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「遅いインターネット(先行公開)」#2 平成という「失敗したプロジェクト」

このマガジンでは僕が来年2月に出版する「遅いインターネット」(幻冬舎)の草稿を特別に先出ししています。ここから何回か「平成」という「失敗したプロジェクト」について論じています。「平成」という時代は、僕にとってはこれまでの人生そのものだったのだけれど、やはり日本社会という単位で述べるなら混乱と行き詰まりの30年だったと言わざるを得ないものがあります。そして「……ではない」という「否定の言葉」ではなく「……である」という肯定の言葉で未来を構想するためにこそ、僕たちはこの「失敗したプロジェクト」を受け止めないといけない。僕はそう考えています。

■平成という「失敗したプロジェクト」

 そしてなし崩し的に「平成」と呼ばれた時代が終わり、「令和」という新しい時代が幕を開けた。しかし、この国の実体は何も変わっていない。新国立競技場のデザインを変えても、青写真を持たない東京五輪の実体が何も変わらないように。
 そもそも「平成」とは何だったのか。それはどのような時代だったのか。1年ほど前に、新聞のインタビューに僕はこう答えた。
 平成とは「失敗したプロジェクト」である、と。
 そのプロジェクトとはなにか。それは「政治」と「経済」、ふたつの「改革」のプロジェクトだ。「平成」とは政治改革(二大政党制による政権交代の実現)と、経済改革(20世紀的工業社会から21世紀的情報社会への転換)という二大プロジェクトに失敗した時代である。これが、僕の結論だ。

 平成の政治改革とは事実上の自民党の一党独裁と、その対立を装った補完勢力である社会党による55年体制という共犯関係を打破し、中道的な二大政党制に移行することで、議会制民主主義を機能させることを目的としたプロジェクトだった。
 戦後日本において、永く政権担当能力を持つのは自由民主党のみだった。そして同党は実質的には親米から反米、新自由主義者から社会民主主義者までを包摂する呉越同舟の寄り合い所帯であり、イデオロギーや政策ではなく、政官財のコネクションのノードとして成立した政党だった。対する社会党をはじめとする野党は、基本的に政権担当能力もなければその意志もなかった。彼らの役目は、事実上の一党独裁に支配されたこの国に表面的には民主主義が成立しているという体裁を整えることだ。
 その結果として、何が起こったか。与党自民党は非民主的でクローズドな利害調整機関となり、政策を置き去りに政局ばかりが肥大する組織に変貌していった(思想や政策で結びついた集団ではないので、当たり前だ)。対して社会党をはじめとする野党は実現可能性を度外視した理想論をマスメディアで喧伝し(永遠に政権を獲得しない前提なのでこれが可能になる)政府への批判票を集め一定数の議席を確保するだけの存在になっていった。
 こうして、戦後日本の議会制民主主義はその機能を失ったのだ。露悪的な現実主義者は、「とはいえ社会はこういうしくみでしか回っていないのだから」としたり顔で「世間」を語ることに酔い現状を改善する意思を失い、偽善的な理想主義者は「実現可能な理想ではなく、絵空事のような理想を語ることがほんとうのロマンティストなのだ」と自分に酔い、現実を変えるための知性を放棄する。そして国民たちは」「ベストよりベターを選ぶのが民主主義」なのだと普段は中選挙区の与党候補の中から少しでもマシに見える人間をウンザリしながら選び、時々はいつかやってくる日本のほんとうの民主主義の成熟のために、政策的には1%も実効性を感じていない政策を掲げる野党に「批判票」を入れて満足する。これがいわゆる「55年体制」下の民主主義だ。

『遅いインターネット』(幻冬舎)2月20日発売予定!
インターネットによって失った未来をインターネットによって取り戻す――
インターネットは世の中の「速度」を決定的に上げました。しかしその弊害がさまざまな場面で現出しています。世界の分断、排外主義の台頭、そしてポピュリズムによる民主主義の暴走は、「速すぎるインターネット」がもたらすそれの典型例です。インターネットによって本来辿り着くべきだった未来を取り戻すには今何が必要なのか、提言します。


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