國分功一郎『暇と退屈の倫理学』の再読から考えた「退屈」が既に攻略された世界の問題
さて、今日はこれからPLANETSCLUBで國分功一郎さんの講義があるのだけれど、僕は今日の講義とはまったく関係なく、最近彼についてよく考えている。年長の友人としての彼についてではなく、書き手としての彼の仕事について考えている。それは國分さんの『暇と退屈の倫理学』や『中動態の世界』といった、彼の一般向けの著作で展開している議論が、ここ数年僕が考えていることに大きな手がかりを与えてくれるように思うからだ。
たとえば、僕は『暇と退屈の倫理学』をある種のオタク論として読んだ。