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都知事選と『バチェロレッテ3』の共通点

今日は先週末の東京都知事選と、明日完結編が配信される『バチェロレッテ・ジャパン』シーズン3について書きたいと思う。「なんで?」と思う人も多いだろう。この二つには、一見まったく共通点がない。強いて言うなら「今、話題になっている」という点くらいだ。しかしそれは俗人の思考(@ハマーン・カーン)だ。実はこの2つにはかなり本質的な共通点がある。それは「出場しているほとんどのプレイヤーが売名目的で本気で選ばれたいと考えていない」点だ。

都知事選のような大型選挙が、売名目的に利用される現象はSNSとの相乗効果が証明されたことにより、この数年で完全に定着した(そのため、僕はそう遠くなく「選挙とはそういうものだ」とみんな理解して、今ほど話題になくなると思う)。実際に今回の都知事選でも主要3候補、つまり小池百合子、石丸伸二、蓮舫以外に本気で当選したいと考えていた候補、自分の当選が現実的だと考えていた候補はほとんどいないはずで、たいていの候補はよく言えば「問題提起」、悪く言えば「売名」が目的だっだとも言える。より正確には第2位につけた石丸伸二も、個人的には国政を見据えた売名が最大の目的だったことはまず間違いないだろう。

そして『バチェロレッテ・ジャパン』のシーズン3だ。この番組にかかわらず、SNS社会下の恋愛リアリティーショーは「出演者がいかに視聴者の好感度を上げ、SNSのフォロアー数を増やすことができるか」というゲームだ。それは見ている側も百も承知で、大半の視聴者がその虚実の複雑に入り混じったゲームを楽しんでいる。したがって、この番組に出ている人々のほとんどが「売名」目的であったと思われる。

そして僕はそれがまったく悪いことだとは思わない。少なくとも、政治系インフルエンサーになりたくて選挙に出る連中と違って世の中に害は与えないし、むしろアクティブに人生の可能性を探求している人たちだとして、好意的に僕は見ている。(そういば以前、終了近くの『テラスハウス』で、出演中のバスケットボール選手が番組中にコメンテーターのタレントたちに「売名目的(だから恋愛に積極的じゃない)」と批判されていたが、そのとき僕は「じゃあお前たちがタレント辞めろよ」と思ったものだった。)

さて都知事選しかりバチェロレッテしかり、出場者の大半が「売名目的」で「別に最後の一人に選ばれたいわけではない」状態でゲームを展開するとどうなるか。都知事選のほうは既に以前の記事でざんさん解説したので、バチェロレッテのほうについて考えてみよう。

今回のシーズンで起きたことは、一言で言えば「辞退者の続出」だ。明確に自分から辞退した男性が2名いて、そして明日配信の最終回に残った2名のうち1名は「(別にあなたのことを現時点で好きというわけではないので)選ばれたとしても友達から始めたい」と言い出し、もう1名は「自分はいわゆる遊び人だ」とここにきて告白している。つまりどちらも、特に前者は明白に「自分から降りにいっている」状態だ。

この前代未聞の事態にSNSは沸騰している。そしてこの実質的なゲーム崩壊の原因を3代目バチェロレッテの武井亜樹さんの振る舞いに求め、彼女を批判する投稿も増えているが、これはとんだお門違いだ。(そもそもリアリティーショーの視聴者を叩くという行為が、あまりにもリテラシーがなさすぎる。)

僕の考えでは、このゲーム崩壊は起きるべくして起きている。この崩壊は完全にSNS時代の恋愛リアリティーショーの難しさと、その対応に失敗した番組コンセプトとゲームルールによって起きているのだ。

そしてこの記事ではこの問題を、今回の都知事選の主役だった石丸伸二と、この『バッチェロレッテ・ジャパン』シーズン3の「本命」と言われている(そして最後の2人に残っている)物理化学者・櫛田創の比較から考えてみたい。

今回の都知事選、石丸は本当の意味で「無敵の人」だった。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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