら、究極のノート作るかなー。貸してって言われるくらいの^ ^ 仕事でも勉強でもですが、与えること、教えることから得る学びの大きさすごいから、ノート貸すことで本人にもプラスになるようにできるといいですよね(^^)
・僕は借りてた側ですが、貸してる方が遥かに偉いのでボランティア精神でいかがでしょうか??
・僕もノート貸す側の人間でしたよ!学生時代は全く解決しませんでしたけど、今となってはそれが仕事に繋がっているので「ま、そんな時もあったよな」と話のネタにしています笑「貸して!」と言われるくらい、ノートが魅力的なんだと思います!そこにあなたの個性が眠っています。笑
・「この場で撮影してけゴラァ、こっちは使うんだよ貸さねえよ」でどうかなあ?
・友達に利用されているように感じるモヤモヤ感VS 友達の頼みを快く受けてあげられない事への自己嫌悪、とかでしょうか?
こうすればよい、と言われた内容が妙案であっても、自分の考えや気持ちにハマらなければ辛い思いは消化出来ないままだし、正解はないから、どうしたらよいか、ではなく、どうしたいか、で考えてみては?
貸すのは嫌、でも、断れない…私なら、貸してと言ってこなくなるように仕向けるため、ノートを2種類に分けて書いて、貸す方は借りても役に立たない、うっすい内容のノートにします(笑)。
・ノート貸してって言われて渡したら、独自路線すぎて分からなかった件、、、ノートってどの学年なんでしょうね?どの部分が違和感なんだろう。ノートではなく、人間関係なのかな?
銀の燭台に纏わるジャンバルジヤンと司教の話をそのおかたにお話ししてあげてそのおかた自身で考えてもらったらいかがでしょうか?「次元が違う」と仰らればそれはそうですが…。
・これ、何故貸したくないのか?そのりゆうは、人間関係が壊れるからというのは、辛い気持ちになる理由になってないので、その理由を本人が気づかないと解決できないと思います
・貸して帰ってくるならええやん!帰ってこなかったこと結構あるんで、ノートとるのを止めました。録る必要ある?
こういう相手を利用するような人間関係は遅かれ早かれ壊れるので、僕は早々と距離を置いて縁を切ります。縁を切れないような状況なら、周りの共通の友達に相談して知恵を絞り出します。

多くの友人の意見を見ながら、自分が友達にノートを借りていた頃のことを思い出しました。私は自分が寂しくて、借りる必要のないノートを借りたり、聞く必要のない宿題確認の電話をしたり、寂しい中高生時代だったな、と。

3.私の住む県ではいまだに「女の子は大学に行かない方が良い」と言われています。県立トップ校の女子の半分は専門学校に行きます。
その県にいる人たちはそんなものだと今でも思っているそうだ。それって、ありですか?子どもの将来のために母親とその生徒は高校からその県を出て東京で暮らしている。男兄弟とお父さんはその県にいて、家族は週末や長い休みに行ったりきたりしているそう。
呆然とした。私が高校生の時、40年前と一緒ではないか。私はこんなことを言われながら育った。
・女の子が大学に行ったら結婚できない
 →男性より学歴が高いと結婚相手が減る
・女の子が大学に行ったら就職できない
 →結婚したら辞めるから、腰掛け期間が短いため
本当に今もそうなの?これについては、どこかでその県の人たちに聞いてみたいと思っているが、まだ聞けていない。しかし、この話を一緒に聞いていたのは私だけではないのだ。一緒のグループで話していた高校生5、6人が同時に驚いた。

ずっと日本にいながらも親の教育方針で幼稚園から英語で学んでいた高校生もいれば、保護者の機転で我が子の未来を変えてもらえた高校生もいた。この機会に、自分の未来が開けた高校生もたくさんいたに違いない。


4.有料イベントだったのに、途中から一気に参加費を無料にした若者の勇気に感動した。

このイベントは最初は高校生が一人8000円ほどの有料イベントだった。ところが集客の途中から無料に変更に、参加したい高校生がみな参加できる仕様変更があった。びっくりした。一般的な大人だったら「最低○人集まらなかったら催行中止」などと言う保険をかけたりしただろう。彼らはそんなことをしなかった。そして、決行に向けて参加費無料に舵を切り、高校生と大人を集めた。高校生は集まった。思いのある大人も集まった。何がなんでも実行するぞ、成功させるぞと言う彼らの思いは参加の大人たちにも十二分に伝わった。(高校生はまだわからないかもしれないが、いつか、この凄さがわかると思う。)彼らは大した若者たちだ

全ての日本の高校生がこのイベントに参加できる日が来ることを祈って終わります。そしてその時もぜひファシリテーターに呼んでください。

最後になりますが、晴海の宿泊施設は私が新入社員時代に泊まっていたホテルだったんです。どれだけ懐かしかったか。Qulliの皆さんありがとうございました。

当時はDEN晴海と言う名前のホテルでした。パオーンと鳴く象はいないし、都会のビル&集合住宅群になっていました。懐かしいような、寂しいような、若い日に戻りたくなりました。




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