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進学校で開催している「芸術幼稚園」について

2018年の10月に「芸術幼稚園」という企画をはじめました。

内容を簡単に説明すると、広い意味での芸術に関わる方々に学校に来ていただいて、生徒参加型のワークショップを行うというものです。

はじめたばかりの頃は、どうせ3回くらいで終わるだろうと勝手に決めつけていたのですが、2019年2月の時点で7回もできていて、ありがたいことに今後も続けられそうなのです、、!

アーカイブも溜まってきたし、改めてこの企画に対する想いをクリアにして、学校の外にも発信せねば、と思ったので、文章を書きました。

この企画の【うまれた経緯】と【めざすこと】と【これから】について、長たらしい文章を書きがちなので分けました。特に最初の【うまれた経緯】の話は横道にそれまくっているので読み飛ばしたほうがいいかもしれません。

では

【うまれた経緯】

それは、遡ること約5年前のことです。私は今通っている中高一貫の進学校に「事故的に」入学してしまいました。その学校は、大概の中高一貫校がそうであるように、中学受験をして入学するタイプの学校でした。しかし、小学生の私には中学受験をする気なんて更々なく、高校受験がないという権利をゲットするためだけに何となく受験し、運良く合格してしまって、入学することになってしまいました。(こんな言い方してごめんなさい)

そして、当たり前といえば当たり前なのですが、蓋を開けてみると、実に険しい「勉強の世界」が待っていました。入学後の最初のテストでビリから数番目の順位をつきつけられ、小学生時代には夏休みですら手をつけなかった課題に毎日追われるようになりました。正直あまり覚えてないのですが、相当勉強したんだと思います、1年かからずに圧倒的下位層から上位層まで登りつめました。沢山の先生たちに驚かれ、褒められて、嬉しかったのは覚えています。しかし、上がる成績と反比例するように狂っていったものがありました。まず、無気力な朝と眠れない夜が増えて、2年近く友達と描き続けていた漫画が全く描けなくなりました。他にも色々とおかしくなりましたが、何よりヤバいと思ったのは、自分が面白いと思えることが分からなくなってしまったことでした。慣れない勉強のしすぎによる精神ダメージは、大きかったです。

ヤバいヤバいと思いつつも、何もできない中学時代を過ごした私は、このままではいけないと思って、高1になる春に学校を辞める決心をしました。とはいいつつも、退学したところで行く場所がなかったので、居場所探しの旅に出ました。何もできなかった中学時代に映画鑑賞で生き延びていた節があったので、東京に出て映画の現場に潜り込んで働いたりしました。自分がくるっと変わっちゃうような出会いが欲しいと思って、ネットサーフィンしていて見つけたヤバそうな(ここでいうヤバはよい意味だよ)アーティストの方に会いに行ったりもしました。そして、結局は退学しなかったのですが、気がついたら沢山の面白い人に出会っていて、生活が楽しいと思えるようになっていて、大丈夫になっていました。

「勉強の世界」とは違う「新しい世界」との出会いで視野が広がったというか、ひとつの物事に執着して身動きが取れなくなることがなくなって、学校なんて片手間で通ってればいいじゃんと、楽に思えるようになりました。(学校片手間案の賛否については置いといて)とにかく「新しい世界」との出会いのお陰で元気になったということについて伝えたいのです。

大丈夫になった私は、ゆるく学校に通いながら、学校という環境とそこにいる人達を観察するようになりました。すると、大学受験のことしか考えていない(あるいは生徒がそう感じざるをえない様なふるまいをする)先生は多く、それによって窮屈や苦痛を感じている生徒が一定数いることが見えてきました。(中学時代に自分が苦しめられた魔物の正体が判明した!)そして次第に、そんな環境を変えたいと思うようになりました。幸運にも私は親の監視保護レベルが低く、自分の意思で選んだ場所に逃げ、新しい出会いを得ることができたけれど、そうではない人が多数派なのも見えてきたからです。(特に女の子たちの親ブロックは強靭!)自分がそうだったように、ちょっと辛いとか満足できないとかを超えて大丈夫じゃなくなってる人もいました。このままではいけないと思いました。

自分には何ができるのだろうかと退屈な授業の間ずっと考えていて、思いついたのが「学校の外で出会った面白い人を学校に呼んで、学校の枠から出られない人とも交流できる場をつくる」ことでした。若者が大丈夫じゃなくなる原因は「視野の狭さ」である場合が多くて(他にもたくさんあるけどね)「新しい世界」との出会いは、それを解消できると思いました。それに、学校の中で開催することができれば、親ブロックが硬くて門限までに帰らなければならない子たちも救うことができる。

そして、いちばん「新しい世界」を見せてくれるものを突き詰めると、芸術だ!と思いました。思い返してみれば、私の居場所探しの旅路での芸術との出会いは、私にとって最も効果の高い薬でした。本質的には、芸術というか、クリエイティブでユニークな「芸術の世界」にいる感覚がよかったんだと気付きました。さらに突き詰めてゆくと、アーティストという職業のロールモデルが身近にあることには、本当に大きな意味があるんじゃないかと思うようになりました。例えば、一般的な常識で考えたときには、してはいけないことや失敗と感じるようなことでも、アーティストなら責めることなく別の視点を見つけてくれるだろうと。それは「視野の狭さ」に苦しめられている人にとっては、究極の救いです。こんな経緯で「学校の外で出会った面白い人を学校に呼んで、学校の枠から出られない人とも交流できる場をつくる」の「面白い人」の部分を、アーティストに限定してみることにしました。そして、この計画を実行すべく具体的な作戦を練っていたら、芸術幼稚園はうまれました。

【めざすこと】

実は「芸術幼稚園」という今の企画名がうまれる前に、もっと長い、あらゆる想いを込めた企画名がありました。その企画名は浸透しなくてボツになったのですが、それについて説明すると企画の概要もうまく説明されるので、説明します。

その名も「出張文化按摩芸術幼稚園」です。(こりゃあ浸透しないも?)

由来は「『芸術』家に学校まで『出張』してもらって、学校社会の『文化』や風潮を揉みほぐす(『按摩』)。また『幼稚園』のような自由で面白味に溢れた場でもって生徒に新しい世界を提示する。」で、企画の概要はこのテキストの通りです。幼稚園ってなんだよと突っ込まれることが多いのですが、どんな場になるのが理想かと考えていたら、幼稚園生時代のことを思い出して頭から離れなくなってしまって、幼稚園になりました。幼稚園生は、主に遊びを通して「新しい世界」を発見することが仕事のようなものなので、よい名前なのではないかと思っています。(どうでしょうか)

そして本題の、めざすことについてですが、端的にいうと「元気のない人を元気にする」ことです。

①の章にも書きましたが、私にとって、芸術との出会いは薬でした。芸術がくれた新しい世界が、ちょっと辛いとか満足できないとかを超えて大丈夫じゃなくなっていた状態を、かなり大丈夫な状態にまで治してくれました。この企画の原点は、私のそんな経験でもあるので、かつての私と同じように学校や勉強に対して窮屈や苦痛を感じている生徒への薬、すなわち芸術との出会い、の供給を、第一の目的にしたいのです。芸術との出会いの供給を明確な目的にすると、外から呼ぶべきはアーティストに限らず広い意味での芸術に関わる方々でいいと思いました。また、幼稚園のような場の正体を考えていたら、生徒参加型のワークショップが思い浮かんで、それを中身にすることにしました。幼稚園での活動は、泥団子づくり、おままごと、歌をうたう、お芋掘り、折り紙など、ほとんどが園児参加型の形式です。そして、幼稚園の教室の形も、園児に何か教えるというよりは、園児が何かをするためのデザインです。企画名に幼稚園とつけたからには、それは参考にして活かしたいと思いました。(写真は幼稚園をまねして教室の秩序を壊してみたときのだよ!)

さっき、学校や勉強に対して窮屈や苦痛を感じている生徒が対象だと書きましたが、勿論、別に悩みがないという生徒にとっても芸術との出会いは、自由度の高い将来の選択肢をもたらしてくれると思います。特に進学校においては、正解が一つしかないテストでスコアをとることばかりを求められがちなので、より効果があると思います。筆記テストの答えは一つかもしれませんが、人生の進路や夢や幸せの度合いなどの答えは必ずしも一つではないので、元気かどうかを考慮せずとも、芸術を通して学べることは多いと思います。

ちょっと話がそれますが、多分、バブルが崩壊したときあたりに「よい学校に行ってよい企業に入って結婚をして幸せになる」というような絶対的な成功のモデルも一緒に崩壊したんだと思います。そのことは、中高生の自分の将来に対するイメージを悲観的な方面へと向かわせたと思います。特に進学校の生徒には、勉強しても報われないかもしれないという得体の知れない不安が襲ってきていて、それは毒だと思います。親も先生も勉強しろと言うけど勉強なんて全然してこなかったであろうユーチューバー大金持ちじゃん、とか、賢くて観察眼が鋭いほど矛盾している社会構造が見えてしまうのです。現実がそうだし。でも、そんなときにこそ、悲観的にならないようにすべきで、そのための考え方は、芸術にあって、だからこそ、進学校では特に芸術に触れる機会を増やすべきと思うのです。(コレが題名に進学校とつけたわけ!)

【これから】

芸術幼稚園は可能な限り続けていきたいです。私は高校2年生で、もうすぐ受験生になる身なのですが、少なくとも高校生活が終わるまでは続けたいです。この企画を通して、自分が思い描いていた理想が実現されている感覚があるし、それに、なんだかシンプルに楽しいという理由もあります。学校に面白い人を呼んで普段は授業を受けている教室でヘンテコなことをしている活動と参加していただく方々の人生観や考え方を深く知れるのは、本当に興味深くて楽しいです。

今のところの芸術幼稚園は、私の通う学校の中に限った企画になっていますが、学校の外で開催してみたい気持ちもあります。対象も中高生でなくてもいいかもしれません。世界に、正解と間違いだけではい無限のオルタナティブな道があるということを知らなければいけないのは、むしろ大人かもしれない、大人の狭い考え方の枠が子供たちの道を断っているのかもしれない、ともつくづく思います。

また、活動に続けていくにあたって、今まで以上に沢山の方々に協力していただく必要性も出てきたので、ちゃんと情報発信もせねばとも思います。(今までの記録もはやくまとめねば。)

最後になりますが、最近では、人工知能ができることは学ぶ意味がないとか、協調性を育むのは実際の社会とは矛盾してるとか、もっともらしい言い分で学校の存在自体を疑うような話が巷に溢れています。確かに、こんなにもインターネットが発達している今、学校に行かなくても大学に行ったり働くことは可能なんだと思います。学校に行くよりも価値のある時間は、個人の工夫次第では、いくらでもつくれると思います。でも、実際問題、学校に行かないとか辞めるとかいう選択は、まだ万人に肯定的に受け入れられるものではないです。高校はまだしも、小学校と中学校は義務教育だし、子供が辛く思っているからといって退学を勧める親はいないだろうし、立場の弱い子供が自分の意思で逃れられるものではないと思います。さらに悪いことに、文部科学省の教育指導要領が変わらない限り、学校や授業の仕組みを変えるのは難しいです。そんな中で、少しでも学校が楽に感じられるようにするために何ができるのか、みんなが考える必要があると思います。私は、学校を変えたいと思っている人が動くしかないんだと思います。

生徒が生徒のために動くということの意味を、この企画の活動報告を通して発信せねばと思います。そして、芸術幼稚園みたいな企画がもっとうまれてほしいです。

おわりです。

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