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刺青先生【コラム】

永遠の記憶。

 隠すつもりは毛頭ないがぼくは刺青(入れ墨)を入れている。定番の和紋の黒をバックに沖縄の県花でもある真っ赤なデイゴと紅型にみられる水流の流れを彫っている。
 
-古代シリアの神、バアルとアナトの伝説に婚姻の儀式として女性がヘナを使って手に入れ墨をしたとある。この慣習は、カルタゴ人が北アフリカからイベリア半島にかけて広めたものだ。中国西部のタリム盆地にある墓地の遺跡では入れ墨を入れたミイラが発見されている- 

                  【世界で一番美しいタトゥー図鑑】
                       著  クリス・コッポラ
                       解説 布施英利 

 このミイラは紀元前2100年も前のミイラだという。それから1974年エド・ハーディーがクライアントの要望に応えてカスタムタトゥーを入れるようになって、最近ではラップの流行や、【鬼滅の刃】の流行で和紋が見直され、コロナ渦ではあるがタトゥー界隈にも明るい兆しが見えてきた2020年。ぼくは30になるまでに、「これだ!」と思う自分の道を見つけたら刺青を入れようと思っていた。はたちになったときに、自分の人生に絶望し、何とか好転させようとその誓いを破り、胸に地球の刺青を入れた。これで、頭を銃で吹っ飛ばされてもぼくだとわかる。ぼくにとってのIDカードだった。そして今年30になった。北谷町砂辺、アジアン・レッド・タトゥー・スタジオ。ここで冷静な目を持つ彫師さんに出会い、今に至る。


 日本では、駐留軍が入れ墨を合法化したが、それまで罪人に“刺青”として施していたという経緯もあり、いわゆるヤクザもののレッテルはぬぐえないまま今日まできた。いまだに浴場やサウナ、ジムなどでは入れ墨を入れたひとの入場が禁止のところは多い。


 日本では今、ジャパニーズヒップホップとしては異例の1000万回再生を誇るクルー、舐達麻(なめだるま)の台頭により、その中心人物BADSAIKUSH(バダサイクシュ)に入れ墨を入れたガッキンが彫る独特の“黒い”和彫り(あれは和彫りじゃないというひともいる)が注目を集めている。
ガッキンは京都で針三昧というスタジオを起こし、彫師として活動していたが、政府のタトゥー取り締まり強化によって、店をたたみ、アムステルダムへ移住した。ぼくは京都で大学時代を過ごしていたが、ガッキンを悪く言う人はいなかった。

 オキナワにも、かつてタトゥー文化があった。それは琉球弧と呼ばれる、八重山地方から鹿児島は奄美辺りまでのことを指す地方に伝わったいわゆる、【トライバル・タトゥー】でこれを【ハジチ】といった。ひとのもとになった生物を【トーテム】という。トーテムは時代と地方によって変容する。もっとも古いトーテムは植物である。蛇は脱皮、昆虫は幼虫から成体へ。変化し、生まれ変わる、というような形で生命はとらえられていた。花と葉、内と外である。
 ヤドカリやシャコガイが生命の根源であったとする説もあるらしい。太陽が出るとシャコガイは顔を出すが、かつてシャコガイが顔を出すから太陽が生まれる。と何やら哲学的な思考で考えるひとびともいて、それがそのまま紋様として入れられるのである。
 琉球弧では、祖先崇拝が一般的であるが、それはこの世とあの世の境に【火ぬ神】(ひぬかん)というものがあるとされてきたことに由来する。それは出産時に産屋の火を絶やさないという慣習にみられた。彼らは丸に光、火の神を見ていた。
 一般的にハジチは昔の風習なので、今入れているひとはすくない。しかし、ぼくの母方の曾祖母にあたる方は片手にハジチを入れていて、写真を撮るとき手を組むのは、ハジチを入れている手を上にしたという。ハジチを入れるのは既婚女性だけであり、とてもシンボリックだったのだろう。

 琉球王国があったころ、定められた血筋を引く女性が祭事を取り仕切っていた。そのころの沖縄は祭政一致で、祭事を務める祝女(ノロ)と呼ばれる神人(カミンチュ)は国王と同じほどの権限を握っていた。神の島として今ではパワースポットのような扱いをうけている(甚だ遺憾である)久高島という島がある。秘祭、【イザイホー】がかつて執り行われていた島。湧上の一門で琉球大学の教授であった湧上元雄先生の話は、湧上聾人の話で書くとして、玉城村、今でいう南城市にルーツがあるぼくにもなじみある島だ。
 そこで、こんな話がある。
 久高島へのいつもの巡礼を終え、帰路についた大城ノロであったが漂流し、大和へたどり着く。そこで美人のノロが救助された、と聞きつけた殿様は客人として城へ招いた。そこでノロに一目ぼれした殿様は、歓待のふりをして大城ノロへ言い寄った。殿様の命令に背けば死刑や流罪になるかもしれない。大城ノロは「数日の猶予をください」と言った。
 絶望の淵にいた大城ノロであった。食事ものどを通らない。そこである神女がひらめいた。そこに用意されたのは太い針と青い墨だった。美しいその手の甲に、ノロはハジチを彫った。そして、約束した日。殿様は「決心したか?」と尋ねた。するとノロは、「このような手をした女を、お城には置きたくないかと存じます」といい着物の袖をあげ、両の手の甲を見せた。そこにはハジチがしっかりと刻まれている。殿は無言で出ていった。それから、この話を聞いた沖縄の女たちに、女の操を守る、という言い伝えでハジチが普及していった。
 というお話である。
 そしていつしかハジチは形を変え、既婚女性が嫁、としてのプライドを刻むものとなった。それは男性に対し、一生涯を尽くす、ささげる、というある意味ではまじないのように変化したものがハジチであり、今なお入れるひとのいる“永遠の愛の証”なのだ。
 この話には続きがある。
 そうして大城ノロ一行は沖縄交易船がやってきたときに沖縄へ帰るのだが、美人の馬天ノロだけひとり取り残されてしまい、2,3年が経ち、殿の寵愛を受けて身ごもるのだが、どうしても沖縄に帰りたいと何度も殿にお願いし、とうとう殿もこれを承知した。馬天ノロは次の交易船で沖縄に帰ることになる。しかし、航海中に産気づき、ついには男の子を生んだ。しかし、この子を、神に仕える身であるノロが殿との私生児を連れて帰っては、笑いものにされるだけだと思った馬天ノロは、この子を始末しようと考え、両足を引き裂いた。右足を北の海に投げ捨て、左足を南の海に投げ捨てた。そして、何食わぬ顔で沖縄に帰った。しかし、それを竜宮の神様は見ていた。むごいことをする馬天ノロにバチを与えてやる。それからその村では災いが立て続けに起き、これは竜神の祟りだと信じた村人は卯の年と酉の年の8月十五夜には、竜宮の神様を慰める祭りが催されることになった。
 とさ。ではすまない話であった。これを十五夜の始まりとする昔話が、沖縄では語り継がれている。

 これは受け売りだが、入れ墨を入れる彫師には、様々な条件が必要である。まず、アーティストとしての画力。医療行為としての腕。ひとを見る占い師としての才能。またそのひとは、“入れ墨は生き物である”と言った。入れ墨はひとを変化させ、その人物の運命さえ変容させる、ある意味では宿主の魂を奪ってしまう生き物で、一長一短ではなく、デメリットのほうが大きいと。しかし、変容を強く望む人物でなければ入れ墨にたどり着かない。結局彫師と入れ墨は永遠に追いかけっこをするもので、入れられる側の人間にとってはもろ刃の剣であるということ、である。“だから、高くつくんだよ”と。

刺青先生 終   

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     『風の棲む丘』ボーダーインク刊 1200円+税
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