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仮面ライダーBLACKSUNと「左翼」の問題

仮面ライダー史上(ある意味においては)最大の問題作?

先月末にアマゾンプライムビデオで配信が始まった『仮面ライダーBLACKSUN』を、今週前半でイッキ観した。2日水曜日の夜に、切通理作さん、森直人さん、成馬零一さんの4人で、この作品について語る番組を配信したので、それまでに完走したのだが、改めてこれはあらゆる意味で語り甲斐のある作品だと思う。一言で言えば、この作品は「仮面ライダー」という器でいま、できることとできないことの境界線を浮き彫りにしてしまっており、それが同時にこの国の戦後史のクリティカル・ポイントになっているように僕には思えるからだ。ここでは番組で語り残したことを中心に、この仮面ライダー史上(ある意味においては)最大の問題作について論じてみたい。

「仮面ライダーに政治を持ち込むな」的なことを言っている人たちはまあ、置いておくとして……

「仮面ライダーに政治を持ち込むな」とか「反日ゆ・る・さ・ん」とか言っている人はまあ、そっとしておくとして(一応言っておくが、君たちはものを考える上での最低限のリテラシーが足りていないだけだ)、この作品は戦後史(の半ばから後半の50年)とは新左翼的ロマンティシズムの敗北であるという史観に基づいて作られており、その結果端的に言って物語の内容的に破綻している。少し意地悪な言い方をすれば、『仮面ライダーBLACKSUN』とはグレタ・トゥーンベリ的な今どきの意識の高い活動家が、新左翼「的な」ロマンティシズムの延命方法を半世紀もの間ずっと模索してきたおじいちゃん(見た目は「おじさん」だが、中身は「おじいちゃん」だろう)に説教されて新左翼の泥臭いスタイルに回帰する、という物語だ。

朝ドラ的「孫ポルノ」の新左翼版としての『仮面ライダーBLACKSUN』

これはNHKが手を抜いた朝ドラを作ったときの展開によく似ている。学校の先生とか看護師とか、とりあえず誰からも褒められそうな無難な夢を持つ主人公が上京して、イケメン夫(だいたい幼馴染)をゲットしたあと地元にUターン就職して、大好きなおじいちゃん・おばあちゃんの下で伝統文化の継承とか地方創生に勤しむ、といった高齢視聴者の願望に即した「孫ポルノ」的展開が近年の地雷朝ドラの鉄則なのだが、ほとんどそれの特撮版だと言っていい。しかし問題は『仮面ライダーBLACKSUN』にこうした「孫ポルノ」を期待している視聴者はおそらく全世界で多くて数十名くらいだと思われることだ……。思わず面白くなって茶化して書いてしまったが、実はここに深刻な問題がある、というのが僕の理解だ。

グレタ・トゥーンベリ(的な若者は)新左翼の夢を見るか?

監督の白石和彌らがここでヒロインの葵を通して描いている現代性とは、グレタ本人というより、彼女を好意的に消費する気分だけのリベラリスト、クーラーの効いた部屋でスターバックスのコーヒーを飲みながら環境問題の本を読んでその感想をFacebookでシェアする人々の、ときに「シャンパン左翼」といった言葉で揶揄される文化(要するにクリエイティブ・クラスのリベラル志向)のことだろう。本当に彼女が今どきのシャンパン左翼の象徴足り得るかは微妙な気もするが、それはまあ、置いておく……)。

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