見出し画像

社会科?東洋史?日本史?世界史?

社会科が教科として生まれたのは、明治時代なのか、昭和時代なのか、どちらが正しいでしょうか?こんなことクイズにしても魅力的にはならないでしょうね。
日本は敗戦後、GHQによって占拠され、弱体化政策が行われ、歴史の学習が禁止されました。その時代にあれば、ジェノサイドとして認定されるでしょう。明確な国際法違反です。ですが当時の日本は、それを叫ぶ力さえもなく、文化抹殺の暴力に晒されていたのです。以前のブログで「神道指令」について触れました。
日本が歴史の学習を奪われ、占領軍であるアメリカにとって日本人が「良き市民」、つまりアメリカ流の「民主主義」を学んだ「市民」であることが、日本の平和には必要だと考えられたのです。しかしここで「化学反応」が起こったのです。日本の歴史学は、戦前には「日本史」「東洋史」「西洋史」という3本柱で立っていました。そして、その中の「日本史」がズタズタにされ、新たにアメリカの価値観である「社会科」が加えられたのです。日本は驚異的なグローバル化の道を歩み始めました。アメリカ主導の世界の中でも、まったく特異な存在となったのです。世界観が変わったのです。この時、日本は世界中のイデオロギーを学べる立場になりました。ただし、アメリカの価値観で押し込まれた、見てくれが悪い歴史観です。しかし、日本はさまざまな国の価値観を吸収していくのです。私も当時の人間であったため、よく覚えています。地理という教科があり、その中には世界の地理や気候、産業、作物の産地などを学んでいったと思います。かなりの量が詰め込まれていたと思います。当時の日本人の頭の中には、大まかにでもどのような世界が広がっているのかが入ったのではないでしょうか。世界の人のほとんどが、東京がどこにあるのかすら知らなかった時代です。それをGHQが日本の教育を破壊し、空いたスペースに「社会科」という教科を入れた結果なのです。そのおかげというのは嫌なので、「化学反応」と表現していますが、日本はグローバル化を受け入れ、経済成長していったのです。今や、世界でも一流の自動車産業を有し、宇宙科学技術も非常に進歩しています。例えば、北海道でロケットを打ち上げるホリエモンも、日本では電子部品やロケットの組み立てに必要な部品を簡単に手に入れることができるからこそ実現しています。そのおかげで、時々北朝鮮にも部品が流れ込んでくることもありますが・・・
今回は、日本の戦後の教科の成り立ちとグローバル化について触れ、戦後の日本の歴史観に少し立ち止まって考えました。結果的には、日本は先進国として躍進しました。しかし、その発展は「国家感のなき悲しい隆盛」でしかなかったと。私は思っているし、私たちはそのことを見て見ぬふりをしていたのです。(さとる)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?