[1]私の家族。トラック運転手&パチンコ依存症の父。

家族は、故・父、母、故・父方の祖母、私、妹、弟2人です。

とりあえず父のことからご紹介。父はトラックの運転手を若い頃していて、私が大学に入学したころから、仕事が減ってきたようで、その後はいろいろな仕事を転々としていたようです。大学は学費も払えず、私は中退しました。

父も母も中卒で、父は私が大学に入学したのがかなり嬉しかったようです。近所の人によく自慢していたようです。これは父が亡くなった後に、近所の蕎麦屋に行ったら、蕎麦屋のおばさんが教えてくれました。そんな様子は一度も見たことがなかったので、とても意外でした。

父も母も、片付けられない人で、特に父はスクラップを集めて、溶接したり修理して使ったりするのが趣味というか、ライフワークになっていました。田舎なので、無駄に敷地が広く、父は家の斜め向かいに、丸太をそのまま使った、ものすごく大きな小屋を作って、そこにスクラップを収集していました。

GoogleMAPで地図が写真で見れるようになった時に、会社の人に「Wakkoさんの家を見てみようよ。」と言われて、背中から冷汗がたらーっと流れたのを覚えています。私は家がものすごくコンプレックスです。家の斜め向かいにある、超ワイルドでオリジナリティー溢れる、無骨すぎるくらい無骨なでかい小屋と、そこから溢れ出ているスクラップの山積みを東京の人たちに見られたら、自分自身がいたたまれなくなってしまいます。

家のなかも、薪ストーブで、薪ストーブと言っても、よくオシャレなカフェにありそうなステキな薪ストーブではなく、安~い薪ストーブです。ゴミも一緒に燃やしたりするので、ススがすごくて、白い壁と床まで真っ黒にすすけていました。さらに、家の片づけをする人がだれもいなくて、私が片付けないとゴミ屋敷のようになるような家でした。

子どもの頃から、家が汚いことはかなりのコンプレックスでしたね・・・。

父が亡くなったときに、スクラップを業者の人に引き取ってもらいました。父が溶接で作ったあるものを見て、「お父さん、すごいな~。これは天才だぞ!」と、すごく驚いていました。しかし、私たち子どもたちはそのすごさも何も分からないまま、一刻も早くこのスクラップをキレイに片付けたい一心でした。

父は、近所の一部の人達から「麻原」と呼ばれていたそうです。なぜかというと、理由はそのままで、オー〇真理教の麻原氏に風貌が似ているからです。麻原というニックネームの人物が私の父だなんて、なんとも複雑な心境です。まぁ、そう呼ばれるのも分からなくはありませんが。

父がパチンコ依存症だったことは、父が亡くなってから兄弟と話していて気付きました。私はかなり呑気だったようで、父の帰りが遅いのは仕事で忙しいからだと思っていましたが、どうやらパチンコに行ってたようなのです。

私の故郷の岩手で、ある有名な演歌歌手がいます。彼はパチンコのCMに出ているようで、弟は「パチンコのCMに出るやつなんかキライだ。」と言っていたことがあります。弟たちが高校生くらいの時、ちょうど私が大学を中退したときです。私は大学を辞めて、独立すればよかったけど、弟たちは高校生でしたので、いろいろと苦労したのかもしれません。さすがに高校は卒業したいですから。

そんな父が反面教師になったのか、上の弟は公務員になりました。

父は子どもの私にとって、かなり謎人物でしたが、大人になって客観的に見てみると、なかなかユニークなキャラクターの人だったなぁと思います。

パチンコ依存症、汚い我が家、丸太小屋、スクラップのことなどなど、こうしてアウトプットするのは初めてのことです。

続く♪


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