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インドにある、アジア最大のスラム街で暮らす人々の幸福度


午前6時。空港を出るとまだ暗い。わたしは近くのバス停を目指し歩く。全体的に砂っぽいのだろうか、街灯の光は靄がかったようにぼんやりと円に広がっていた。人々はぽつぽつと散らばっていて、閑散としていた。

数十円払いバスに乗るも、早速間違えたことに気付く。ここでは、民間バスの乗り降りですら大変なのだ。バスがバス停に停車しない。運転手的には停車しているつもりなのだろうか。バス停に近づくとバスは次第に減速をはじめ、時速数キロ単位になったところで、人々が飛び降り飛び乗る。わたしはキャリーケースを地面にぶん投げる。こんな塩梅なので、朝から目は冴え気が気でない。

いつの間にか外はすっかり明るくなっていて、人々は動き出す。
重いキャリーケースを引っ張りながら、信号のない、車やバスやバイクでごったがえした凸凹道を歩き宿泊先に向かうのだ。
生ゴミとカラスで溢れたバイカラ駅前を通り、路地に入っていく。路地の突き当りに、申し訳程度にWELCOMEという看板が立っている。
恐る恐るフロントへ向かうと、フロントの横にある二段ベッドに男性が寝ていた。男性はわたしに気付き、寝ぼけ眼で対応する。
幸先不安なチェックインを済ませ、わたしはある場所へ向かう。

ムンバイを選んだ理由はひとつだった。
あるアジア最大のスラム街、ダラヴィスラムを見てみたい。
時間に余裕があったので、市電車で行くことにした。
陽光が雑木林や荒れ地、劣化した建物からヴェール状に差し掛かり心地が良い。幻想的なインドの朝がわたしを迎えたようだった。

ダラヴィスラムの最寄り駅はMahimというところで、少し歩けば異常なほどに露天が立ち並んでいる。頭の上に大きな袋を何個も乗せて歩いている人、力車で大量の物資を運んでいる人、裸足の子ども、ホームレスの棲み家。縦横無尽に駆け巡るトラックや車のクラクションは鳴り止まない。
この人たち、何もなくてもブーブーブーブーと耳が痛くなるほど永遠にクラクションを鳴らすのだそう。
異常なほど視線を感じるけれど、くじけずに歩く。

実はスラム街とされているこの地は、既にインド政府の管理下にあり、ここに住む人達は政府からの給料保証と家賃補助が施されるらしい。
貧富に大差なく、人々が平等に暮らしているここは、仕事をする場所と、住まいの場所のふたつに分断されていた。独自性を持ったひとつの社会システムが成り立っているのだ。

敷き詰められた建物と、それを縫うように細い路地がいくつもあるここには、数千もの人々が生活していた。

鋭利なプラスチックを仕分けしている人々。仕分けされたプラスチックを機械に入れ、細かく小さくしていく人々。湿気た暗室で化学石鹸を1日数トン製造している人々。生地を染料に漬け込む人々。裁縫している人々といった具合で役割分担しているようで、まるでひとつの巨大工場のようになっていた。
淡々と仕事をこなす。気さくに話しかけてくる人々の、職場案内が始まる。

こんがらがった送電線に洗濯物が隙間なく干されていた。上を見上げるとカラフルな衣服が風に揺られて楽しいけれど、心配になる。

1mも幅のない小道が無数に枝分かれしていたり、建物に遮られて太陽の届かない、真っ暗な狭道があったりと、まるで大きな迷路だった。道路と同じ目線にいくつもの家がある。子どもたちがご飯を食べている。誰かがチョロチョロと出る水道から洗面器に水をためシャワーを浴びている。

ねずみやもぐらになった気分だった。
隙間を練って人々が忙しなく行き来する。走り回る。穴蔵のような家から人が顔を出す。混沌である。一つの区間に、情報量があまりにも多い。

砂埃の混じった空気が光に反射して、恍惚とあたりを照らしている。まるで撮った映像にあとから幻想チックなエフェクトを加えているようだ。

子どもの笑い声、車やバイクの騒音、何かの鳴き声、いろいろなものがぐちゃりと混じった音がぼんやりと空間を漂い、風景を色づける。

陶器を作っている地帯、あたり一面が土色の世界にて、ドコドコと太鼓の音が近づいてくる。どうやら結婚式を上げているらしい。新郎新婦、親族、友人、楽器隊と、隊列をなして皆が踊っている。
あんたも踊れ。と言われるも、照れが勝ちはにかむだけのわたし。
新郎新婦は地域を練り歩き、地域全体で一斉に祝うのだそう。

子どもがわたしに話しかけてくる。
スラム街の子どもたちは、やけに愛想が良いのだ。観光客慣れしているのだろうか。彼らは決してお金を要求したりはしない。ただ単に人懐こいのだ。

所有している荷物が少ないほど、生活の苦しみは重いのだろうと思った。豊かなほど、すこしの落胆に敏感になってしまうのでは?
安直な考えかもしれない。幸福の水準は、人それぞれである。
どこに居ても、どれだけお金があっても、不幸や孤独を感じる人はたくさんいる。
ただ、それだけそう思うくらいここは笑顔に満ちていた。


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