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文豪たちと『桃太郎』 ─桃太郎は悪人だったのか

桃から生まれた心優しき桃太郎が、鬼ヶ島に行き、悪い鬼を退治する─。
現代の『桃太郎』は、勧善懲悪の物語として誰もが知るところです。

しかし、こう思われたことのある方も多いのではないでしょうか。

「桃太郎は、ただの盗人なのでは」と。

『桃太郎』は、物語の大筋は揺るがないものの、時代や地域によって形を変えながら伝えられてきました。時代とともに変化してきた桃太郎像ですが、中にはやはり、桃太郎=正義のヒーローという見方に、疑問を呈する人もいたようです。


1.桃太郎は盗人ともいうべき悪者なり  ─ 福沢諭吉が見た『桃太郎』

福沢諭吉(1835-1901)は、自身の子どもたちに書き与えた教訓集『ひゞのをしへ』の中で、下記のように述べています。

 もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。

福沢諭吉『ひゞのをしへ』より

つまるところ、「桃太郎は理由もなく鬼の宝をとりにいったのであり、盗人ともいうべき悪者だ。仮に鬼が悪者であり、世の中の害となるのなら、これを懲らしめることは良い事である。しかし、宝をとりお爺さんとお婆さんあげるのは、欲のための行為であり、この上なく卑怯である」といった具合に、桃太郎への強い批難が書かれています。ぐうの音も出ない正論、のように感じます…。
※ 桃太郎の名誉のために補足すると、鬼の悪行などは明治時代以降に付け加えられたものと言われており、現代の桃太郎像とは異なる部分も多いようです。


2.「鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!  」 ─ 芥川龍之介が描いた『桃太郎』

芥川龍之介(1892-1927)は、昔ばなしの桃太郎を題材に、小説『桃太郎』を執筆しています。ここからは、芥川版『桃太郎』の要点を見ていきましょう。


鬼ヶ島へ行く動機

昔ばなしでは、桃太郎が鬼ヶ島へ行く理由はさほど明確には描かれていませんが、芥川版では次のように述べられています。

桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白ものに愛想をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗とか太刀とか陣羽織とか、出陣の支度に入用のものは云うなり次第に持たせることにした。

芥川龍之介『桃太郎』より

桃太郎は、山仕事だの畑仕事だのが嫌なので出ていきたい。爺婆は、桃太郎に愛想が尽きたので追い出したい、と双方と利害が一致したことが動機ようです。なかなか殺伐とした親子関係です。

桃太郎は鬼ヶ島へ向け旅立ちます。

桃太郎・家来の関係性

桃太郎は、きび団子半分(一個ではなく)を犠牲に、犬、猿、雉を家来とします。桃太郎と家来の関係性は、きび団子で結びついた雇用関係であり、家来同士の関係も良好ではありません。

しかし彼等は残念ながら、あまり仲の好い間がらではない。丈夫な牙を持った犬は意気地のない猿を莫迦にする。黍団子の勘定に素早い猿はもっともらしい雉を莫迦にする。地震学などにも通じた雉は頭の鈍にぶい犬を莫迦にする。

芥川龍之介『桃太郎』より

それでも彼らは、宝を手に入れるため、鬼ヶ島へ向かいます。

鬼ヶ島にて

鬼ヶ島は絶海の孤島ではあるものの、美しい天然の楽土です。そこで生まれ育った鬼たちも平和を愛していました。
そこへ突如として現れた桃太郎一行は、鬼たちを恐怖のどん底に突き落とします。

「進め! 進め! 鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」

芥川龍之介『桃太郎』より

逃げ惑う鬼たちに、桃太郎一行はあらゆる悪行を働きます。

 ほとんどの鬼は桃太郎たちに殺されてしまいます。

鬼の酋長は、生き残った数人の鬼とともに桃太郎に降参し、恐る恐るこう尋ねます。

「わたくしどもはあなた様に何か無礼でも致したため、御征伐を受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明し下さる訣には参りますまいか?」

芥川龍之介『桃太郎』より

桃太郎は悠然と頷きながら、「犬猿雉の三匹の忠義物を召し抱えたので、征伐に来た」と答えます。
鬼の酋長は「それでは何故、その御三方を召し抱えたのですか」と再度問い、桃太郎は次のように返します。

「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
 鬼の酋長は驚いたように、三尺ほど後うしろへ飛び下さがると、いよいよまた丁寧にお時儀をした。

芥川龍之介『桃太郎』より

桃太郎の答えは、「犬猿雉を家来にしたから征伐に来た ➡ 征伐したいと思ったから家来にした」というトートロジー的な言い回しで、まったく要領を得ません。鬼からすると到底納得できるものではありませんね。桃太郎の理不尽さが強調される場面です。

桃太郎と鬼のその後

鬼ヶ島で非道の限りを尽くした桃太郎一行は、鬼からせしめた宝物を手に故郷へ凱旋します。しかし桃太郎たちの幸せは長くは続きません。雉は人質にとった鬼の子どもに殺害され、猿も桃太郎に間違われ、鬼の刺客に殺されます。残された桃太郎はこういった不幸に嘆息を漏らします。
その頃、鬼ヶ島の鬼たちは、嬉しそうに目を輝かせながら、鬼ヶ島独立へ向け、ヤシの実に爆弾を仕込んでいます。そこにはかつての平和を愛した鬼の姿はありませんでした─。


芥川は自著の中で、一貫して桃太郎を侵略者として描きました。本作の発表は1924年ですので、当時の帝国主義的な日本を風刺し、批判する意図もあったと考えられます。
そのような背景を抜きにしても、純粋に面白い作品に仕上がっているのは、さすが芥川と筆力といったところでしょう。

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