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自分紹介が世界一苦手だった私が『わくわくエンジン®図鑑をつくりたい』と堂々と言えるようになったわけ

わくわくして動き出さずにはいられない原動力「わくわくエンジン®」を持って活動している方たちを紹介する連載「わくわくエンジン図鑑」。
認定NPO法人キーパーソン21がお届けします。

今回は図鑑の発起人、かなざわみきのわくわくエンジンストーリーをご紹介します。

【図鑑 No.1】
お名前
かなざわみき
おしごと
本当に良い内容をWEBサイトや紙で、よりわかりやすく伝えること
わくわくエンジン®
一人ひとりがありのままに自分を出せる空間にいること
(つくれたらなお良い)

私はある時を境に自分のことを話すことにとても抵抗を感じるようになりました。自己紹介をしないといけない場では涙目になりながら自分のことをひとこと二言絞り出すような状態でした。自分に自信など皆無だったのです。
そんな私が今『わくわくエンジン®図鑑をつくりたい!』と自信を持ってやりたいことを言えるようになったのは自分のわくわくエンジン®を見つけたことがきっかけでした。そんなことからわくわくエンジン®を発動し、図鑑をつくるようになった経緯をお話しさせていただきます。


子どもは自分のようになってもらいたくない。

当時、私は自信がなく、何をやってものめり込めない、すきなものがない自分が嫌いでした。子供にはそうなって欲しくありませんでした。学校の勉強ができるできないじゃなくて、心からすきなことを見つけて欲しい、そういう風に育てたい、とぼんやりながらも考えていました。

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・・・
心からすきなこと????
それは私にとって、実感のないもの、幻想のようなものだったので、実際に子どもとどう接していくのが良いのか、さっぱり分かりませんでした。

まずは自分のすきなことをとにかく探すべきだよな
自分軸をつくりたいなぁ

と、モヤモヤと考えていたような気がします。

周りの雰囲気に乗れず…押し切って飲食業界へ

そんなことは言っても大学生くらいまでは周りの大人のことを素直に聞いて、前向きにやっている真面目な学生でした。それなりに自信もありましたし自分のことはすきでした。エントリーシートや、集団面接など、いわゆる就職活動に少し違和感を感じながらも自己分析をし、好きだった接客、DTP、チーム作りの3点から飲食業界に目を向けました。

「おもてなし、メニュー作り、お店の一体感作り、できるやん」

当時、周りの友人は大手企業や公務員、医療系に進む人が多く、またブラック企業という言葉が出始めた時代でした。飲食業界もブラックと言われることもあり、親は「なんでそんなしんどい業界いくの?!」「そんなところ行かせるために大学行かせたんじゃない」と半年くらい冷戦状態でした。

確かに誰でもできる仕事、労働環境が良くないというイメージは感じていましたが、見て見ぬ振りをし、社会へ出るのを楽しみにしていました。将来のこと、先のこと、深く考えていませんでした。

入社後、自分でいうのもなんですが、みるみると成長しました(笑) 事務的な店の運営から、アルバイトの育成、お店の雰囲気作り、接客とは、をぐんぐんと吸収していきました。当時の上司の教え方が良かったのか、1年半で鎌倉に出店する新店舗の店長になることになりました。

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新店舗の立ち上げは想像以上に大変でした。地域の同業者との関係作りから始まり、売り上げを軌道に載せるまで、一つひとつのコミュニティ、一人ひとりを大事にしていきました。初めの方はいろんなお叱りも受けたのですが、ちょっとずつ地域の皆様に信用していただけるお店になりました。利益も毎月しっかり出たので、そこの心配はありませんでしたが、なんせ激務。初めの2年間は無我夢中でやり、残りの2年間はモチベーションを保ちつつ、次の人へバトンタッチして自分は上のポジションへ繋がるように、配属された後輩に鎌倉店の店長について、丁寧に伝えていったような気がします。

ただ、良い感じで育ったなぁと思ったら違う店舗の店長に。そんな事が多々あり、日々激務で先が見えず、だんだんとやりがいが薄れていきました。28の時でした。結婚し、仕事をやめました。そして出産しました。この時点でも将来のこと深くは考えていませんでした。

ここから暗黒時代が始まるのです

出産し、育児をする中で一人で考える時間が増え、子どものいる生活を体験して初めて、将来のこと深く考えるようになりました。頼れる人が近くにおらず不安から一人で悶々と考えるように。

はて?自分には何ができるんだ?
あの時、親に言われた通り、子どもを産んでも続けられる仕事にしていれば良かった、なんでそんなことが考えられなかったんだ

出産後、今までの自分の全否定が始まりました。

ちょっと学校の勉強できたからって将来のこと何も考えられてなかったら意味ないじゃん、
次につながらない飲食なんてなんで選んだんだろう…
(飲食業は子育て後、何にも活かせない、と考えていた)

そうやって自分のことを話せなくなったのです。ママのコミュニティに行っても自分の話はせず、聞くだけで、「うんうん。すごいなぁ」と思うばかりでした。どんどん自分と他人との比較が始まりました。比べれば比べるほど産前にキャリアを固めていない自分がどうしても嫌になっていました。先のことは何も考えていなかった自分を責めました。なんでこんなに早くに出産してしまったんだとさえ思ったこともあります。その度に息子に申し訳ない気持ちになりました。

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そんな私が考えたのが育児しながらでもできること・・・webの勉強!
7ヶ月、自宅学習&月2回課題発表に学校に通いました。ここでもとりあえず目の前のことは一生懸命やりました。DTPが好きだったので、楽しむことはできましたが、ここでも熱中するまでにはならず。
育児の片手間にやっていたのですが、すきならどんな状況でもとことんのめり込めるはず…とまたすきなことがなくて、のめり込めない自分を責めました。

そこから、すきなことができない自分(軸のない自分)が、私の中でのキャリアコンプレックスとなっていったのです。

すきなことを仕事にしようと思ってるからだ、そんなこと考えなければこんなに悩む必要はないんだ
もう自分がすきなこと(自分の軸)は気長に探そう、仕事は仕事で割り切ろう

と諦めました。
そういうわけで息子には学校の勉強じゃなくて、心からすきなことを見つけて欲しいと思うようになりました。しかし自分ができなかったことだから、どうやって声をかけていったら良いか、全然わからず。
ただそのアンテナだけはずっとはっていました・・・

自分のわくわくエンジン®との出会い

そんな時出会ったのがNPO法人キーパーソン21代表朝山さんの記事でした。

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ここにビビビッときた私は、わくわくエンジン®を肌で感じ、息子に対する声かけを学ぼうと思い切って、ちょうど募集中だった事務局スタッフに応募、すきなものビンゴ&お仕事マップのプログラムも受けました。

私のわくわくエンジン®は
『一人ひとりがありのままに自分を出せる空間にありのままいること(つくれたらなお良い)』と発見しました。

探そう探そう、見つけなきゃ見つけなきゃと思っていたすきなこと、自分の軸は、自分の中にあることに衝撃を受けました。それと同時に

就活の時、親の大反対を押し切ってまで飲食業界に進んだこと間違っていなかったんだなぁ。(先のこと考えていない自分を責めていましたが)必然の選択だったんだなぁ。

と、とても嬉しくなりました。私が鎌倉の飲食店で働くことは、私のわくわくエンジン®そのものでしたから。そこから封印していた過去の自分の良いところにどんどん目を向けられるようになりました。キーパーソン21事務局でも、こういうことやっていきたいと自信を持って伝えられるようになっていったのです。

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わくわくエンジン®図鑑をつくりたい

私のわくわくエンジン®である、ありのまま居れる空間を作るためにはまず、自分をありのまま出すこと。考えたことは遠慮せず伝える、自分の視点を大事にすると考えて、仕事にも活かしていきました。

すきなものがわからず、何をやってもうまくいかないと悩んでいる人にわくわくエンジン®を伝えたい
子どもとどう接していけば良いかわからない子育て世代の方にも伝えたい
わかりやすく、伝わりやすく
そしてなんといっても自分をありのまま出せる人を増やしたい

と思い、わくわくエンジン®図鑑をつくることを提案しました。代表の朝山はめっちゃめちゃ後押ししてくれました。ライターの方も集まってくれ、あれよあれよとスケジュールもたち、どんどん進んでいきました。

私は今、これまで生きてきた中でやりたいことをやっています!と初めて自信を持って言えます。これまでの自分を振り返り(結構しんどかった…)、書きながら涙が。

キーパーソン21の説明会に行き、自己紹介の際、なぜここにきたのか?という問いに自信なく答えながら、無性に辛い涙が流れてきたのがずいぶん前のことのように感じます。

わくわくエンジン®についてはこちらをご覧ください!

最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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