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子育てを振り返ってみようか?

子どもも親も幾通りもある。親も途中で環境が変わったり、生き方の脱皮・変態ができる場合もある。ない場合もある。私の例をとって考えてみようと思う。よかったことも、悪かったこともあるだろう。しかし、誰かの参考には必ずなると思う。私が時間と、お金と、頭と、心を駆使して今日まで来た日々が誰かの役に立ったらいいな、と思う。


前提となる息子の家庭環境

そもそも、子どもとは誰のものか?と考えたことはあまりないと思う。私自身もそうだったが、自分のお腹から出てきた子は自分の子どもであり、「私(たち)に属する子ども」という意識があった。それは、自分が育てられた環境にもよると思うのだが、家を継ぐという流れの中で、子どもたちは各家庭に属している、ように見えていた。しかし、それは「託されていた」訳であって、属していたのではないのではないか、というのが最近の私の考え方である。いつかまた変わるかもしれないけどね。

そんな考えをするようになったのは10年に満たない。現在息子は、一人しかいないのだが、21歳で大学生である。日本にはいない。なんで日本にいないのか、も、別途整理したいと思うが、ひとまず、彼の属性について整理する。
・父は東京都新宿区、母(私)は富山県出身
・横浜市青葉区出身
・小中学校は地元の公立
・高校は都心に行く
・小学校1年生から水泳、英語、ピアノ、少年野球(最初は軟式、小3から硬式)
・小学3年の3学期から塾
・中学校は硬式野球のクラブチームと学校の美術部(これは途中でやめる)
・生まれた時から祖母(夫の母)・犬(ゴールデンレトリーバー)と暮らす
・母(私)が海外旅行好きで世界中に連れ回す
・保育園の時は、母の気分転換にディズニーランドによく連れて行かれる
こう書くと、地方の人には「横浜だから都会の人」と思われるし、関東の人には「東京のベッドタウン」と思われるだろうし、横浜の人には「横浜の田舎」「ちょっとお高くとまっているけど田舎者(都心に住めない)」と思われたりと、評価?は至ってバラバラである。実際のところ、私自身が富山県の田舎から出てきているため、「都会の田舎」というのがしっくりくる表現だと思う。

子育て、やってよかったこと


さて、やってよかったこと、は、そんなにいくつもない。
・海外旅行に連れ回したこと(私のやりたいこと、に付き合わせた、という意味合いに思ってほしい)
・祖父(私の父、富山に住んでいた)との毎日の電話
・祖母(夫の母、現在99歳)がいつも家にいる家庭
・少年野球と祖父の中日ファンの影響で、野球(観戦とプレイ)が大好きになったこと(これは、結果としてそうなった、という話だ)
・英語塾
・中学・高校時代の海外サマーキャンプ参加。特にイギリスの芸術大学でのMaking movieコースのようなものに高1で参加した。全て英語で、世界から集まる高校生・大学生のグループで、映画を1本作るための役割を全てやってみる、というプログラム。日本の英語レッスンツアーとは大きく異なる。

子育て、やらなきゃよかったこと

これについては、「無理にやらせる」「いくつかの選択肢から一つを必ず選択を強いる」をしなければよかったと思っている。何をやらせたり、無理に選択させたりしたか?

・ピアノ:これは「男の子がピアノが弾けたらかっこいい」「ピアノが弾けたらモテるだろう」という下心があって、自宅から数分の教室に通わせた。最初は電子ピアノだったのだが、先生からアップライトピアノがある方が良いと言われて、それも準備した。しかし、本人は全く興味を持てなかったみたいで、練習にも身が入らないし、本当に行っているだけだった。「小さい時からピアノに触れたら上手くなる」という私の思い込みは大きく外れた。そうじゃないお子さんもあると思うが、我が息子はピアノには興味を持てなかったようだ。小6まで続けたが、最後の発表会の曲は「子象の行進」だったような気がする。幼稚園児が弾くような曲である。本人はそれを「ハズカシイ」と思わない性格だったのが救いだった。しかし、今思えば、もっと早くに辞めていてもよかったと思った。
・スイミング:これも、本当に不思議な習い事だった。保育園の終わり頃だったか、小学1年からだったか忘れたが、思い出深いスイミングだった。なぜなら、「ずーっと進級できない」状況だったのだ。ずーっと、って、2、3年ほど同じ級にいたのだ。すると、いつの間にか小3の息子と同じ級にいるのは幼稚園児、という、ピアノと同じ状況が起こっていた。今、このように整理しているので、私自身も気づいたのだが、本当に、本当に進級しないのだ。進級テストに合格しない一番大きな理由は、彼は「浮いて泳ぐより、潜る方が好き」だったこと。なので、「潜る」はどの級にもない目標であり、全く、級は上がって行かない。いつも「浮くことができないから、泳げない」のだ。友達がどんどん、バタ足からクロール、平泳、背泳、バタフライ、と色々やっているのだが、小さなお友達と水を掛け合いながら水中に潜っているのである。
・塾:「中学受験するなら小3の3学期から塾に行かないといけません」と10年ほど前は言われていた。どこからの情報だったかも覚えていないが、いろんな人がそう言っているから、クリティカルシンキングなんて知らなかった私は、それをそのまま鵜呑みにして、家から通える塾に行く。本人に社会状況を説明し、yes、と言わせて塾に通い始めたのだが宿題もしないし、塾でも寝ているし、速読もやり始めたら徐々に速度が下がるし、、、と、何しに行っているのかわからない。最後には「うちの塾は息子さんには向いていない」みたいなことを塾から言われてやめることになる。そうそう、彼は円形脱毛症にもなった。(私のせいだと、言わなかった息子には今感謝しています。)その後、友達がみんな言っているような塾には「みんなと一緒に行きたい!」というので、行かせることにしたのだが、そこは楽しんで言っていた。しかし、そこはテストの成績表をランキングのように張り出す仕組みで、いつも下から三番目くらいで、時々、真ん中より上になるくらいで、本当に行っていただけだったような気がする。が、後半の塾は、本人が行きたいと言ったから行ったので、良いのだと思う。

あとでわかったこと。

様々なことをやりながら、今になってわかったことは、「押し付けるんじゃなくて、自分で選択肢を探すチャンス・きっかけを作ってあげる」ことだった気がする。不妊治療の末、フルタイムで仕事をしながらの子育てで、当時の自分は、子どもよりも自分を優先していた。今思えば、そこも考え方を変える必要があったのだが、気づかなかったのは仕方がない。

だからこんな文章を書いている。

子どもたちが「自分の好きなことを見つける」仕組みや仕掛け、体験をさせてあげるためには、親や周りの大人が冒険したり、楽しんだり、誰かのために何かをしたり、、、そんな背中を見せたり、それを一緒にやることだったんだと思った。

2000字以内と思っていたのに、3000字になっちゃった。まあいいか。

日記みたいなものだから。その上に誰かの役に立つなら、それは本当にラッキーだと思う。






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