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子としても親としても苦しんだ“価値観の枠” ーーそして気づいた第三の大人の存在

わくわくして動き出さずにはいられない原動力「わくわくエンジン®」を持って活動している方たちを紹介する連載「わくわくエンジン®図鑑」。
認定NPO法人キーパーソン21がお届けします。

小さい頃から親が選んだ道をまっすぐ歩んできた入澤さんは、自分としっかり向き合うことなく大人になりました。大手製薬会社に就職したけれど仕事にわくわくせず、初めて自分の意思で教師に転職。そんな入澤さんの気持ちの変化、親と子どもの価値観についてのストーリーをご紹介します。

【図鑑 No.12】
お名前
入澤 真由美
おしごと
中学校、高校で理科(化学)を教える非常勤講師
わくわくエンジンⓇ
楽しい学びを提供し、人を躍動させること

親の敷いたレールを歩いてきた。でもそこに違和感はなかった。


ーー入澤さんは理科の先生をしていますが、小さい頃からの夢だったのですか?


小さい子が好きだったので幼稚園の先生になりたいって思っていました。

でも親は中学校か高校の先生になりなさいと言い、私は親の言うことをよく聞くいい子だったから(笑)私立大学の理工系学部に進学し、教員免許を取りました。先生になるなら国公立大の教育学部に行った方がよいと親にも言われたけれど、私は国語が苦手だったから無理だとあきらめました。

こんな風に、私の進路は自分のやりたいことや興味よりも、親の意向と得意か不得意かの消去法できめて決まっていったんです。

でも私にとってそんな選択は苦ではなく、当たり前のことだと思っていました。教員免許を取ったのに製薬会社に就職したのは、白衣を着て研究するのって格好いいという安易な理由から。

あと、私は幼稚園から高校までずっと同じ私立だったから、閉鎖的な環境に育ったコンプレックスみたいなものがあって、このまま教員になってもろくな先生になれないような気がしたということもありました。

製薬会社では研究職に就いたのですが、だんだんと自分が向いていないことに気づいたんです。研究職って、やっぱり探求心の強い人が向いているんですが、私は人から言われることを素直に受け入れるタイプ。なぜだろう?と突き詰めて考える探求心はあまりありませんでした。研究職になって何がしたいのかもよく考えずに就職してしまったことを後悔するようになりました。

レールの先が見えない・・・どうしよう?初めて自分と向き合い決めた道。


ーーせっかく入社した大手の製薬会社を辞められたきっかけはどんなことだったのですか?


私は親が望んだように、就職してしばらくしたら結婚、専業主婦になって旦那さんに稼いでもらうものだと思っていました。数年したら寿退社するだろうと、とりあえず就職しましたが、4年経ってもそれはやってこない。

今まで順調に歩んできたのに
レールの先が急になくなってしまったような感覚でした。
これから自分はどうすればいいの?
その時生まれて初めて自分と向き合った気がします。

考え抜いて出した結論は、
子どもの頃からずっと思っていた「先生になる」こと。
採用試験の受験勉強のために仕事を辞めると決めましたが、
もちろん親は猛反対。

親の言うことをよく聞くいい子だった私が、初めて自分で決めて起こした行動でした。先生になれるかどうかもわからないのに仕事を辞めるのは、自分にとっても大冒険で、今思い出してもよくやったなと思います。

退職した翌年に私立中学、高校で化学を教える先生になりました。やっと自分のやりたいことに出会えて、毎日子どもと接するのが本当に楽しかった。化学を教えること、担任を持つこと、問題のある生徒や親との関わり、大変なことも多かったけれど、自分の好きなことだからとてもやりがいを感じていました。

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その後、結婚して2人の子どもに恵まれたのですが、仕事も育児もどちらもいい加減になっている状態に苦しむようになり、最終的には学校を辞める決断をしたんです。

ーー一そうだったんですね。向いていなかったわけでも、嫌になったわけでもなく辞めるのは、相当悩まれたでしょうね。その後はどんな道を選んだのでしょうか?

上の子がちょうど小学校に入学のタイミングだったので、1年間専業主婦になりました。何か資格を取ろうと考え始めた時、高3生への進路指導が上手くできず悩んだことを思いだし、キャリアコンサルタントの資格取得にチャレンジしたんです。

資格は無事に取れたのですが、教師を辞めてしまった今、進路指導をすることもなく、この資格をどういかしていけばよいかモヤモヤし、教師をやめてしまったことに少し後悔し始めていました。

やっぱり自分は教えることが好き、育児もしっかりしながら教えることに携わる方法はないか!?そうだ、講師になろう!と思いつきました。勤務時間の短い講師という働き方なら子育てしながらできるのではないかと思ったんです。

まもなく近場で週3日勤務の仕事が見つかり、めでたく復帰できました。講師になって気づいたのは「自分がわくわくしてできるのは教科を教えること」だということ。専任教員の時は雑務に追われ、授業を工夫するために時間を割くことができなかった。

でも講師になったら、どうやって興味づけするか考えたり、生徒の反応によって教え方を変えたりと、ものすごく授業の工夫ができるんです。担任を持たないと教師として面白みがないという人もいますが、私のやりたいことは教えることに専念することだと気づきました。教えることって本当に楽しい。講師という働き方が自分には一番合っているとわかり、以来ずっと講師です。

子どものあっ!と躍動する、ぱっ!と目の輝く瞬間がたまらない


ーーーキーパーソン21の活動に参加し、「楽しい学びを提供し、人を躍動させること」というわくわくエンジンⓇを発見したそうですね。見つけた時はどうでしたか?

私は小さいころから自分がまず理解して、それをわかりやすく友達に教えてあげることが好きでした。探究心がなくて言われることを素直に受け入れる子どもだったけど、受け入れたものをわかりやすく人に伝えることにすごくわくわくしていたんです。

だから自分のわくわくエンジンを発見したときは、今までやってきたことの根っこにあるものが見つかり、自分の進みたい方向が見えた感じがしました。

先生になった今も上手く教えることより、子どもの自ら学びたい気持ちを引き出すような工夫をすることがとても楽しいんです。教えることはできても、子どもが自分で気づき、自発的に動くようにするのはとても難しいこと。でもそれができたとき、子どもはあっ!と躍動し、ぱっ!と目が輝く。その瞬間に出会えたとき、本当にわくわくします。私のやりたかったこと、原動力はそこなんだと腑に落ちました。

先生も変わらなくちゃ。楽しい学びを先生たちにも広めたい。オンライン授業をきっかけに始めた「仮説実験授業」の普及を目指す。


ーー「未来の先生展」に出展したり、地元の湘南地域に広めるためにチームを立ち上げたり、積極的に活動されていますよね。その他にも何か取り組まれていることはありますか?

私のわくわくエンジンⓇ的には、自分が楽しかったこと、役に立ったことは伝えたくなるんですよね。だから楽しい学びを子どもだけでなく、先生たちにも提供していきたいと思っています。

最近は、理科の「仮説実験授業」という教授法を先生たちに知ってもらう活動をしています。

「仮説実験授業」という教授法は50年以上前からあるもので、私も中学生の時に体験し、理科を好きになったきっかけとなった授業です。仮説実験授業では、問いに対して生徒たちが予想を立てながら実験を進めていきます。例えば、金属の授業で「1円玉に電気は通る?」という問いに生徒たちは予想を立て、結果とその理由を考えていきます。答えは「1円玉はアルミニウムなので電気は通る」なのですが、そのあとも、では5円玉は?千円札は?と予想を立てて実験を繰り返していく。

そうすると、生徒たちは自分たちで法則性を導き出すようになります。予想した結果がどうなるか見たくて、わくわくしながら実験を見ているんです。実はこの授業、コロナ禍のオンライン授業でやってみたのですが、これが生徒たちには大好評。チャットには生徒たちが立てた予想が次々と入ってきて、実験結果をみて喜ぶ生徒たちの笑顔が画面にあふれました。

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オンラインでやってみてあらためてこの教授法の良さを実感したので、これをもっと広めたいと思っています。この夏にはオンラインで全国の先生たちに仮説実験授業を体験してもらうイベントを実施予定で、今はその企画を手伝っています。先生たちにも楽しく学べる場を提供したいというのも私のやりたいことなんです。

自分の価値観を子どもに押し付けてはいけない。わかっていてもできずに親子関係はギクシャクしていた。


ーーー他に入澤さん自身の変化は何かありましたか?

ずっと変えられなかった自分の子どもへの価値観が少しずつ変わってきて、親子の関係がよくなりました。

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私はキーパーソン21の理念である、「子どものやりたい気持ちを大切にし、大人は伴走する」ことにとても共感しています。

でも自分の子どもにはなかなかそれができませんでした・・・

いつの間にか自分が苦しんだ「価値観の枠」に我が子もはめこもうとするダメな親でした。娘が高校生になり「小学校の先生になりたい」と言ったとき、うれしいながらも口をついて出たのは「先生になりたいのならちゃんと勉強して、良い成績をとって国公立目指しなさい」という言葉。

目指すものに向かって娘自身でルートを決めて歩んでいくのが一番だと頭ではわかっているんです。

でも、私の理想のレールに乗ってくれないことに納得がいかず、親として少しでも見栄えのする方向に娘を引き寄せようと考えしまう。娘はそんな私の心の内を感じ取り、反発して、親子関係はギクシャクしていきました。自分の中の矛盾に苦しんだ時期でしたね。

この春、娘は自分の意思を貫き先生になりました。私にはなかった強さを持って夢に向かって突き進んだ娘を誇りに思うと同時に、親として心から伴走してあげられなかったことを反省しています。

救いだったのは、娘には小学校の時からの恩師がいて、その先生が娘の気持ちをサポートしてくれたこと。まっさらな状態で子どもを認め、共感してくれる第三の大人の存在の重要性を実感しました

親って自分の価値観で子どもをみてしまったり、子どものためを思って選択肢が多くなるような、有利になるような方向に誘導してしまうけど、第三の大人はそこは置いておいて認めたり、共感してあげたりできますよね。そういう関係が少なくなっている今だからこそ、キーパーソン21の活動は本当に必要なんだな、と改めて感じました。

我が娘の伴走がうまくできなかった分、学校やキーパーソン21の活動では第三の大人として子どもたちの気持ちを全力で受け止めようと心がけています。かつての私のように親の敷いたレールを疑わず歩いている子、娘のように親の価値観のもと窮屈さを感じている子、そんな子どもたちにキーパーソン21のプログラムを届けたいです。そして自分と向き合い素直な気持ちを言葉にする体験をしてほしいと思います。

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編集後記
キーパーソン21でも、先生としても「楽しい学びの提供する」というわくわくエンジンⓇ全開で、子どもと向き合っている入澤さん。そのパワーにはいつも圧倒されます。でもお母さんとしてご自身の子育てでは苦労されていたんですね。子どものありのままを認めて応援したいと思っていても、自分の価値観で誘導してしまう・・・こんな経験をされている方、きっと多くいらっしゃいますよね。この記事を読んでホッとしていただけたら嬉しいです。

(ライター・ようちゃん)

わくわくエンジンって何?はこちら


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