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『すずめの戸締まり』と「震災」の問題

「国民的作家」であることの自覚?

新海誠の新作『すずめの戸締まり』を、最速上映で見てきた。この作品については11月16日配信の番組でしっかりと議論する予定なのだが、その準備も兼ねて、ここでは現時点での考えをまとめておこうと思う。ちなみに、何段落か後からネタバレ全開で書いていくので、それが嫌な人は実際に映画館に足を運んでから読むようにして欲しい。

結論から述べると、この作品で新海誠は明らかに宮崎駿や、村上春樹が背負ってきた(そして村上は良くも悪くもそこから逃げ出してしまった)「国民的作家」であることを引き受けようとしている。その姿勢は批判することを目的にあら捜しをすればいくらでも攻撃できるだろうが、少なくともそういった誰かにダメ出しすることで自分を支えている人たちよりは圧倒的に真摯で、これまで彼の作品を嫌悪してきた人たちからの信頼を獲得することもある程度できるだろう。しかし、そのために本作は前二作と比べたとき(その東日本大震災という生々しい主題にもかかわらず)内容の薄弱なもの、もっと言ってしまえば空疎なものになってしまっているのは間違いない。この正しさと貧しさ、のようなものについて、今回は考えてみたいと思う。

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