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透明な目覚め

 朝の陽ざしがカーテンの隙間から差し込んできた。浅川美咲は、目を覚ました。まだ夢の中にいるかのようなぼんやりとした気分でベッドから起き上がり、寝室を出た。廊下の壁にかかった鏡にふと目を向けたその瞬間、自分の姿が消えていることに気づいた。

「え? 私、どこ?」

 美咲は恐る恐る鏡の前に立つが、鏡には何も映らない。手を振ってみても、鏡には自分の影すら見えないのだ。心臓がドキドキと早鐘のように鳴り始める。

「これは夢だ、きっと夢に違いない!」

 美咲は自分に言い聞かせるようにそう呟き、顔を洗うために洗面所に向かった。冷たい水が顔に触れると、少しだけ落ち着きを取り戻した。だが、鏡に映らない自分の姿は変わらない。

「どうして…?」

 学校に遅刻しないように急いで支度を済ませ、家を出た。いつも通りの道を歩いていると、周りの人々が彼女に気づかないかのようにすれ違っていく。まるで、透明人間になってしまったかのようだった。

「おかしい、どうして誰も気づかないの?」

 学校に到着し、教室に入ると、友達の山田亜紀が美咲の席に座っていることに気づいた。亜紀は美咲の鞄を手に取り、中身を見ている。

「亜紀、何してるの?」

 声をかけても、亜紀は反応しない。美咲が目の前に立っているというのに、まるで存在していないかのようだ。しばらくして、亜紀が鞄から日記帳を取り出した。

「これ、どうして私の鞄に……」

 亜紀の声が震えている。日記帳には、美咲の秘密が詰まっていた。亜紀はページをめくりながら、美咲の心の内を読み取っている。

「なんでこんなことが……」

 亜紀が涙をこぼしながら日記を閉じると、突然教室のドアが開き、担任の佐藤先生が入ってきた。

「山田、何をしているんだ?」

「先生、これは……」

 亜紀が事情を説明しようとしたその時、佐藤先生が日記帳を手に取って一瞥した。そして、驚くべきことに、彼もまた美咲に気づかない。

「山田、これは君のものか?それとも……」

 亜紀は混乱した様子で「浅川のものです」と答えるが、美咲の名前を言った瞬間、教室中の空気が一変した。

「浅川?そんな生徒はこのクラスにいないぞ」

 美咲の存在が完全に消え去っていた。自分の存在がこの世から消えたことに気づいた美咲は、驚きと恐怖で震えながらも、どこかで納得していた。何故なら、彼女は昨夜、自分がこの世界から消えるようにと、心から願っていたのだ。

「これが私の願いだったんだ……」

 美咲は静かに目を閉じ、自分が消え去ることを受け入れた。それは彼女の選んだ道だったのだ。

 美咲は静かに目を閉じ、自分が消え去ることを受け入れた。

 だが、その瞬間、突然周囲がぼやけ始め、彼女は再び自分のベッドに横たわっていることに気づいた。目を開けると、見慣れた天井が目に映り、耳には鳥のさえずりが聞こえる。

「夢だったの?」

 美咲は起き上がり、鏡の前に立った。そこにはいつも通りの自分の姿が映っている。手を振ると、鏡の中の自分も同じように手を振り返した。
安堵のため息をつきながら、美咲は身支度を整えて学校に向かった。
 学校に到着すると、クラスメートたちはいつも通りに彼女に挨拶し、何事もなかったかのように日常が進んでいた。亜紀も普通に話しかけてくる。

「美咲、今日の宿題手伝ってくれる?」

「もちろん、亜紀」

 教室の雰囲気は変わらず、友人たちの温かい笑顔に包まれていた。しかし、美咲は内心で何かが変わったことを感じていた。
 彼女はもう二度と、自分がこの世から消えてしまいたいなどと願うことはないと心に誓った。
その日の放課後、美咲は自分の日記帳を手に取り、ふとあることに気づいた。日記の最後のページには、奇妙なメモが残されていた。

「願いは叶えられた。しかし、本当の価値を知る者だけが、その真実を理解する」

 美咲はその言葉をじっと見つめ、自分の心に問いかけた。夢の中で体験した出来事が現実ではなかったとしても、その感覚は確かに彼女の中に残っていた。

「本当の価値……」

 美咲は窓の外を見ながら、これからの自分の生き方を見つめ直す決意を新たにした。日常の中にこそ、真実の価値があることを知った彼女は、より一層前向きな気持ちで日々を過ごしていくのだった。
 そして、いつも通りの夕焼けが校舎を染める頃、美咲は静かに微笑んだ。

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