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私は45才の時、何をしていたのだろう?

何度も転換点があったはずなのに、費用対効果の高いことが良いことだと思い込んでいたあの頃は、まだ会社員をしていた。息子が4,5才だから保育園に行っていた頃だ。大企業のスピンオフプログラムで1部門がITベンチャーになった会社で働いていた。毎日7:20に自宅を出て、息子を保育園に送る。当時は夫が新幹線通勤をしていて、保育園の送迎は自分一人でするしかなかった。半分寝ている息子に無理やりご飯を食べさせていた、そんな日々だった。

その頃は自分への過信もあったが、社会がこのようになるとはまだ思っていなかったので、60才か65才まで会社員として働きながら、きちんととれる有給休暇を利用してお正月・ゴールデンウィーク・お盆の富山への帰省が出来たら良いと考えていた。その2年前に母が脳梗塞で倒れて半身不随になった。まだ67才だったので、本人が一番辛かったに違いないが、私自身も大変驚いた。母は常々「まだ67才なのに」と愚痴を言っていた。当然のことながら、海外旅行に行くことも控え、どこかに行くのは帰省のみという時期が数年続いた。

その頃に、今の自分の経験と知識があったら自分が何をしていたか?その頃の自分に何かアドバイスがあるとしたらなんだろう。

明確に言えることは、時代の変化がますます大きくなっていることに気づくことを促したい。そして、自分が会社員を辞めても生きていける術を身につける準備を始めることを促したい。その頃の私はそんなことは全く思っていなかった。会社員で職業人の人生を全うするつもりでいたのだから、仮に誰かにそんなことを言われても「私は私」と思っていたかもしれない。そんな聞く耳を持たない人に、どうやって、15年後に日本は、世界はこうなっているよ、と伝えることができるのか、と今考えてみると。。。

自分で選んだつもりでも、既存の選択肢から道を選んで生きてきたから今があるのだと思う。自分から「0を1にしてみよう」と思ったことはなかったし、そんなことを教えてくれる人も、学生時代の先生もいなかった。今あるものを大切に育むことは学んできた気がする。しかし、今となっては、それはもちろんのこと、自分で自分の道を切り開くことは「すごい人」のできることであって、自分のような「フツーの人」には関係のないことだと思い込んでいた気がする。友人の友人の話を聞いても、「すごいねー。(けど、私は関係ないね)」と思っていた。しかし、今になって、あの時の自分がそんなことをしていたらよかったのだ、ということに気が付く。あの頃なら、元気もあったし、知恵を借りられる人も多かっただろうし、何よりも子どもに背中を見せることができた。

では、どうしてそんな人生になっちゃったのか、を考えてみよう。「目の前にあるものから一番良いものを選択する」という生き方をずっとしてきたことが原因であり、これは多くの日本人がそうだったと思う。

それ以外に、何があるの?
そう思う人もいるだろう。こんなことができたはずだ。
・自分で選べる選択肢を広げる
・自分で新たな選択肢を作る
・自分一人で決めないで100人に相談する(ちょっと多すぎ?)
・他にも方法があるに違いない、と考える

成功する前提で選択肢から何かを選べば、それは小さな成功に繋がるだろう。しかし「失敗してもいいからやってみよう」と思えたなら、その次にやってくる人生の選択は異なったものになったんじゃないかな、と思う。(違うかもしれない。けど、もう戻れないから。)

そんなわけで、今45才の人は、まず自分の人生のこの先を「自分がどうしたいか」を考えてみて欲しい。そして、それができる人は、ちょっと背伸びができる人だから、ぜひ、会社員をしながら、今の生活を継続しながら、新しいことをちょっとやってみて欲しい。ボランティアでも副業でも庭の手入れでも散歩を始めるでも、なんでもいい。新しいことをやり始める。

そこから、45才以降の人生が変わります。

今を一生懸命生きることは、時には、停滞の時間を長くすることになってしまう場合がある。私の45才がそうだったから。

そのうち45才の人も、だいぶん前に45才になった人も、「そうね、そうかもね」と思えたなら、まずは何か新しいことを始めてみてください。お願いします。

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