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「ファスト風土化する郊外」VS「ウォーカブルな都心」の図式で「考えない」、これからつくりたい「都市」の話

 週末は微妙に体調を崩してしまっていて、更新が滞ってしまった。すっかり回復はしていて、いま、取材で石巻に来ている。時期的に概ね察しが付くと思うのだけれど、震災復興の取材だ。この取材のことは改めて書こうと思っているのだけれど、今日は別の話について取り上げたい。それは、昨日の「庭プロジェクト」の研究会で考えたことだ。

 昨日は柳瀬博一さんをゲストスピーカーに迎えて、「都市」について話してもらった。柳瀬さんの専門はメディア論だが、その観点から展開した『国道16号線―「日本」を創った道』と『カワセミ都市トーキョー』といった都市論が演題だ。そしてこれから書くのは僕が昨日柳瀬さんの話を聞いて改めて考えたことだ。僕なりにこの2冊で描き出された柳瀬都市論を統合すると前者は自動車、後者はカワセミという人間「ならざるもの」の目を借りた都市論だ。

 まず前者について解説しよう。「自動車」の目を借りると、近代日本が特に首都圏では脇役に追いやってしまった「街道」文化の遺産が見えてくる。この「街道」の地理的なアドバンテージやその文化的な遺産、そして「道」のもたらす異文化との交流(戦後で言えば在日米軍文化との接触地であること)を活かすと、人間にとって快適で、文化的にも豊かな街が成立するというのだ(その代表が昨今話題の千葉県流山だ)。逆に、こうした「街道」の長所に活かさずに街を形成するとそこはただロードサイドに大手チェーンの大型店舗が並ぶだけの「ファスト風土」化した郊外都市になってしまう。

 後者については同じようにカワセミの目を借りると、東京の都心の意外な横顔が見えてくる。それは小さい川とその源流となる台地の小さな森から形成される「少流域」(の源流)の自然だ。同書では近年の水質改善によって、一度は都心の川から「撤退」したカワセミが回帰しているさまが描かれる。そして今日のカワセミの主食はここ数十年住み着いた外来種のエビや小魚だ。なぜならば都心の川は戦後初期の水質汚染でほぼ「死の川」になり、在来種が全滅しているからだ。そしてカワセミたちの巣は川に人工的に設けられた両岸の取水口だ。そして柳瀬さんは、このカワセミの回帰した自然豊かな都心の小流域に生まれる「キワ地」が古来より、人間の居住区域として利便性の高い「良い土地」とされてきたことに注目する(そのため今日も高級住宅街が多い)。

 要するに前者は「街道」性に注目することによる郊外のファスト風土再生論であり、後者はカワセミと現代人の都心回帰を重ね合わせた東京の再発見なのだ。より身も蓋もなく言い換えれば、柳瀬さんはこと悪役にされがちなモータリゼーションは過小評価されおり、「道」の文化を育んできた日本においてはむしろ豊かなまちづくりの基礎に置かれるべきだと考えている。そして都心の「小流域」のような範囲、つまり「ウォーカブルな」単位での、その残された小さな(しかし、豊かな)自然を生かしたまちづくりにも高いポテンシャルを見出している。
 つまり、柳瀬さんはモータリゼーション化する郊外とウォーカブルな都心を高く評価する一方で、「鉄道」を中心とした近代以降の、特に戦後の街作りに対して批判的だ。その理由は柳瀬さんのこれらの本を一読すれば明らかでそれは鉄道の駅を中心とした街作りが、街道やキワ地とは異なり(そして「車」は「人」の道に即した街作りとは異なり)その土地の地形に即したものになりづらいと彼が考えるからだ。

 さて、ここからはその上でここからは僕なりの柳瀬都市論への応答、というか付け足しを試みたい。結論を先に書いてしまうと、僕はこれは「交通」の問題だと考えている。そしてこの「交通」の問題を解決するために「働き方」を変えるべきだと考えている。

 誤解しないでほしいが、「交通」と言っても駅近だとか、4車線道路が整備されて渋滞が少ないとか、そういうことじゃなくてその場所が外部に開かれていて、異質なものに触れる回路が備わっているかどうか、という問題なのだ。

 柳瀬都市論によれば街道は他の地域に対して常に「物流」で開かれているし、都心の少流域は自然(森)に対して開かれている。しかし、鉄道の「駅」中心の街作りでは、かつてとは異なり特にSNSによる文化的な「棲み分け」が強固に働くため、文脈を共有する人間としか出会わないケースが増加する。「文化的な」ブランディングが完成してしまった街が逆に生成力が落ちてしまうのは、こうした「同じようなキャラの人」しか集まらなくなるからだ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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