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前橋から銚子への遠回り(その4/鹿島台地の道)

 翌朝、朝食を案内されてみれば、母屋のほうでかなり広い和室の貸切り、さわらか何かの照り焼きなど、朝餉にしてはなかなか豪華な馳走であった。ゆっくりと腹いっぱい食べさせてもらってから出発する。今日は、一〇〇キロプラスアルファ程度だった昨日と異なり、もうちょっと走ることになるだろう。
 笠間方面に向けて走り始めてまもなく、コンビニで不要な衣類を宅急便で送っておくことにする。少しでも荷を軽くしたいのだ。コンビニのお姉さんとちょいと会話して、今日はどちらまでと聞かれたかどうか、「調子が良ければ銚子まで」とつまらぬことを言い、笑われる。
 笠間は陶芸で有名な街らしく、文化の香り高そうな観光名所が並んでいるようだが、単に静かな田舎道を走りたい自分はすべてパス。友部の町もかわして、南東方向へ向うルートをとる。常磐線を横切り、常磐自動車道も越えて、目指すは涸沼の西の端。
 涸沼のほとりに出るまでの道はさしてよく覚えていないが、春浅い風情のわき道に自転車を入れて撮ったカットはこのあたりだったはずである。下り基調であったろう道で涸沼に至り、北岸に沿う自転車歩行者道を少し東側に行ってみるが、すぐ思い直して戻り、今度は涸沼の西端からまた東南方向、旭村の方角を目指す。
 いよいよ完全な田舎道の風情となり、さすがに舗装はされているものの、地図はスカスカの状態だ。自動車やモーターサイクルで旅していたら、こんなところに入り込むことはまずないだろう。いちおう県道だったらしいが、センターラインもない市道並みの道で、たまに商店のある一角などあれど、畑、農家、林などが連続する鄙びた道。
 そのうちに鹿島旭の駅前に至る。鹿島臨海鉄道大洗鹿島線である。この駅のところで撮った写真は残っていた。この大洗鹿島線は非電化単線で、大洗より南は閑散的なのだが、ほかでそんなローカル線見たことねえ、というような非常に特徴的な路線景観がある。
 どう見ても人口密度の低い、つまり交通量の少ないエリアを南北につなぐ路線であるにもかかわらず、踏切というものがほとんど存在しないのだ。しかしさすがに高架鉄道というわけではないので、どうやって線路を跨ぐかというと、文字通りそうなのである。つまり、道路のほうが橋で跨ぐという立体交差になっている。線路が敷かれているのは、基本的にほぼフラットな台地の上で、しかも大きな建築物がろくに見当たらない地域なので、急傾斜で上って下る橋があちこちにある、一種異様な景観なのである。ここまで土木設備にカネのかかった非電化単線というのは、ほかには例がないのではないかと思われる。
 この大洗鹿島線に沿って、その東側を南に下る。もっと海岸伝いに国道51号線が走っているが、こちとらランドナー、そんなところを通る気はない。線路の東側の道は寂しい印象の道だが、少し吹き始めた風を除けば、交通量も少なく、走りにくい印象ではなかった。 
 鉾田の市街地もルートに沿って東側に迂回した。そのあたり、たぶん鉾田病院の近辺だと思うが、外にベンチのあるコンビニで弁当を買って昼飯にした。いよいよ自分はこの旅の核心的な領域に進みつつある。
 つまりそれは、鹿島灘と北浦に挟まれた、鹿島台地と呼ばれる低人口地域であり、そう言うと申し訳ないのだが、陸の孤島みたいなところなのである。実はこの旅の数年前、野郎二人のドライブ旅行で潮来と北浦と銚子に出かけたことがあり、そのときに少し入り込んだこのエリアの茫漠さにいたく惹かれるものがあったので、自転車旅を再開してからもう少しちゃんと走ってみたくなったのである。

 さても南進するに従い、道はますます茫々たる様子を呈す。北浦北端の東側では、ルートは大洗鹿島線からも離れ、いったん国道五一号に合流するような様子を見せるので、それじゃついでに鹿島灘でも見ておこうという気になり、台濁沢か当時の大洋村役場付近か、今では判然としないが、いずれにしてもそのあたりかその近傍あたりで、五一号を渡って海辺に出る道を探した。珍しく、ここいらで方向感覚が狂い、地図を読み直すにちょっと苦労してロストしかけた。
 ルートを記録していたのは一〇万分の一地図であるが、携行していたのは一四万分の一くらいのツーリングマップルあたりなので、市道クラスの道はほとんど読めない。目星をつけた付近に進行すると、やがて道はほとんどシングルトラックみたいになってしまったが、とりあえず通れるので、自転車を押して下る。
 そのときになってようやく気付いたのだが、大洗鹿島線と近傍のルートのあるところは、海岸線より数十メートルぐらいだろうか、標高のある台地の上なのであった。海岸そのものはそこから下ったところにあり、海岸に至ると土地は砂だらけで、ますます地の果て的な印象となる。
 砂の色は、ベージュよりもまだ少し白に近い感じで、灰色の砂利浜を見慣れた自分からすると、一種非現実的な感じである。鹿島灘は遠浅のせいか、波の立ち方も違う。しばらく、まるで異星のようにすら思える海岸風景に息を呑んでいた。
 どのあたりで海岸に出たのか、地図を見て調べているうちに、結局判然としなかったのだけれど、国道五一号から海岸までのルートに別荘地のようなものがあったことを思い出し、しかしいや、思い出してから、あれは帰ってから見た夢ではなかったかとも気付き、奇妙な気分になった。ストリートビューではそういう風景は見当たらない。
 海岸を見てからは再び内陸側に進路をとり、大洋村から大野村へと大洗鹿島線の西側を線路と平行して南下する。ひたすら単調な風景が続く。しかしそれを見たかったわけでもある。海岸はこのルートの二キロ弱ほど東側に離れているはずなのだが、この台地の上まで、ずっと海鳴りの音が届いている。遠浅だからそうなるのかどうなのか、私には体験したことのない響きだった。
 大洋村といえば、バブル経済の頃か、安普請の別荘がたくさん売れて、ちょっとした時事ネタになったりもしたような記憶があるが、それらしい風景に行き当たった記憶は薄い。それよりもともかく、海鳴りと、土の色と、なんだか大陸的なオーラばかりが印象に残っている。
 この単調な地勢の中で、ここは寄りたいと思っていたのは、「荒野台」という名の駅であった。そこまで荒れ野というわけではないのだけれど、開き直った感じに一種の迫力があり、面白そうだと思った。さて、着いて見ると、特段に西部劇的な情感があったわけではない。しかし、せっかくだからとホームを覗いてみると、なかなかの光景に出くわすことができた。
 セルの黒フチメガネで、見たところ、どうしたって真面目な級長タイプじゃないかと思うような女子高生が、もう少しさばけた感じの友達と二人でディーゼルカーを待っている。それだけだったらなんてことはないのだが、級長タイプの女子は制服のまま堂々と煙草を吹かして、あーまったくこんな田舎でやってられないんだから、という風情。別に未成年の喫煙を肯定するつもりはなく、旅人の無責任さで申し訳ないが、この構図は自分的には良かった。やさぐれた興趣があったと言っても良い。
 荒野台の駅を過ぎて数キロも南下すると、さしもの陸の孤島的な景観も終わりに近づき、新生間もないJリーグ鹿島スタジアムの近傍を通りつつ、貨車の操車場みたいなものを見た記憶がある。
 今は鹿嶋市となったが、当時は鹿島町と表記されていた街に辿り着こうとしていた。この街も前述のドライブ旅行でちらっと見たことがあり、今回の自転車による再訪の中核を成す目的地であった。いそいそと、私はその核心である鹿島神宮を目指したのであった。

「その5」につづく)

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白鳥和也/自転車文学研究室
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