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エチオピア・首都アディスアベバにあるボレ国際空港から村へ行く際に直面した困難の数々

写真はオモバレー付近で歩く街人3人。

首都アディスアベバにあるボレ国際空港は賑わっていた。国内線のチケットカウンターがあったため、手荷物を受け取ったあとすぐにゲートを出た。ライフルを構えた警察官、幼い子どもをたくさん連れた母親、男のグループ、ヒジャブを覆った団体がチケットカウンターに押し寄せ次々と言葉を発している。芋洗い状態だ。なんとなく列はあるものの、チケットスタッフに一番に声が届いた者が対応されるといった感じなので、アムハラ語も知らず、蚊の鳴くようなわたしの声は届くはずもなく、次から次へと来る人たちに抜かされていくばかり。並ぶことに疲れた人々は苛立ちをみせながら、「この娘は何で黙ってここに突っ立ってんだ?」といわんばかりの表情でわたしを見てくる。わたしはチケットカウンターの人が声をかけてくれるのを待つことしかできないのだ。諦めよう。いつかこの場所から人がいなくなることを願い、一旦その場を後にすることにした。

キャリーケースを引きながらとぼとぼ歩いていると、爆発音のようなものが外から聞こえた。その音が引き金になったようにあたりは一気に暗くなり、湿気た空気が空港内を包み込み、竹林のように強く細かい雨が高密度で降り始めた。上空は雨雲に覆われ灰色に、地面は雨粒が弾いて真っ白になっている。帰路に入った人々が突然の雷雨に停滞を余儀なくされ、室内の熱気はさらに強まった。それはかつて行ったスパリゾートハワイアンズの温泉プールを連想させ、ああいうところのすぐに過疎化してしまう悲しさを思い出した。

チケットカウンターが空いているのを確認したので、再びそこに赴き、ようやくチケットが欲しいという言葉を発することができた。支払いの際、クレジットカードを差し出すと、使えないと言われた。クレジットカード可とカウンター上にシールが貼られていたので、そのことを指摘するが首を横に振られるだけ。Webサイトにもクレジットカード利用可能と記載されていたので、現金のことを全く気にしていなかった。甘かった。財布を開けるもそこそこあるのはわずかなナミビアドルか、140米ドルだった。ATMでお金を引き出そうと思ったけれど、それもエラーが出てしまい失敗。

エチオピアブルが至急必要になったわたしは、エチオピアには闇市場という米ドルを高く買い取ってくれる場所があるということをどこかで耳にしたのを思い出した。
カウンターを離れ、わざと困った様子でうろうろしてみる。闇市場の存在を知っていて、取引をしてくれそうな人から声かけられるのを待っていると、きっちりと身体に合ったスーツを着たクレジットカード会社の社員らしき男性に話しかけられた。
「SIMカード探してない?」
「探してない。これ($100)を換金したいんだけど…」
ああ!と、待ってましたと言わんばかりの反応をされ、こっちに来てと手招きされ隅に追いやられ、密に話を進められた。男性ははじめ、正規なレート(換金所で行われる)での交渉を求めてきたので、わたしは闇市場の存在を知っていることを伝えた。ちょっと惜しそうな顔をした男だけれど、それから交渉を重ね、結果として正規のレートの1.7倍のエチオピアブルを手に入れることができた。清々しい顔で去っていく彼を見て、もう少し提示額を粘れたかもと思いながらも、銀行での外貨交換と比べると得をしたのは間違いないし、航空券を購入するための現金には充分届いたので、三度目の正直でカウンターに向かい、無事航空券を手に入れることができた。

窓際の席に座ることができた。上空から、エチオピアの大地を眺めている。いつのまにか雨は止んでいて、曇り空からときどき太陽が顔を出し緑の地表を照らしていた。土色の一本道が平地から丘にずっと伸びている。それは丘にかかると細い蛇がはったようなくねくね道に変わり、腹から尻尾に向かうように次第に細くなった。やがて、丘の頂上にも届かないところでその道は途絶えた。そんな場所がいくつもあった。
道を使わずにどうやって丘の向こうに行けるのだろう。自分達の村に面していない丘の側面は、全く別の世界として、そもそも行く必要性がないと認識しているのかもしれない。昔の日本の言い伝えみたいなものが存在しているのだろうか。向こうの山は、人の行けない山だと。上空から、繁々とした森、ポツリポツリと見える集落はいつも水際にある。深い谷や崖、すべてが近距離にある。目下が平地にさしかかったと思えば、視界を前方方向に向けると今度は巨大な湿地帯が広がっている。独自の文化を築き暮らす少数民族が生き残ってる大きな要因は、この移動困難な土地だろう。異国の侵入を防ぎ、また同国内でも民族浄化や民族統制などが行われなかったため、今もなお多種多様な民族が存在しているということに、身をもって実感した。

JINKAにつくと、エンジン音がバカになってるモーターバイクに溢れたいわゆる発展途上国のごちゃっとした風景があった。ここからどうやって目的地まで行く交通手段を探せばいいのだろう。英語で話しかけてくる若者がいたので、「オモバレーに行きたいのだけど、そこまで連れて行ってくれない?」と尋ねると、200米ドルならいいと、完全にぼったくった額を提示されたので、20米ドルしかないというと、渋々と言った感じで後ろに乗せてくれた。
頼りない原付の後部にキャリーケースをガムテープでぐるぐる巻きに固定し、その間に二人で乗るが、あまりにもぎゅうぎゅだったので、キャリーケースの上に座り移動した。ダートロードをおよそ100キロ、しょぼしょぼのタイヤで壊れないのか常に心配だし、エンジンはブルルルとけたたましく鳴り響いているし、なによりこの人本当に村へ連れて行ってくれるのだろうかという不安が、空港から遠くなるに連れ増幅する。

ある感情が一定量を超えると、ぷつっとなにかが切れたようになくなってしまう時がある。ここエチオピアでも、不安でいっぱいになった感情がキャパオーバーする瞬間が訪れた。夕暮れ時にさしかかり、四方が茂みになってからおよそ1時間が過ぎ、いつまで経っても目的地に辿り着かないなあと思いながら坂道を上がっている時だった。「あっ、もう分かった」と、何も分かっていないし何も状態は変わっていないのに急に精神状態が晴れやかになり、もうどうなっても何とかなると、脳内が最強(錯乱に近い)の状態にシフトしたのだ。

道すがらにいる民族に手を振ると金よこせと叫ばれるがそこは優雅に微笑むことができる。オレンジ色に染まる草木を眺め、これから訪れるだろう困難に胸を躍らせ、夕日を背に壊れかけのモーターバイクで長い坂を下った。


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