映画『シン・ウルトラマン』を公開日の夜に見て、そして一晩考えたこと
公開初日の夜に、『シン・ウルトラマン』を観てきた。既に賛否両論の感想が飛び交っているのだけれど、僕は「世間(僕の嫌いな言葉だ)」で共有されている論点にはそれほど関心がなく、むしろ別のいくつかのことが引っかかっている。詳しいことは週明けの座談会で話すつもりだが、まずは一晩考えたことをシェアして、問題提起としたい。
まず僕は前提として、この『シン・ウルトラマン』の「コンセプト」は「とりあえず」有効に機能していたと考えている。『シン・ゴジラ』の記憶があたらしい観客の多くが、おそらく同作のようなSFと政治劇とを組み合わせ、双方を補完する作劇を期待したはずだ。たとえば、戦後70余年、在日米軍は大戦期に飛来した宇宙人(ウルトラマン)の死体(本当は休眠しているだけ)を監視するために沖縄に駐留し続けてきた……といった設定を用いて(かなり物議を醸しそうだが)『シン・ゴジラ』と同じコンセプトの『シン・ウルトラマン』をつくることも、できたはずだ。
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