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23年間己をただの何の特徴もない普通の人間だと思ってきた彼は何者だろうか。セーフハウスでの会話は続く。

長編ファンタジー小説 獣の時代〈第1部〉

第1章 彼女と魔法と吸血鬼⑤

 この部屋に来るのは秋山と初めて会った夜以来だ。万がいち懐中電灯などの灯りを使用しても外に漏れないように魔法を掛けてあると話していたが、なんだか空気が前より澱んでいる感じがするのは、ただ単に普段使用していないせいなのか。

「アマンダだ」
 短い沈黙の後、徐に秋山は言った。

「そう、そんな名前だった」
 朝のニュースで見た鵺の被害者の女性を思い出し、砥上が頷いた。

「あの鵺な、他でも魔界人を襲ったらしい。それで陰陽師が追って来たんだとよ」「それ、どこ情報」
「魔界人のネットワークだよ」
 荷物を持ってきた大振りのトートバッグから、タブレットを引っ張り出した。

「秋山君、デバイス持ってんだ」
「当たり前だろ。スマホだってあらぁ」
 後ろの方からスマートフォンを取り出して自慢げにかざす。
「俺は固定電話ないからな」
 アパートで一人暮らしをしている友人の何人かもやはり固定電話を引いていないので、確かに連絡用として携帯電話は必要だが、砥上はスマホを手にした秋山を初めて見た。

「てっきりガラケーか使い捨てかと思った。メッセージアプリ何使ってるの? 教えてよ」
 前に電話番号を教えてもらった時はメモでもらったし、秋山から電話がかかってきたことは一度もない。普段の彼らの連絡手段は未だに職場で直接話すか夜に会うことを事前に約束するというスタイルだ。

 それが、スマホがあれば簡単じゃないか。電話じゃなくてもメッセージとしていつでも連絡を入れられる。別に女子のように長い世間話をリアルタイムでしたいわけじゃない。
 ただ何かあった時にすぐに連絡を取りたいだけだ。いまのところ砥上が鳥に変身するのを知っているのは秋山一人。悩みや愚痴を聞いてもらうつもりはないが、誰にもいえない気持ちを吐き出す相手が必要だ。

「おう、お前がスマホ持ってる時にな」
 すぐに教えてもらえないことに対して砥上は、別段不快な感情を持つことはなかった。今は自分も服がないのだから、当然それ以外もないし、会社でも顔を合わせるのだから今じゃなくても問題はない。

「まあ、だからアマンダが死んだのは偶然なんだよ」

 話を戻しつつ、秋山は「だいたいだぜ」と続ける。彼の話によると、ここのところ周辺の市町でも似たような事件が頻発していたという。その辺りはニュースを見ていて把握していたが、どこも近いとはいえ隣同士ではなかった。「最近特に物騒なのはわかっていたはずだし、魔界人だからって襲われねぇとは限らない」特にアマンダは魔力も弱く攻撃に使える能力も持っていなかった。そんな彼女が無防備に出歩いた。「完全に彼女の落ち度だぜ」

 だからといって砥上じゃないとは100%言い切れないが、「もしお前の妄想が当たっていたとしたら、彼女を襲う前に『鵺』と遭遇していたかもな」
 それほど最近の鵺の発生率は高く、また死体発見例が多い。

 つまるところ鵺による殺人事件はどこで起きていても不思議ではないと、改めて言いたいのだ。それを踏まえた上で自分の行動を疑うなと。
 励ましのつもりなのは察しがついた。

「それとな、もう鵺にも魔界人にも近づくな。俺ももうやめるわ」
「なんで」
「なんでって、そのせいで痛い目にあったんだろ。介抱する俺の身にもなれ」言葉だけ見れば怒っているようだが、その顔は呆れるというよりも笑っている。「可愛い女の子ならいいけどな、男のお前ばっかじゃ虚しくなるわ」

 懲りない奴だといいたげに手にしたタブレットとスマホをバッグに放り込み、ステンレスボトルも仕舞い込む。窓の外はかなり明るくなってきている。エアコンの無いこの部屋で寛ぐ時間も終わりが近づいてきたのだ。

「確かに。俺もこれ以上裸見られんのは嫌だしね」
 砥上も起き上がり、世話になった煎餅布団とタオルケットを片す。

「お前よ、やっぱ気になるよな。自分のこと」
 そんな砥上を秋山は見上げた。砥上逍遥は鳥に変身できるが魔界人ではない。そして人間界の人間はまず、変身などしない。では23年間己をただの何の特徴もない普通の人間だと思ってきた彼は何者だろうか。自分の正体が知れない事ほど不気味なことはない。本人だって答えを知りたいと思いつつも内心恐れているはずだ。

 だから両親に打ち明けずにいる。

 それでも真実を追わずにはいられない。何故ならば、変身能力は彼の日常を壊したからだ。自分の正体を知れば、場合によってはこれまでの生活全てが虚構となり崩壊するだろう。だがもし知ることができれば、少なくとも現在砥上の心を占めている混乱は落ち着くだろうし、いまのところ普段の生活に特別な支障をきたしていないのだから、困ることもないのではないか。

「やっぱ親に聞いてみたらどうだ」
 久しぶりに勧めてみるが、砥上は顔を背け否定的な呟きをした。自分のルーツを知るのなら、両親に訊くのが一番手っ取り早い。出会った最初の頃、秋山は勇気を出して自分の変身の事を親に打ち明けるべきだと説得した。しかし砥上が頑なにそれを拒否したので、言うのをやめたのだ。
 自分が普通の人間じゃないとわかっても「のほほん」として緊張感の無い奴だとは思っていたが、やはり心の奥では変身も鳥の姿も受け入れる事ができていないのだ。

 だから今でも自分自身に怖れを抱いているし、親にも訊けないでいる。「ま、自分で決める事だけどよ。お前が今のままでもいいっつうなら、俺は構わないけどな」

 自分自身への漠とした不安は、必ず精神を侵していく。

 人は、どこか支えとなるもの、「自分」という立つ場所がないと生きていけない生き物だ。たとえ魔界人であっても、そうでなくても。
「それならそれでちゃんと自分、受け止めろよ。どんな姿になっても、お前はお前だ」

「うん」
 もう、本当にそう返事をするしかない。
 最初に「親に訊け」と言われた時はほぼ無意識に、反射的に否定してしまったが、最近は自分が怖いと感じていることに気がついた。特に今朝のようなリアルな夢の後の何気ない日常を経験してしまうと、この日常を壊してはいけない、と強く感じるのだ。

 自分の話を聞いた後の二人の反応が手に取る様にわかる。その時は笑い飛ばしたりしたとしても、その告白は家族の中に重いしこりとなって心の底に沈み込むのだ。6つや7つの子供ならいざ知らず、成人したいい大人が鳥に変身するなど、そんな戯言受け付けるはずがない。

 秋山は荷物を肩に掛けた。
「部屋まで送ってやらぁ」
「うん、頼むよ」

 靴もなければ家の鍵もない。部屋の窓の鍵は開けてあるので再び鳥になって飛んで帰ればいいのだろうが、今日はもう疲れ切ってしまった。
 おそらく両親はまだ寝ているだろうから、何食わぬ顔で部屋にいれば怪しまれないだろう。

 前と同じように、秋山の唇から紡がれる単語で空中に魔法陣が形成される。つい最近聞いたのだが、この魔法陣の向こうは砥上の部屋に繋がっているのではなく、彼が通ることにより帰ろうと思い描いた場所を帰巣本能として読み取り転送されるのだという。その仕組みを聞いたところで何がどう作用しているのかさっぱりわからないが、とにかく便利な物だと見るたびに感心してしまう。

 呪文の詠唱が終わり通過の許可が降りたので、模様のついた透明なセロファンみたいな空間に足を踏み入れる。
 一瞬の暗闇のあとに見える自室の床を踏み締めたとき、秋山の声が聞こえた。「それとな、お前川臭ぇぞ」
 急いで振り返ってもすでにセロファンは消えてしまっている。
 もっと早く教えてくれればいいのに。


 通過する際の微かな風で燃え尽きた魔力の残滓を巻き上げ、砥上の身体が向こう側に消えた。

 最後の言葉は、ちゃんと聞こえただろうか。

 落ちた川は富士山の湧き水が流れる清流ではあるが、やはり川特有の臭いはある。ちゃんとシャワーを浴びないと、家族からの苦情は避けられないだろう。
 そんなある種の幸せな日常も、告白によって失ってしまうかもしれない。

「ったく」
 あの強迫観念めいた恐れはなんなのか。単なる甘えなのかそれとも本人すらも意識していない原因があるのか。

「あー、クソ。どっちでもいいや」
 他人のことで頭を悩ますなど自分らしくないと声を荒げ、秋山は両手で天然パーマの頭を掻きむしった。砥上の介抱のせいでほぼ徹夜になってしまった。

 欠伸を噛み殺し部屋の中を眺める。この部屋を使う上で掛けておいた目眩しの術が解けかかっている。おそらく彼の強い『正』の氣のせいだ。どうせもう使わなくなるからいいのだが、たった2回連れてきただけで使い物にならなくなるとは。

 本当にとんだ拾い物をしちまったぜ。

 いろんな意味で疲れてしまった。それでも気力を振り起こし、秋山は自分のアパートに帰るための魔法陣を形成する。魔力のほとんどないこの国でこれほど連続して魔力を消耗することは稀だ。部屋に帰ったら補充しないと、この休日は寝て曜日になりそうだ。

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