乙武さんのこと
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これは、2018年9月18日に乙武洋匡さんが、僕がキャスターを務めていたdTVチャンネルのニュース番組『NewS X』に出演したときの言葉だ。
この日、僕は彼に政治家の道を諦めるべきではない、と延べた。
それに対する彼の返答が引用した発言だ。あれから3年半。乙武さんがついに、出馬の意思を固めた。今回は少し、個人的な思いも交えながら、彼の出馬について考えてみたいと思う。
乙武さんから、最初に出馬の意思を聞かされたのは、2016年の2月28日だった。正確に覚えているのは、それが僕が前の事務所に引っ越しして、その事務所開きのパーティーの日だったからだ。乙武さんはあの頃、僕の事務所の近所に住んでいて、気軽に顔を出してくれたのだ。僕が雑談混じりに、そろそろ出馬するのかと尋ねると彼は急に真剣な顔になって「出ます」と言った。僕はすぐに、どこからかと尋ねた。自民党からだ、という彼は答えた。正直にいうと、本当にそれでいいのかと疑問に感じなかったかと言えば嘘になる。しかし、同時に僕は乙武さんらしい選択だな、とも思った。
この直前まで、乙武さんは僕が提唱するオルタナティブ・オリンピック・プロジェクトのメンバーとして、2020年東京大会の「対案」の作成に参加してくれていた。と、いうかこのプロジェクトの基本構想である、オリンピックとパラリンピックの「融合」はもともとも乙武さんの持論で、僕たちはその構想を実施レベルに落とし込むためのアイデアを練ったのだ。
そして、乙武さんはこの間も議論の中で、僕たちはもっと年寄りに気に入られるようなカードも切らないといけない、と繰り返し述べていた。それは、僕をはじめとして脱社会的な方向に流れがちな他のメンバーに対する愛のある忠告だったと思うのだけれど、同時に当時の乙武さんが彼自身に言い聞かせていた言葉でもあったと思う。社会の外部からの、侵略的な変革は難しい。日本は年齢構成的にも、文化的にも老いた社会で、この状態から大きな変革を実現するには、うまく社会のマジョリティである保守的な高齢層を、ときにはうまくごまかしながら味方につけないといけない、と彼は考えていたはずだった。僕は、乙武さんにはどちらかと言えば野党から出馬してそれを育て、この国の議会制民主主義がきちんと政策論争ベースのものになることに注力して欲しいという気持ちが実はあったのだけど、彼の決断を尊重しようと思った。僕の知っている乙武洋匡という人間は、障害のある身体をもって生まれた自分を「駒」にして、効果的な社会変革をもたらすことを常に考えているリアリストだった。その彼が、与党からの出馬を決断した背景には、かなりしっかりとした戦略があるのだろう、と想像できた。
そして、春になって乙武さんの誕生パーティーの案内が届いた。宇野さんはこういう席は好きじゃないだろうけど、出馬を発表する場にするので、顔を出して欲しいと添えてあった。記憶が確かなら、週刊新潮が乙武さんの不倫を報じたのは、この直後のことだった。この頃、僕は朝のワイドショーのコメンテーターを週に一度務めていた。僕は番組でこの不倫で彼が自ら家庭を壊したことに同情はしない、といった意味のことを、冗談めかして言った。正確には「僕はすべてのイケメンは不幸になるべきだと思っているので……」的なことを前置きで述べたと思う。もちろん、これはスタジオの話の主導権を取るために、自分のところにボールを置くために意図的に挟んだ笑いだった。同時に、不倫云々はあくまで当人と家族の問題であり、公の問題にすべきではないというスタンスを表明する意味もあった。そしてその上で僕は言った。彼は、自分に与えられた身体を武器にして、この国に欠けている多様性への問題提起をしてきた貴重な存在だ。このような個人的な問題で、社会的に抹殺されるべきでない、と。もちろん、僕もこの発言によって多少、炎上することになった。そして、結局乙武さんは出馬を断念して、長い潜伏期間に入った。僕はイベントなどで度々顔を合わせるために、彼に政治の世界に行くことをあきらめるべきではない、と言い続けた。もちろん、本人もいまは雌伏のときだと考えていたに違いない。しかし、だからこそ僕は周囲の人間が、君の出馬を待っていると公の場で言うことが大事だと思ったのだ。
乙武さんに僕らが期待するのは、いまや雲散霧消してしまった第三極的な立場からの、言ってみれば「みんなの党」的なポジションからの活動だ。前提として、文化的には多様性を重んじ、マイノリティを尊重するリベラルの立場を取る。しかし、軍事、外交的にはリアリズムの立場を取り、経済的には成長を重視ししながらも状況に応じて是々非々で対応する。そして、いわゆる「ネトウヨ」的な歴史修正主義や外国人差別には決然としてNOを突きつける。そのような、旧態依然とした左翼とは異なるかたちでの「あたらしいリベラル」の体現者になることを期待したい(当然、本人もそのつもりだろう)。そして、ここからが重要だが乙武洋匡はこの第三極的な中庸を維持できる条件が揃っている。
以前にここで論じたように、現在の第三極が機能しないのは、国民全員が潜在的な情報発信能力を持ち、これらプレイヤーが相互評価のゲームに参加している今日の情報環境においては、第三極が事実上の第一極の補完勢力として第二極を批判することが、もっとも動員のコストパフォーマンスが良いからだ(このゲームにおいては、既に多くのプレイヤーにシェアされている話題以外に言及するメリットが低く、そしてその話題に対しても既に支配的な意見に対して肯定するか、否定するかの言及を行うことがもっとも効率的に注目を集める)。
要するに、アテンション・エコノミーのゲームを効率よく攻略するためには、日本維新の会は自由民主党ではなく、立憲民主党を機械的に攻撃し続けるのが正解になってしまっている、ということなのだが乙武洋匡はこのゲームに参加するメリットが他の政治家に比べてかなり低い。それは、彼が「あの身体条件をもつ人間が国政にコミットする」という物語に依存した政治家だからだ。つまり彼は敵をつくることで注目を集め、それを攻撃することで自分の支持者たちを敵を殴る快楽の中毒にして焚きつけるという戦略を取る必要が、おそらくは現代の日本でもっとも低いプレイヤーなのだ。いわば彼は「中庸のままでいられる身体」をもっているのだ。
僕は彼に二つのことを期待する。一つは、彼がずっとやりたかったことを愚直に実践することだ。この国の、たぶん先進国の標準からは一周以上遅れてしまった社会への多様性のインストールを進めることだ。彼はそのために、自分の存在をアイコンにするべく出馬したはずだからだ。そしてもう一つ。それは、この問題解決や問題設定の吟味ではなく「どう回答したら自分のイメージが良くなるか」だけを考える相互評価のゲームに対し、その半分外側から水を指し、バランサーとして機能することだ。勢力AとBが、互いを効率的に攻撃(することでアテンション・エコノミー的に集票)するために、置き去りにされてしまう本来の「問題そのもの」のことを横から指摘し、本題に引き戻す役割を果たすことだ。彼の発言は無所属の、一議員の発言としてスルーされることはほぼないはずだ。そして自分自身を徹底的に駒として扱い、その存在そのものがポピュラリティの源泉である乙武さんは、相対的にその役割を果たしやすいはずだ。あの「ワイドナショー」を華麗にハックしてみせた彼のしたたかさを駆使すれば、それは十分可能だろう。
もちろん、危惧もある。乙武さんはマスメディアによって傷つけられた自分の物語を回復するために、マスメディア上で「禊」を公開することを選んだわけだが、それは彼が一貫して古い体制を「ハック」することをその戦略の中心においていることを意味する。もちろん、外側にいないとできないことがあるように、内側にいないとできないことも多い。しかし、体制をハックするために、何かを演じている間にそれを自分の真意だと錯覚してしまった人間の名前で、20世紀の図書館はいっぱいだ。乙武さんは自分の存在そのものが最大の武器であるタイプのプレイヤーであるがゆえに、そこはどうしても心配になってしまう。友人の一人として、そこは気をつけて見守っていきたい。
ちなみに、僕は東京都在住の新宿区民だが、乙武さんに投票するかどうかはまだ迷っている。それは、この参議院ような中選挙区の選挙とは、実質的に「議員にしたくない人を落とすゲーム」だからだ。自分の一票の効果を最大にするためには、この場合(定数6)「6位争いをしている誰か」に投票するのが有効だ。もし、乙武さんが苦戦して6位争いに参加してしまうようなことがあれば、僕は迷いなく彼に投票するだろうが、選挙戦の推移によっては「議員にしたくない人を落とす」ゲームとして、他の候補に戦略的に投票する可能性が高い。乙武さんからしてみれば、無所属の裸一貫で出馬しているんだからどう転ぶかまったく分からないのだし、とにかく投票してくれと思うだろう。しかし僕はそこはあまり心配していない。乙武洋匡は、この程度のハードルに引っかかって、躓いてはいてはいけない人物だからだ。
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u-note(宇野常寛の個人的なノートブック)
宇野常寛がこっそりはじめたひとりマガジン。社会時評と文化批評、あと個人的に日々のことを綴ったエッセイを書いていきます。いま書いている本の草…
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