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“あなたのキャリアは子育てでしょ” 何も無いと思っていた私の進んできた過去 向かう未来とはーー?

わくわくして動き出さずにはいられない原動力「わくわくエンジン®」を持って活動している方たちを紹介する連載「わくわくエンジン図鑑」。
認定NPO法人キーパーソン21がお届けします。

今回登場してくれたのは、キーパーソン21事務局でお財布係(経理)をしてくれているしっかり者の青井照美さん(あおちゃん)。自分のキャリアが思っていたように進まない中、母として家族を支えることに全力を注いできたが、鬱を発症したのをきっかけに自分の人生はこれで良かったのかと疑問を持ち始めます。そんなとき、”あなたのキャリアは子育てでしょ”の言葉に出会い、キーパーソン21に出会います。そこで気づいた自分探しの答えとはーー?これまで進んできた道とはーー?これから向かう未来とはーー?

【図鑑No.21】
お名前 
青井 照美(あおちゃん)
お仕事 
スタッフが喜ぶ顔を想像しながら・・・
◎キーパーソン21のお金を管理すること
◎新しい管理部門のありかたを模索すること
わくわくエンジン
喜ぶ笑顔を想像しながらひらめきをこっそりカタチにすること

自分はこの人生で良かったのか


ーーキーパーソン21に出会う前の話を聞かせてください


三つ下の弟が双子なんですよ。
それで、3歳の時に、「おねえちゃんだからしっかりしなさい」と言われる生活になったんですよ、家庭の中で。お金もかけちゃいけないとか自分の中で制約をいっぱい作っちゃったのね、きっと。私が大学受験をしたいって言ったとき、双子の弟と3つ違いだから、3人いっぺんに受験受験っていうのが家庭としての大問題で。金銭的に難しいってことになって、それで専門学校へ行ったんだ。これは結構大きなガッカリだった。

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就活のときにも「大学じゃないんですね」みたいなことを散々言われて。すごい勉強したのに、厳しい学校だったのに。なかなか認めてもらえず決まった就職先でも、やっかみみたいなのも激しくって。
大学行けなかったから、資格を取って実力を身に付けて仕事をしようと思っていたのに…資格なんか取ったって役にも立たないじゃんって思った。
そうこうしているうちに結婚が決まって、結婚を上司に報告したときも「仕事はいつまでなの?」って言われちゃって、別に辞めるつもりなんかなかったのに。

上司がそれをいうときって、その後のことあんまり期待できない、ここにいても駄目だと瞬時に思って、気づけば「やめます」って言ってた。
その後は、子どもが生まれて、しばらくはお母さんをしてた。子育ては楽しかったよ、すごい楽しかったし、夢中になってた。

だけど子どもが大きくなっていったときに、私には何が残るんだろうって、何してきたんだろうみたいな気持ちになった。

学生の頃、一生懸命勉強したことは何も役に立たず、子どもたちはいずれ巣立っていくんだなぁ・・・・

子どもに手が掛からなくなってまた働き始めて、転職のたびに昔習った経理の仕事に近づくものを探していくんだけど、そこでもまた、そこまでの資格の人はいらないとか言われちゃうんだよね。これは、資格とったら仕事に役に立つっていうのは嘘だなとか思ったりもしながら、ちょっとでも自分を活かせるようにって仕事を見つけて、いざ仕事が軌道に乗った頃、リーマンショックや震災が起きて、そんなこんなで、なかなか仕事も続かなかった。

ーーなるほど、自分探しをずっとし続けてきた感じですか?

結婚して子どもができてぐらいまではあんまり、これも自分の人生ぐらいに思ってた。ちょびっとは残念だけどそんなには思わなかった。

でもその後、うつ病を発症したの。

そのあとで自分探ししはじめたのかな。
いろんなことが重なったんだよね。7〜8年、時短で勤めてた会社の人手が足りなくなっちゃって仕事の負荷がものすごい来たの。その頃に子どもたちにもいろいろあって。子どもの世界特有の同調圧力に親子で悩んだり、頑張っても成果が出ない苦しさを子どもが感じていたりとか、職場でも家庭でも多分ストレスが溜まったんだね。
(※子どもたちにいろいろあったときに助けてくれたのは習い事の先生や地域の多様な大人たちでした)

子育てそのものがストレスではないんだけど、自分の中で当然と思ってたり、疑問にも思わなかったことが実は結構なストレスだったんだと思う。自分でも気づいてなかったんだよ。

ある日突然、何にもできなくなって、買い物もできないし、人の目も見れないし、下向いてガタガタ震えてるみたいな状態になった。

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それで、仕事を辞めてしばらく家にいて。でも子どもたちにまだ学費がかかる時期だったから、こんな自分でもできる仕事を探そうと。病体を隠して、派遣登録して。働けない自分が、今の実力だって割り切って。

私はこんな人です、こういう実力ですって、病気だからと言わずに派遣登録をしてそれで見つかる仕事をやっていれば別に問題ないんだなって。そっから通院しながら、働いてを続けたの。

その頃からかな。自分大丈夫かな、これからどうしようみたいな迷いとか、自分はこの人生で良かったのかなっていう気持ちがモヤモヤと出てきたのは。

ーー当然と思ってたことが実は、結構しんどかったと気付いたっていうところから、自分の本当の気持ちに気づき始めた?

そうそう、我慢したり、誰かのためになるように、家族が快適に過ごせるようにみたいなことをする素養が、多分小さい頃からできてたんだと思うの。ちょっと我慢することをあんまり苦にも思わずに。そういう生活が実は結構なストレスだったんだなっていうことが、体が発したSOSでわかったんだよね。自分が我慢したら丸く収まるということを続けるとこうなっちゃうんだなって。(当時は我慢とも思っていなくて、普通のことだと思っていた)

娘にはやりたいことをさせてあげたい、という原動力


ーーその後、うつ病とはどう向き合っていったのですか?


病院通いながら薬飲んで。多分ね、子どもの学費を稼がなきゃどうにかしなきゃっていうのが物凄い原動力だったんだろうね。お金をどうにかしなきゃという焦りがすごかったから、薬もしっかり飲んだし、仕事も行ったし。
っていうことやってるうちにね、なんと、だんだんだんだん改善されていったの。

ーー薬飲んでたら大丈夫なんですか?症状とか出てきたり、やっぱりダメかもみたいな感じにはならないんですか?

あるある。なんか突然ボロボロって泣いちゃうことってあるんだよ。あるんだけど、でもそういうのが出てくる間隔が長くなっていった、頻発はしなくなって。

ーー学費を稼がなきゃっていうのが一番の原動力?

一番だね。2歳違いの娘たちが大学行きたいって言ってたから。
何が何でも行かせるつもりはなかったんだけど。

「大学行かなきゃつけない職業とか夢見ているんだったら、お母さん頑張るけど。大学行って何しようとか遊ぼうとか考えてるぐらいだったら行かせない。あんたたちに投資するんだからね。結果は求めないけど動機ははっきりしていて欲しい。自分がやりたいことをしっかり考えて、私にプレゼンしてくれなかったらお金出さないよ。」

って言ったの。
そうしたら、娘たちは必死で自分の将来を考えてさ。何を自分はやりたいんだとか、すごい考えて調べたみたいで。それで、上の子が医療系って言うし、2歳違いってことは2人分の大学の学費が最低2年重なる。これはうかうかしてるとやばいぞって。だから、働かないっていう選択肢はなかったんだよね。

ーーなるほど、やりたいことをしっかり考えた上で、やらせてあげたい、これは青井さんの昔の経験が影響ありますか?

あるね。
大きくある。自分がそこで諦めてるから。当時、自分も情報があんまりなくって。本当に大学行きたかったら、奨学金とか、他にもお金なんてどうにかなったはずなんだけどね。そういう情報量も全然足らなかったし、真剣味も足りなかったのかもしれないね。

ーーだからそんな真剣にプレゼンしてって言ったんですかね?

そうね。中学から高校に上がるときにも同じようなこと言ったのよ。私は中学を出たらもう義務教育は終わりだから、最悪、私に何かあってもこの子たちはもう生きていけるんだって思ったの。保証はないけどね。

社会的には義務教育が終わったら、貧乏しても何でも生きていけるんだけど

その先、高校へ行くんだったらどういうことしたいの?何がいいの?ってことはずいぶん話を聞いたね。ここで何を学ぶ?何が楽しい?どういう自分になりたい?

みたいなことを、改めてじゃなくて、日常の話の中でそういうやりとりをしてたね。

ーー親の押し付けとか全くなく、子どもの気持ちを常に聞いて、自己決定を大切にしていてとっても素敵なんですけど、子育てで何か意識していたことはあるんですか?

特に何も意識もしてなかった。でも生まれたときから自分が産んだ子だけど、別人格なんだってことはすごい感じてたのね。

ーーおおお!なんでそう思ったんですか?

だって寝て欲しくても寝ないし、勝手に泣くし、この人はこの人で生きてるんだなっていうのを何か感じたんだよ。
だから、子どもが本当は何考えているのか分かっているようでも分からないから、大きくなっても、その都度子どもたちの気持ちを汲み取ろうと必死で向き合ってたね。

ーーその感覚、すごい!子どもは自分とは違うぞと意識するようにしている私にとって、なんでそんな風に自然に思えるのか知りたい!

なんでそう思ったんだろうね、でもそう思ってた。それをね、旦那もそう思ってた。だから、全然不思議に思ってなかったね。。。

あなたのキャリアは子育てでしょ


ーー娘さんの進路と学費に真剣に向き合っているときに、この言葉をもらった青井さんの気持ちを教えてください


自分探しをしているときに、同じ市内にコーチングをしている人がいると聞いて、会ってみたの。

それだけ一生懸命やって、それだけ考えがあって、想いがあって、子育てしたんだからそこは誇っていいんじゃない?

って言ってもらえて。
そうなのか!お母ちゃんになったから子育て頑張ったっていうただそれだけでもなかったのかもしれないなって、初めて自分の中でそう思えた。そういう視点が無かったから、

なるほどーーーって!

それまで自分の勉強したいことができなかったり、行きたい学校行けなかったりっていう思いがあって、自分の進路とかにばっかり着目してて、そこで思い通りになっていくことが、自分の人生を豊かにするとか、キャリアを積むとか、そういうことに繋がるとずっと思っていた。でももっと身近なところ、家族の中に、自分の進んできた道はあったんだな、あまり職業感にとらわれることはなくてもいいんだなっていうふうに気づいたの。人育ては大事なことだって。

ーーそこからキーパーソン21にどうやって出会ったんですか?

その後、いろいろ考えていろいろ調べて、私に合ってるのはキャリアコンサルタントだなと思って目指すことにした。その養成講座説明会に行ったとき、なんと!キャリコンより先にキーパーソン21が気になっちゃった(笑)(説明会のスピーカーが本田律さん、いろんなところで名前出てくるね)

そして、その日の夜にキーパーソン21のホームページをぐるぐる見ると、自分が子育てする中で大切だと思ってきたことを、同じように大切だと考える団体だった。

子どもたち一人ひとりの可能性を引き出すプログラムを持って、学校で展開していることに驚いたの。第三の大人の大切さも私が思ってたのと同じ。「私の思いを形にしている人がもういた!」って感じ。

それから会員になって、平日は仕事とキーパーソンの活動(学校の子どもたちへプログラムを届ける学校実施)に参加しながら、休日はキャリコンのスクーリングっていう生活を続け、キャリコン受験して、合格っていうところまで1年かかったのね。でも私の中で“こっちの方向へ行こう”って気持ちがどんどん固まっていく1年間だった。

ーー“こっちの方向へ行こう”ってどんな方向?どんな気持ち?

一番苦労して、一番悩んで、一番楽しかったこと、子育てをそのままやればいいんだ、って感じ。

ーーおおおおお~!素敵な言葉でましたー。ところで青井さんのわくわくエンジンは?

「喜ぶ笑顔を想像しながらひらめきをこっそりカタチにすること」

ーーわくわくエンジンを発見した後、青井さんの気持ちの変化を教えてください

子育てが楽しくて、子どもと一緒に夢中になって出掛けたり遊んだり笑ったり悩んだり泣いたりして過ごしたのは、このわくわくエンジンに基づいていたんだとわかって、胸を張って「子育てがんばりました!」と言えるようになった。自分を認めることができた気分。

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それと、母親になったから子育てに夢中になったのではなく、自分がわくわくしていたからなんだとわかって、自分のこれまでの人生の歩みは家族の犠牲になっていたわけではなかったんだって気づいて、今までの自分にOKが出せた。
そこから、子どもも育ってきたことだし、さてこれからどうしようと考えたとき、頑張った子育ての経験を活かそう、と。わが子の子育てには地域の力が大きかったこともあり、地域ぐるみの子育てを広めたい、一人で子育てや自分の人生に悩む若いママたちの力にもなりたいと思うようになった。

キーパーソン21の活動を北関東へ チーム北関東を結成


ーーそこでまず何から始めたんですか?


すでに50歳を超えた自分になにができるのか、子育てが一段落して、PTAも世代が変わっているし、直接地域の子どもたちや若いママたちに対してどうやったらアクションを起こせるか、悩んだね。キーパーソン21には、よく考えられた素晴らしいプログラム、子どもたちへの関わり方、学校で展開するノウハウがすでにある、会員として参加するだけでは物足りない!スタッフとして関わってこの活動を自分の身に着けてしまおう!と事務局で働くことを決めた。
年齢を考えたら試行錯誤する時間が惜しかったので、手っ取り早くどっぷり漬かってしまおうと(笑)

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ーー自分の地域に!って思っていたところから、チーム北関東を結成するまでの経緯は?

まず仲間を集めようと思って、埼玉近辺に住所がある人たちに顔合わせしてみませんか?と声をかけた。その飲み会で、言い出しっぺなんだから一言!っていわれて…

「私は、ただただ地域の子どもたちが、自信を持って自分を語れるようにしたい。
そんなそれぞれの人の想いを私は全力で応援するから、0から1を作るのは苦手な私だけど、1を2にして10にしていくことは全力で頑張るからここで想いを伝えて欲しい。1人じゃできないことも、みんなでやればできることがあるからそれぞれにやりたいことを言ってもらって、今回は〇〇さんのプランをみんなで応援みたいなチームができたらいいね」

って伝えたの。そうやって立ち上げたのがチーム北関東。

ーーめちゃくちゃいいコミュニティ!順番に応援していくって本当にいいコミュニティですね

新しく展開できる場を開拓する意味で、チーム北関東独自で説明会を2回開催した。その北関東説明会に児童養護施設の職員さんが来てくれて、それがきっかけで児童養護施設にプログラムを届けにいくことに。

その後、北関東メンバーの西さんの親子体験会プランをみんなで応援して、次は山下さんの自由学園プランをみんなで応援してってことがまず形に。


ーーこれから、何かしてみたい、こうしてみようと思うことはありますか?

私は地域ぐるみの子育ての力になりたいと、KP21に入会したころから思っています。地域チームを立ち上げて、チームでプログラム実施ができるようになってきました。
もっともっとたくさん、住まいの近くで、必要な人にプログラムを届けたい、自信の持てない子どもたちや若いママたちには「あなたはあなたのままでいいんだよ」と言ってあげたいです。
そしてそんな関わり方をする大人たちを増やしたいです。

ーーそれは、実際にできそうと感じますか?

できます!

ーーそれは、どうしてですか?

同じ思いの地域チームの仲間がいるから、きっとできます!

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(編集後記)
こんなにも悩んでいた苦しんだ過去があるからこそ、いつも等身大で居心地の良い雰囲気を持っているあおちゃんなんだと実感しました。職業観にとらわれなくなり過去を認められるようになって、いきいき向かっていくあおちゃんの未来が楽しみです。

(ライター・うる)

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