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そして、彼女は禁足地とされる島へ

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第1章 6、暗き森③

 大きな石の影から出てきた男は、手のライトを付けると同時に猟銃を肩に掛けた。こちらが完全に丸腰だと油断している。
 息子の背中で右手の銃を隠していた遥希も、それをズボンの腰に刺してシャツで隠す。
「ハイキング客か? この島は禁足地だぞ」

「禁足地だって? 私は前にも歩いたことがあるがいつからだ」
 遥希のセリフに秋山は口の端を上げた。上手い返しだ。実際に来たことがあるのは確かなようだし、向こうもハイキング客が来ることを認めている。ここは道に迷ったフリをして市街のあるしままで船で送ってもらったほうが得だろう。

他洲よそから来たのか? 30年前のテロリスト掃討戦以来、政府の直轄地になっている。入っていいのは親洲おやしま側の釣り場だけだ」
 親洲というのは、市街のある水瀬の向こう側の甲斐ノ洲かいのしまのことだ。
「火を興したのに外に出ているなんて、どうしようとしてたんだ。それにハイキングじゃ何故暗くなる前に帰らなかった」

 砥上が扉を開けたままの小屋を見て中に火の気があるのを確認すると、男は畳み掛けるように質問をしてきた。
「30年前か。私はこの間奥洲おくしまから駿河に戻ったばかりなんだ。家族に昔の場所を案内していたんだが、妻が気分を悪くしてしまってね」
 隣に立つゆき子をしっかりと抱き寄せる。

「ああ、見た目よりもこのあたりの山は険しいからな。それで山小屋で休んでいたのか」
 男は答えながら山小屋の方へと歩き出した。
おくから帰ってきたのか。俺は行ったことはないが、寒くて寂しいところらしいな」

 男に釣られるように遥希とゆき子も歩き出す。砥上も秋山と目配せをして、彼らの後に続いた。
「”禁足地”って何」小声で砥上が秋山に訊く。「入っちゃいけねぇ場所ってこと。立ち入り禁止よりも強い意味だ」

 最後に小屋に入った砥上は、意図的に入り口の扉を少しだけ開けておいた。奥に遥希とゆき子が立ち、秋山はゆき子の隣で男の横にいる。しんがり・・・・を守るわけではないが、なんとなく砥上は男の斜め後ろに立った。形的には男を囲むような配置になったが、彼は気にしていないらしい。油断しているのか、それとも一行を無害の者の集まりと見ているのか。

「とはいえ、ここに寝泊まりさせるわけにもいかないな」
「禁足地とは知らなかったから、最悪そうなるかもとみんなで相談していたところなんだ。疲れが出たせいか気づいたらうたた寝してしまって、外が暗いのに驚いたよ。道もわからない」

「そうだな。この島にはデータ通信用の基地局もない、スマートフォンも使えない」
 男は首を巡らし彼らを見た。3人は家族に見えるがひとりだけ、ヒョロリと背の高いメガネをかけた青年は、どう見ても他人だ。

 正面から男と向き合った遥希はその胸元をみた。国立公園管理公社特別管理局と刺繍されたベストには「芦川あしかわ」と名札がついている。
「芦川さん。芦川というのは確かここの地名ですね。生まれもこの地ですか」

「そうだ」と芦川は頷いた。「もっともテロリスト掃討戦後は立ち入り禁止となり、全島民が親洲おやしまに引っ越したがね」
 それで島に人気がないのだ。人家が見えないといっていた秋山の言葉に納得がいった。

「どうりで、歩いてくる途中誰にも会わなかったわけです。私は砥上です。妻のゆき子に、息子の逍遙、それに息子の友人の秋山君です」
「そんなに大規模な事件があったなんて、知らなかったわ」
 立っていることに疲れたのか、ゆき子が板の間に腰掛けた。

「なんでも国神くにがみに関することらしくて、中央はあまり公にしたくないんだろう。古い話だし、全国的なニュースにはならなかったかも知れないな」

 現在でも皇宮の奥で皇帝と共に神が暮らしているとされるこの国で、その国神に対してどんなテロ攻撃の準備をしていたのか考えもつかないが、要するに国家転覆を企むくらいの相手がテロリストで、国の威信をかけてそんな連中がいる事実をもみ消したかったのだ。
 宮廷が国神の存在を認め続ける一方で、姿も見た事のない神に対する国民の認識は「おとぎ話」の域を出ない。国神の力によって平和を保たれているとされる国の中で、テロリストの存在を知られたくなかったのか、それとも実在すると国民に信じ続けさせる神の存在が「おとぎ話」だと知られたくなかったのかはどっちでもいい。

 問題なのは、人が入れない場所に人がいることだ。

「俺も当時は中央の大学にいて、引っ越し後に家族から聞かされて驚いたよ」ため息をついたものの、「ところであんた達」と次の話題に移った芦川の口調はがらりと変わった。
「どこから来たんだ」

 有泉湖澄が錐歌から提供されたGPSビーコンの消失に気づいたのと、市境の新興住宅地での建物火災の一報が入ってきたのはほとんど同時だった。

「そう、反応が消失したの」
 家業の手伝いのために屋外にいた彼女はスマートフォンのアラームが鳴ると手を止め、敷地の奥にある倉庫へと急いで歩き出した。同時にGPSビーコンが発報された場所の情報と、火事についての詳細を調べるよう分析班に依頼する。

 消失の一瞬前、ビーコンは富士市との市境から隣の洲との境に移動した。しかも瞬間的に。車やバイク、公共交通機関といった通常の移動手段以外での方法による移動であることは確かだ。その証拠に、火事の起きた家を見張らせていた仲間からは火事が起きる前後に標的ターゲットの所有している車が動いたという報告は来ていない。だが火事の後に近所に停車していた不審な工事用ワンボックス車が走り去っている。火事の原因が目標の移動に連動しているのではなく、ワンボックス車と関係しているのは明らかだ。

 移動する広い敷地内の空気は、夜が近づいて少し蒸し暑さが出てきた。
 背の高い古樹の先端が聳える空は曇り、夕暮れから闇への変化を急かしているようだ。
 甲斐ノ洲かいのしまとの洲境に近い廃美術館で魔力異常が観測されたのは今日の午前中のことだ。本来なら津宮の郷の外の現象には口は出さないのだが、元はといえばあそこも彼女の一族の地。気にならないわけがない。表立っては動けないが魔力関係なら最も適した機関の人間に頼むのが筋だと、魔界の境界管理官である錐歌に調査を依頼したのだ。すでに彼女が現場に着いた時には事は終わっていたというが、代わりに面白い情報を持ってきてくれた。

 まず第一に、そこにいた人物だ。
 湖澄も籍を置く家業の系列会社に、約一年ほど前に中途で入職した秋山守人。なかなかユニークな存在感を持つ人物だと感じていたが、その正体が判明した。彼は錐歌の魔界絡みの古い友人で、4分の1吸血鬼クウォーター・ヴァンパイアだった。そして彼の友達だという巨大な狗鷲の存在。この辺りの魔界人を監視する錐歌も把握していなかったが、彼女が提供してくれたGPSビーコンは消失前に3箇所の位置情報を教えてくれた。

 最初に向かったのは狗鷲なる人物が車を止めていたとされる市立体育館。次は怪我をした秋山のアパート--彼の住所は会社に提出された履歴書の通りだった。
 最後の場所は市境の富士市側にある新興住宅地のとある住所。そこの住人は砥上遥希、その妻ゆき子、息子の逍遙。息子の逍遙は秋山と同じ会社の従業員だった。つまりふたりとも広い意味で湖澄の同僚といえる。特に秋山は湖澄と同じ製造課であり、彼女が勤務する工程内の事務所へと行く途中に仕事場があるので短いが会話くらいはしたことがある。が、砥上の勤務する開発部門は棟も違うため、数回挨拶を交わした程度の面識しかない。

 その砥上が持っていたとうGPSビーコンがいきなり自宅からジャンプし、富士山を挟んだ河口水瀬かわぐちみなせの島の一つに出現したのを最後に消失したのだ。また、出火直後に動き出したワンボックス車に乗り込んだであろう人物達は目撃されていないが、状況から見るにその道のプロであることに違いなかった。その道のプロとはつまり、破壊工作や誘拐といった怪しい所業を生業とする者達だ。おそらく錐歌が廃美術館の調査中に遭遇したというカエル顔の人物と同じチームだろう。

 敷地の片隅にある、忘れ去られたような古い小屋の前にたどり着いた湖澄は辺りを見回してから、入り口のカードリーダーにIDカードをスライドさせて扉を開けた。人感センサーで点灯した灯りの中に、乱雑に置かれたいまはもう使われていない木製の道具などが浮かび上がる。背後で閉まる扉が再び施錠されるカチャンという音がした。小屋の奥行きはそれほどなく、数歩先の灰色の壁にある形だけの照明のスイッチボックスを開くと、またそこにIDカードをスライドする。壁は積み上げたコンクリートブロックの目地に沿って向こう側に開いた。
 
 何も特徴のない短い壁の間を進み、施設のメイン通路へ出る。
「お嬢さん、私も共に」
 照明を抑えた廊下を歩く湖澄の行く手の空間が歪み、ひとりの青年が姿を現した。
 だが湖澄は歩みを緩めることなくまっすぐ進む。
「おまえは残るのよ、壮汜そうし
 壮汜と呼ばれた青年は湖澄の配下の存在だ。この家に住み家業も手伝うが、主人は湖澄ただひとり。その存在は彼女を守り、彼女の言葉に従うためだけに在る。

 廊下の最奥にある場所への扉を開けて振り向いた時、湖澄の姿は壮汜と瓜二つになっていた。
 向かう先は禁足地とされている島。自分を守るために存在する壮汜としては主人をひとりで向かわせたくないのだろうが、一緒に行けば郷の護りが緩まる。今のところ脅威が迫っているわけではないが油断はしたくない。壮汜が郷に残れば彼を通じて郷の状況を知ることもできるし、万が一の場合の逃げ口も確保できる。仮に自分の代わりに壮汜が向かったとしても、残念ながらこちらが望む活躍を十分にしてくれるとは考え難く、結局自分も赴かねばならない事態となることは目に見えている。

 郷を守る長として、それでは困るのだ。

「支度をするわ。手伝いなさい」
 もう壮汜には口答えは許されない。彼にとって主人である湖澄の言葉は絶対なのだ。
「承知しました」
 無表情に頷くと、湖澄の前に立って扉の向こうへ入っていった。


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