見出し画像

映画『シン・ウルトラマン』を公開日の夜に見て、そして一晩考えたこと

公開初日の夜に、『シン・ウルトラマン』を観てきた。既に賛否両論の感想が飛び交っているのだけれど、僕は「世間(僕の嫌いな言葉だ)」で共有されている論点にはそれほど関心がなく、むしろ別のいくつかのことが引っかかっている。詳しいことは週明けの座談会で話すつもりだが、まずは一晩考えたことをシェアして、問題提起としたい。

まず僕は前提として、この『シン・ウルトラマン』の「コンセプト」は「とりあえず」有効に機能していたと考えている。『シン・ゴジラ』の記憶があたらしい観客の多くが、おそらく同作のようなSFと政治劇とを組み合わせ、双方を補完する作劇を期待したはずだ。たとえば、戦後70余年、在日米軍は大戦期に飛来した宇宙人(ウルトラマン)の死体(本当は休眠しているだけ)を監視するために沖縄に駐留し続けてきた……といった設定を用いて(かなり物議を醸しそうだが)『シン・ゴジラ』と同じコンセプトの『シン・ウルトラマン』をつくることも、できたはずだ。

ここから先は

4,074字 / 1画像
僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

僕と僕のメディア「PLANETS」は読者のみなさんの直接的なサポートで支えられています。このノートもそのうちの一つです。面白かったなと思ってくれた分だけサポートしてもらえるとより長く、続けられるしそれ以上にちゃんと読者に届いているんだなと思えて、なんというかやる気がでます。