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「これからどんなことが起きるかな。 人生って不思議。」らいふらりーno.2ありす

こんにちは!わくいふメディア「からいふ」です。
わくいふは、誰もが安心してわくわくできる社会をつくるために活動しているコミュニティーです。詳細は、この記事のおわりにをご覧ください。

わくいふのトークイベント「らいふらりー」は、わくいふメンバーの人生をじっくり聴いてみたい、という声から生まれました。それぞれが大切に歩いている道を覗いてみると、思いも寄らない発見があったり、自分との向き合い方にもじんわり変化があるような気がしています。

第2回目はキャリア(仕事)を手掛かりに、通信制高校の職員として働くのありすのストーリーを聞いてみました。ぜひ、楽しみながら読んでみてください。

わくいふ学生証(ありす)

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う〜ん、どこから話すのがいいんですかね。
変わった体験をいくつかしてて、山あり谷ありな人生だったなと思っていて。今日はそれをお話できたらいいかなあ。


1987年生まれの福井県生まれで、今、33歳になる年です。


早速お話すると、高校生の時、入学してすぐに不登校になりました。
高校1年の夏休みにはもう行けてなくて、出席日数が足りず2回目の高校1年生をやったはいいものの17歳の終わりくらいに高校を中退して、本物の引きこもりを18歳までやってたという感じです。このときは「私の人生どうなるんだろう」と絶望に暮れる毎日でしたね。


19歳のとき、大学に行くしかないなと思ったんです。勉強するしか自分の人生を立て直す方法が分からなくて、大学に行くしかないなって。親から離れて受験勉強するべ!と思って上京しました。


上京することを選んだのは…なんででしょうね?


東京で一人暮らしをしながら、高卒認定をとるための塾に通ってたんですが、その塾も不登校になっちゃって。何しに上京したねん、ってなりながらもなんとか高卒認定を取得できましたが、大学に全然受からなくて、一浪することにしました。


それから当時お付き合いしていた彼の家に居候しながら、大学受験のための予備校にいったりするんですが、その予備校も不登校になったんですよね。


こんなに不登校を経験があってもまた予備校入ろうってするのすごいですよね(笑)
行かなきゃやらなきゃっていう気持ちはあるんですけど、なかなか合わなかったんでしょうね。予備校で言えば、予備校は高校3年生まで授業を受けてることが前提で進んでいくので、そもそも高校に行ってなかった私は、さっぱり分からんっていう状態でした。


実家に戻ってみたら、不思議と心も体も回復してきて、自宅でひとり猛勉強できたんです。この年に、やっとちゃんと落ち着いて勉強ができたっていう感覚です。
翌年、大学に合格できたときにはもう22歳になってました。


演技部やサークルに入ったりして、ちょっとずつ友達もできて、人にも慣れつつ、大学は無事4年間で卒業しました。そしてこのあたりから、1度目の結婚をすることになる大学の先輩と一緒に住み始めてましたね。


あ、実は大学もあんまり行ってなくて(笑)
何をしてたかと言うと、演劇ですね。年に3~4本の舞台があったので休みなく稽古に励んでるっていう感じで、この演劇が、私にとっては社会復帰のリハビリだった気がしています。


なんていうか、何年も引きこもりをやってると、自分の気持ちや感情を伝えることができなくなっちゃうんですよね。目もちゃんと合わせられないし、体の動きもぎこちないっていう感じで。


でも演劇の基本の稽古が「感情の表現」だったので、自然と自分と向き合えたんです。突然「怒ってください」「笑ってください」って課題が与えられて、自分ではやってるつもりなのに全然できてなくて周りの人を見て真似したり、フィードバックをもらうことを続けていたら、いつの間にか人と目を見て話せるようになっていました。


ん〜、演劇の魅力は何だったんでしょう?


もしかすると、私にとって「自己表現が許される場」だったということかもしれませんね。人の前で自分の意見を話すことは苦手だったんですが、演劇で役割とかキャラクターを与えられると、もう堂々とやっていいじゃないですか。自己表現が許される場、ということがとっても良かったのかなと思いますね。


大学を卒業した年、ある企業に入社することになりました。そのときがもう26歳です。これが社会人1年目。でも母親が倒れたことで、東京と福井の実家を行き来しているうちに自分も体調を崩しちゃって。会社に休ませて欲しいって言ったんですけど、上司が全く理解のない人で、結局また引きこもり生活が始まってしまいました。


その翌年に復職したんですが、う〜ん、なんて言うんですかねえ。
同僚は社会人2年目としてバリバリ働いてるのに自分は、って悲しい気持ちになりながらも頑張ってはいたんですが。そんなときに夫と不仲になり、ひとりシェアハウスに住み始めることになりました。


翌年、彼と正式に離婚をしたあと、また引きこもって休職しちゃうんですよね。それで、さすがに2回も休職するなんて合ってないんだろうなって、会社を辞めることにしました。


う〜ん。この会社入ってからのひきこもりは、ショックが大きかったですね。不登校を乗り越えて就職することができて、やっとまともな人生を送れるって思っていた矢先の出来事で。「また私はひきこもりになってしまったんだ」っていう絶望がありましたね。これがなかなか癒えなくて。でも、シェアハウスの仲間だったり、商店街の人たちとか近所のバーの飲み友達とか、人とのちょっとした繋がりのおかげで、少しずつ、少しずつ気持ちが元気になっていきました。


転職活動をしていたとき、偶然Facebookで見つけたベンチャー企業の説明会に参加してみたら、それがめっちゃ面白くて。幸運にも採用していただけて、そこで働くことになりました。


この転職がターニングポイントだったような気がするんですよね。会社の繋がりで出会った方が、「新世界への修学旅行」っていう不登校の子向けのプロジェクトを立ち上げていて、私も参加することにしました。これがきっかけで、YouTubeで自分の不登校の経験を話したり、「不登校新聞」さんにインタビューを載せてもらったりして、この時期に人生が動いた感覚があります。

新世界への修学旅行
日本全国約20万人の不登校生及び「いばしょ」がないすべての子どもたちに、自宅・学校以外の「第三のいばしょ」となる場=「みんなノイエ」を提供し、巡ることのできる仕組みを創ります。メンバーによる「不登校の子どもたちを修学旅行に連れて行ってあげたい!」との想いから始まりました。

ありすさんが書いた記事:https://note.com/newworld_journey/n/n126c60c521c1
不登校新聞
NPO法人全国不登校新聞社が発行している日本で唯一の不登校に関する新聞。

ありすさんが載っている記事:
https://futoko.publishers.fm/article/19467/


そのあと今のパートナーさんと出会って、結婚して一緒に住んでいます。今の仕事は、知り合いの方に声をかけてもらった通信制高校で職員として働いています。


こちらの通信制高校は、年に数日ある登校日以外は、自分で動画を見て学習して、余った時間でプログラミングや音楽、声優など自分のやりたいことが勉強ができる学校です。それから職業体験、酪農体験やイカ釣り体験などができる、行きたい人だけが参加する修学旅行のようなイベントもたくさんあります。


なんだかすごい遠回りしたなという気はしつつ、今、自分が ”やりたかったこと” に近づけているような気がしているんですよね。


私、小さい頃から「みんな同じことをやらなきゃいけない」ということにすごい違和感があって。「おかしいな」って思っていたら不登校にまでなっちゃったんですけど、学校に対する「こんなはずじゃいないぞ」っていう思いが強いんです。私の勤める通信制高校は「みんな一緒じゃなきゃいけない」という世の中をちょっとでも変えようと、新しい教育に挑戦している学校で、そんなことが ”やりたかったこと” かなと感じています。


これから、精神保健福祉士の資格をとろうと思っています。自分の経験からも、困りごと抱える生徒は家庭に何かありそうだと感じていて、家庭に介入できるソーシャルワーカーがいいかな、なんて思っています。


ふふ、人生って不思議なものですね。

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おわりに

わくいふは、大人も子ども、安心してわくわくできる社会をつくるために、年齢に関係なく、やってみたいことをやってみる人を増やしたい!という思いで作られたコミュニティーです。現在は、オンラインベースで、イベント、ワークショップ、メディアを通して活動しています。

わくいふでは、”わくわく”だけでなく、「分からない」「どうしたらいいんだろう」という”もやもや”も、自分らしく生きるステップの一つとして大切にしています。自分の好きなこと、やってみたいこと、もやもやしていることを安心して話せる場所が『わくいふ』です。

もし興味をもっていただけたら、こちらの記事も読んでみてください。ビジョンや、代表しんちゃんのわくいふに込める思いなどをご覧いただけたらと思います。

一緒に、みんながわくわく生きる社会をつくりましょう〜!


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