見出し画像

小説とエッセイの間

小説とエッセイの間には、やはり一種の壁がある。透明な不可視の壁のようでもあり、石垣のような頑なさを備えた壁のようでもあり。

無論のこと、書きやすいのはエッセイであって、スピードも量も、小説書きに比べたら3倍かそれ以上くらいの生産性がある。

あたり前の話だが、生産性が高いからと言って、エッセイに小説の代わりが務まるわけではない。

エッセイの文体というのは、常識の中に片足を入れているので、ある面では不自由だが、全体としては安定感がある。調性とビートが定まっている音楽のようなものでもある。

ところが小説はそういうわけにはいかない。小説の文体は、どこかに常識とは反対のものを孕んでいる。有体に言って、どこかに異常さがなければならないのだ。

大局的には小説のほうが書くのが面倒で、エッセイは比較的気楽に書ける。ただし、自分が癇癪を起こしたような不愉快で恥ずかしい日の夜に書けるのはエッセイではなく小説なのだ。

嘘や虚構にもそういう救いがある。文章というものが常に現実と真実に基づくものでならないとしたら、私のような愚か者はすぐに窒息してしまう。小説は嘘でいいから愉しいのである。

ご支援ありがとうございます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。