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「それでも、生きてゆく」ために必要な『最高の離婚』 | 宇野常寛

今朝のメルマガは、『宇野常寛コレクション』をお届けします。今回取り上げるのは2013年のテレビドラマ『最高の離婚』です。〈ここではない、どこか〉ではなく〈いま、ここ〉を舞台に現実から半歩だけ浮き上がったファンタジーを描いてきた脚本家・坂元裕二。震災以降、非日常と日常がつながっていることが明らかになった中で、「それでも、生きてゆく」ために必要なものとは……?
※本記事は「原子爆弾とジョーカーなき世界」(メディアファクトリー)に収録された内容の再録です。

宇野常寛コレクション vol.13
「それでも、生きてゆく」ために必要な『最高の離婚』

 最近はじめた趣味は何かと尋ねられると、「歩く」ことだと答えることが多い。僕は高田馬場に住んでいるのだけれども、夏場を中心に友人を誘ってよく、深夜に歩く。最初の頃は早稲田通りから神楽坂を抜けて飯田橋に降り、麹町に抜ける。あるいは明治通りを南下して、新宿・渋谷の眠らない街を横目に恵比寿に向かう。気が向いたときはツイッターやフェイスブックに道中の写真をコメント付きで投稿しながら歩く。そうすると、嗅ぎ付けた読者が僕らを見つけて合流してくれることもある。だいたい、疲れたら深夜までやっている食堂やファミリーレストランを見つけて一服して、電車かタクシーで帰る。自由業の大人だからできる、ちょっと贅沢な遊びだと思う。
 そして、東京に住んで今年で七年になるが、趣味で歩くようになってから街の見え方が変わったように思える。僕にとって東京は随分変わった街で、普通に暮らしているとほとんど地理感覚をもつことができない。たとえば僕が住んでいる高田馬場から、江古田や護国寺は実は距離的にはほとんど離れていない。しかし僕らはこれらの街をとても遠くに感じている。実際にはもっともっと距離の離れた渋谷や日本橋のほうを近くに感じているのだ。これは端的に、鉄道のアクセスの問題だ。高田馬場からは山手線や東西線が直通している渋谷や日本橋のほうが、乗換を要する江古田や護国寺よりも(鉄道については)短時間で移動できるのだ。そして、東京は僕に言わせれば極度な鉄道依存の街だ。街の規模自体が大きすぎるのと、自動車所有コストの高さ、そして道路事情の悪さを考えると、生活者のほとんどは鉄道網に依存した都市生活を余儀なくされる。そうすると距離と時間の関係が逆転していく。江古田よりも日本橋を、護国寺よりも渋谷を近く感じてしまう。
  これはアニメ作家の押井守がもう二十年近く前にエッセイで書いていたことでもある。当時の僕はその意味が今一つピンとこなかった。けれど、会社を辞めて自由業の物書きになって、ふと思い立って趣味で「歩く」ようになってから押井守が言おうとしていたことの意味が分かるようになった。
  同じ街でも、接し方が異なるだけでまったく見え方が異なる。鉄道で移動する東京と、歩いて移動する東京は同じ街のはずなのに別の街、別の世界に見える、のだ。川の流れや土地の起伏に沿って、いかなる文化の街並みが配置されているのか、あるいはそれが広大な敷地をもつ工場や官公庁、学校といったものによって分断され、再編集されているのか。「歩く」ことで見えてくる東京の文脈は鉄道で移動するそれとはまるで異なっている。

 そしてこの話をすると、友人知人たちの何割かは確実に二年前のあの日の話をする。あの日、鉄道がほとんど運休して自分は、あるいは自分の親しい誰それは帰宅難民として久しぶりに東京の街を「歩いた」のだと。そして、その話をする彼らは(不謹慎な話だけれど)誰もがどこか楽しそう、に僕には見える。震災によって日常(=鉄道)が一時的に切断された結果、そこに東京の街を歩くという非日常が出現したのだ。それも、僕たちは普段生きている世界とはまったく異なる〈ここではない、どこか〉に連れ出されたのではない。〈いま、ここ〉により深く潜ることで、同じ世界に留まりながら非日常を体験しているのだ。
  たぶん、あの二人もそうだったのではないか。その結果、なんとなく付き合うことになって、そしてなんとなく結婚することになったのではないか、と僕は想像する。誰のことかと言うと、テレビドラマ『最高の離婚』に登場した濱崎夫妻のことだ。自動販売機メーカーの営業マンである光生と、彼の営業先の受付嬢だった結夏は、その日までほとんど話したことのないただの顔見知りだったという。しかし、その日、ともに帰宅難民になって自宅まで歩くことになったふたりは路上で一緒になる。心細さからとにかく誰かと一緒に居たい、という感情が発生し、ふたりの距離を近づけていく。そして物語はそんなきっかけで結婚に至ったふたりが、「性格の不一致」から離婚するところからはじまる。(ふたりの)結婚とは、あの日東京の鉄道網が一瞬だけ麻痺した瞬間に発生した非日常的な幻想でしかないのではないか。そんな疑問をふたりが抱くところから、物語ははじまる。ドラマは若い夫婦にありがちな、生活上の小さなトラブルや行き違いを細かく盛り込んで巧みに笑いを誘いながらそんな問いを突き付けてくる。結夏を演じる尾野真千子の大ファンである僕も毎週くすくすと笑いながら、楽しみに番組を観ていた。登場人物のうち、自分は誰それに近いかもしれない、誰それのようなことをやってパートナーを怒らせたことがある、などと友人たちと話すのが楽しかった。

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