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渋谷はもはや「谷」ではない

先日、渋谷ヒカリエのオープン10周年記念のトークセッションで司会を務めてきた。テーマは「渋谷」の都市論。特にかつてポップカルチャーの都だった渋谷をどう取り戻すか、ということを議論してきた。これまでとは、少し違った切り口でと東急からオファーがあったので、あえて「渋谷らしい」人は並ばないセッションになったと思う。

さて、このセッションでは僕が渋谷の「これから」を考える上であげたキーワードは「中間性」だった。これは渋谷になにか先鋭的なものを求めている人には、少し嫌な気分になる発言だったかもしれないけれど、僕は本当に少しもネガティブな意味を込めていない。言葉の最良の意味で「中間的な」ところが、現在の渋谷のもつポテンシャルのように思えるのだ。

この「中間」とは「丸の内と六本木の中間」という意味だ。もちろん地理的な話ではない(地理的にはむしろ六本木が渋谷と丸の内の中間だ)、文化的な話だ。そしてもちろん比喩だ。

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僕はもはやFacebookやTwitterは意見を表明する場所としては相応しくないと考えています。日々考えていることを、半分だけ閉じたこうした場所で発信していけたらと思っています。

宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…

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