『夜明けのすべて』と「弱さ」の問題
映画『夜明けのすべて』については、やはり書いておきたい。劇場に足を運んだ理由は、僕がNHKの朝ドラ『カムカムエブリバディ』が好きで、そこで夫婦役を演じた松村北斗と上白石萌音がW主演をつとめる、というミーハーな理由だったのだが、これが端的に言えば傑作だった。
この映画の、特に演出面の巧みさについては既に多くの指摘があり、僕から特に付け加えることは今のところはない。だからむしろこの映画の物語面について、とくに原作小説との差異について、ここでは論じたいと思う。そして結論から書いてしまえば僕はこれは素晴らしい作品だと考えているのだけど、しかし少しだけ引っかかることがあって、それは要するにこの映画全体を支配するオブセッションのようなものについてのことだ。具体的に述べれば、この映画は登場人物の全員が「弱さ」を強制されているーーこうした息苦しさを僕は感じたのだ。だから映画がよくない、ということでは当然なく、そのことの時代的な意味について、僕は考え込んでしまったのだ。
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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。
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